烏帽子形城(えぼしがたじょう)
烏帽子形城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 大阪府河内長野市喜多町
旧国名
- 河内国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 楠木正成
築城年
- 元弘2年(1332)
主な改修者
- 中村一氏
主な城主
- 楠木氏、畠山氏
廃城年
- 元和3年(1617)
遺構
- 腰廓、横堀(空堀)、土塁、井戸
指定文化財
- 国史跡(烏帽子形城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
仁王山城(大阪府河内長野市)[3.1km]
龍泉寺城(大阪府富田林市)[3.7km]
下赤坂城(大阪府南河内郡)[5.3km]
上赤坂城(大阪府南河内郡)[6.1km]
狭山陣屋(大阪府大阪狭山市)[7.2km]
白木陣屋(大阪府南河内郡)[8.1km]
小谷城(大阪府堺市)[8.2km]
千早城(大阪府南河内郡)[8.8km]
陶器城(大阪府堺市)[8.9km]
松尾寺城(大阪府和泉市)[9.4km]
烏帽子形城の解説文
[引用元:Wikipedia「烏帽子形城」の項目]烏帽子形城(えぼしがたじょう)は大阪府河内長野市喜多町の烏帽子形山にある城跡。現代烏帽子形公園となっており、烏帽子形八幡神社がある。
元弘2年 / 正慶元年(1332年)、楠木正成が上赤坂城の支城として築城。楠木七城のひとつ。西高野街道を眼下に見下ろす要所の地にあるため、南北朝時代には主に南朝の楠木氏の城として北朝の畠山氏との争奪戦が行われ、室町時代・戦国時代には義就流畠山氏と政長流畠山氏の間で争奪戦が行われた。天文年間には楠木正季の子孫である甲斐庄氏の当主隆成が城主であったが、敵対する義就流畠山氏の畠山定国によって落とされ、代わって碓井定純が入城した。元亀年間には甲斐庄正治(橘長治)が入り、畠山高政や根来寺衆徒等が幾度も入城して三好長慶に抵抗した。正治はキリシタンであったため、城下でキリスト教を奨励し、南河内の一大拠点として大いに賑わいを見せた。
畠山氏滅亡後、正治は徳川家康の家臣となって遠江へ移ったため、烏帽子形城は岸和田城主である中村一氏の支城となり天正12年(1584年)には改築なども行われはしたが特に使用されることなく放置される。だが、大阪の陣で正治の子正房が幕府方として河内の道案内を行ったことにより甲斐庄氏は戦後加増されて旗本として再び故地である烏帽子形城に戻ってくることが出来た。しかし、大規模なこの城を維持できずに元和3年(1617年)に廃城処分にした。[続きを見る]
烏帽子形城の口コミ情報
2020年11月25日 ひろき西市正
烏帽子形城
大阪の駅から歩いて10分ほどの場所に こんなに素晴らしい遺構の残った山城があるとは思いませんでした!! また公園としても子供たちが遊んでいて楽しそうでした😌
2020年06月13日 内大臣織田晃司
烏帽子形城
烏帽子形公園としての駐車場が南側にあります。
遊具のある広場から登城します。
整備され、案内板も随所にあり、平山城くらいの高さなので比較的楽に登ることができます。
至るところに防御の策が施され、見ごたえがあります。
ヤブ蚊やスズメバチがいます。虫対策はしっかりとしたほうがいいですよ。
2020年02月25日 まかろ釆女佑
烏帽子形城
曲輪まで上ると見晴らしが良く、ハルカスも見えます。険しくないので気軽に行けます。
2019年08月27日 天道加賀守早雲
烏帽子形城
去年9月の台風の影響で立ち入り禁止でしたが、倒木除去作業等終わったということで早速登城してきました。
住宅街が間近まで迫っている場所ですが、烏帽子形八幡神社の神域・鎮守の森として開発を免れて、良好状態の遺構が見学できます。
城域には多重の横堀と土塁、堀切・切岸・曲輪群が残っていて、初登城だったこともあって大感動でした。
また、埋められてしまっていますが、発掘調査で堀内障壁という耳慣れないものも見つかっていたとのこと。
案内図も親切でいい城跡です。
ちなみに、軽装で行けますが蚊は多いので夏でも長袖をおすすめします。
裾は公園になっていて駐車スペース・トイレ有
最寄り駅は近鉄・南海河内長野駅。徒歩30分ほどでした
2019年05月07日 橘若狭守次郎吉
烏帽子形城
現在、台風による倒木の影響で立ち入りが規制されています。
河内長野市の文化財保護課に問い合わせた結果、烏帽子形城跡の立ち入り規制は8月末を目途に解除の予定だそう。 ただし、倒木撤去の進捗次第では前後する可能性もあるとのこと。
2018年10月23日 天道加賀守早雲
烏帽子形城
2018年10月現在、9月の台風21号の影響で倒木等があり山城跡を含む公園全体が立ち入り禁止になっていました。
場所がらいつでも行けると思って今まで来なかったことが悔やまれる。
早く復活することを願います。
2017年05月28日 シバヤン近江守雲外蒼天
烏帽子形城
南海電車の河内長野駅から駅前案内所で観光マップと烏帽子形城の歴史本を購入。
現在は烏帽子形公園となってますとの内容に人工的な感じかと危ぶんで向かいます。
途中とHotto Mottoでお昼用意を。道中にコンビニは見当たらないのでここで飲料水の用意を。烏帽子形八幡神社の階段の右手に登城入口。上がりきった右手に古墳に展望台あり。戻ってきて左に行くと虎口があり三段の曲輪が見えます。
唯、そこまでの道は複雑怪奇な経路。右に左に曲がり急坂から平坦また急坂と攻めて来た者を何とか疲労困憊させてやろうと思わせる、嫌らしい作り!底意地の悪い施工者やなと思いました。
土塁と空堀のまるで何匹もの大蛇が這い回った跡のような険しさ!
やっと上がった本郭の北側は垂直の切岸。
蟹がハサミを広げたような曲輪の配置に。
公園の雑木林に隠れがちですが、雑木林を頭から消して想像したらモトクロス場みたいな城です。南北朝から戦国時代数えきれない争奪戦のなれの果ての姿かと•••。
駅から近いのにこの保存の良さに感激した1日でした。
標高差もあまりないので山城苦手のビギナーにお勧めな城です。
気軽に行ける
2016年06月13日 北川幸人
烏帽子形城
公園の東側の烏帽子形八幡神社に、河内長野市教育委員会作成の散策マップがありました。
2014年01月26日 三日陸奥守落人
烏帽子形城
烏帽子形公園の南側に市営プールがあり、その脇に駐車場があります。
そちらから登城ルートも整備されて歩きやすくなっています。
2013年01月15日 小早川治部卿貴景
烏帽子形城
河内長野駅の観光案内所で烏帽子形城の本が500円で売られています。詳しく分かりやすく作られているのでオススメです。
2012年09月02日 ポリタンク大和守
烏帽子形城
2011年に国指定史跡になりました。大阪府内の中世山城としては78年ぶりだそうです。
コンパクトながらも見応えがあり、散策していて楽しいお城です。
調査後に埋め戻されていますが、堀内障壁の存在が確認されています。