白木陣屋(しらきじんや)
白木陣屋の基本情報
通称・別名
- 采地陣屋
所在地
- 大阪府南河内郡河南町白木
旧国名
- 河内国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 石川総長
築城年
- 寛文元年(1661)
主な改修者
- -
主な城主
- 石川氏
廃城年
- -
遺構
- 石垣、移築門
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
平石城(大阪府南河内郡)[2.1km]
下赤坂城(大阪府南河内郡)[3.5km]
龍泉寺城(大阪府富田林市)[4.4km]
上赤坂城(大阪府南河内郡)[4.4km]
二上山城(奈良県葛城市)[5.8km]
高屋城(大阪府羽曳野市)[7.2km]
櫛羅陣屋(奈良県御所市)[7.4km]
狭山陣屋(大阪府大阪狭山市)[7.7km]
烏帽子形城(大阪府河内長野市)[8.1km]
千早城(大阪府南河内郡)[8.2km]
白木陣屋の口コミ情報
2026年04月14日 romikun
山中田城[白木陣屋 周辺城郭]
篝山城 "山中田城は、かがり台の住宅街のある高台にあった。現在では宅地開発によって消滅してしまっているが、高台にあるという地形だけは残っている。
城は北に延びた山稜を堀切によって区画されたもので、大きく3つの郭によって構成されている。
また、城塁の側面部には横堀が巡らされているのも特徴の1つである。
発掘調査では、柱穴等の建造物の痕跡が検出されているが、建物を復元できるほど明瞭なものではなかったようである。
注目すべきなのは、西側斜面の横堀と、尾根基部の堀切から多量の瓦が検出されていることである。
これは堀切や横堀に面して瓦葺の櫓が建てられていたことを示している。
遺物の年代観は14世紀前半から16世紀前半にかけてのものであり、16世紀前半には廃城となっていたと考えられる。
となると、16世紀前半までに瓦葺建造物や横堀が使用される城郭として活用されていたということになる。
楠木正成は元弘2年(1332)に篝山城を築いているのだが、篝山城がこの城であるという説と、篝山城はここではなく、もっと上方にある別の城であるという説とがある。
「山中田城」というのは、篝山城と区別するために富田林教育委員会によって付けられた名称である。
余湖くんのホームページhttps://yogokun.my.coocan.jp/より転載"
2026年04月14日 romikun
板持城[白木陣屋 周辺城郭]
板持城跡 "南北朝時代の古戦場。正平三年(一三四八)正月、四条縄手しじようなわて(現四條畷市)の合戦に楠木正行を討死させたあと、高師泰は楠木氏の本拠である東条とうじようを攻撃し、石川河原に向城を設け(「太平記」巻二六芳野炎上事)、三月一八日・一九日に佐美谷口で合戦が行われた。
その際に南朝方の陣所であったとされる。佐備への入り口である当所へ佐備川を挟んだ小丘に砦を築いた。"
2026年03月18日 播磨守素人塗装のこうちゃん
白木陣屋
🚗で登城しました😲駐車場有りません…🚻も無し…
2026年02月22日 ふみ
白木陣屋
陣屋を通りすぎた道路沿いに説明文が有ります❗️
2024年08月24日 織田上総介晃司
白木陣屋
駐車場はありません。おすすめはしませんが、短時間なら路駐。または近くのコンビニに停めるようになるでしょう。(本当におすすめはできません)
夏のリア攻めは夏草に覆われ石垣を見ることができません。冬のリア攻めがおすすめです。
2022年08月22日 源豊後守ポンコ2…
白木陣屋
駐車場所は確保しづらいです。また、先達の方が仰るように、この時期の登城は見所の石垣が草に覆われ確認できません。
台地の端に設けられ、その端を土留するように高さ5㍍の石垣が普請されており、草に覆われていても折れなどその輪郭はつかめました。石垣を確認したい方は、冬枯れした時期がよさそうです。
2022年04月18日 尼崎城伊勢守一口城主
白木陣屋
4月17日、弘川寺を参拝後に白木陣屋に向かいました🚴♂️先人方が上げている石垣を探していたところ、散歩中の地元の方にすぐ下だよと教えて頂きました。下城後、10㎞以上離れた狭山陣屋を目指しましたが向かう矢先にローソン河南町白木店の駐車場に白木陣屋跡の方向を示す道標を発見。車🚘のナンバーが写らないよう気をつけて道標を撮影。
2021年05月30日 課長大和守Ver.B
移築門[白木陣屋 遺構・復元物]
河南町により公表されている陣屋門移築先となります。周辺道路が狭いことに加え個人宅の門として転用されているので見学の際はご注意ください。
2019年04月27日 橘若狭守次郎吉
白木陣屋
残存石垣の近くの民家に長屋門が現在している。
2016年01月13日 課長大和守Ver.B
白木陣屋
河南町役場の南、コンビニのある交差点を東に300m程の台地の端が陣屋跡です。
遺構としては台地の端部にある石垣と移築門ですが、見所である石垣は草の茂る時期は埋もれてしまうようなので冬枯れの時期が見頃でしょう。
因みに陣屋跡の隣の家には如何にも移築門っぽい立派な長屋門があり城跡を紹介する著名なサイト等でも移築門として紹介されていたりしますが、河南町教育課の方によればこちらは単なる民家の門で移築門では無く千早赤阪村吉年にある旧家の門が陣屋移築門であるとのことです。









