岸和田城(きしわだじょう)

岸和田城の基本情報

通称・別名

岸ノ和田城、滕城、蟄亀利城、千亀利城

所在地

大阪府岸和田市岸城町9-1

旧国名

和泉国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

複合式望楼型[5重5階/1597年築/改築]、複合式層塔型[5重5階/1619年改/焼失(落雷)]、連結式望楼型[3重3階/1954年再/RC造外観復興]

築城主

信濃泰義?

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

三好義賢、小出秀政、岡部宣勝

主な城主

小出氏、岡部氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)

指定文化財

府史跡(岸和田城跡)

再建造物

復興天守、櫓、門、石碑、説明板

周辺の城

畠中城(大阪府貝塚市)[2.9km]
積善寺城(大阪府貝塚市)[3.5km]
貝吹山城(大阪府岸和田市)[3.6km]
千石堀城(大阪府貝塚市)[4.8km]
真鍋城(大阪府泉大津市)[5.9km]

岸和田城の解説文

岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市岸城町にあった日本の城である。別名千亀利城(ちきりじょう)。江戸時代には岸和田藩の藩庁が置かれた。庭園は国の名勝、城跡は大阪府の史跡に指定されている。

概要
建武元年(1334年)前後に、和田高家が現在の岸和田城跡から約500m東(野田町1丁目周辺)に岸和田古城を築城。「岸の城」とも言われた。その後『日本城郭大系』によると信濃泰義によって現在地に移築されたとしている

羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、その急ごしらえで造られていたものを、小出秀政が5重天守を上げる本格的な構えとした。松平康重の代に総構えと城下が整備され、岡部宣勝の頃、城の東側に2重、西側に1重の外堀と寺町が増築されている。文政10年(1827年)に天守を焼失。以降再建されないまま、明治4年(1871年)に廃城とされ、まもなく破却された

岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになった。城内にある岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結びの神社として知られている。桜の季節は花見の名所となり、大阪みどりの百選に選定されている。

日本100名城の選定対象となるものの、検討の結果、選定されなかった

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(161番)に選定された。

沿革
楠木氏の時代
和泉国守護であった楠木正成が甥の和田高家を岸和田に派遣して岸和田古城を築かせた。「岸」と呼ばれていた当地に和田氏が城を築いたことによって「岸の和田」と呼ばれ、「岸和田」へ変化したと言われている。岸和田古城(岸の城)がいつごろから現在の岸和田城に移ったのか明確でない。守護が楠木正成から山名氏清に代わり、和田氏もその一族と思われている信濃氏を入れたと伝わっているので、『日本城郭大系』によるとおそらく応永年間に現在の地へ移築されたと解説している。ただし、これらの文献の出典を遡っても江戸時代初期にまでしか到達せず、しかも岸和田に城があったことを示す最初の一次史料は後述の永禄元年(1558年)に三好氏が同城に入ったことを記した浄心院快栄書状(永禄元年12月12日付、京都府立総合資料館所蔵「板原家文書」)まで下ることになる。山中吾朗は当時の和泉国の状況から岸和田城の築城をどんなに早くても15世紀とし、楠木氏に関する伝承は江戸時代に盛んになった同氏崇拝の風潮によるものとする。

和泉守護細川氏の時代
応永15年(1408年)細川頼長と細川基之が和泉国の上下半国守護となり岸和田城の城主となったようで、その後和泉守護細川家が岸和田城と関わりを持っていく。明応9年(1500年)には、和泉上守護細川元有と和泉下守護細川政久が畠山尚順に攻められ岸和田城で討ち死にしたおりには、管領・細川政元の重臣・赤沢朝経が城を奪還した。その後、両細川の乱により細川元有の子・細川元常が阿波に逃れると、細川高国政権下において細川高基、細川晴宣が和泉守護となり、守護代松浦氏の松浦盛・松浦守父子と共に岸和田領の統治をおこなった。

大永7年(1527年)、阿波の細川晴元が細川高国との決戦に勝利し(桂川原の戦い)、和泉堺を本拠とした「堺公方府」を設置、細川元常・その子細川晴貞が和泉守護に帰り咲いた。この時、松浦守は引き続き守護代として統治に関わっている。しかし、天文17年(1548年)細川晴元とその重臣・三好長慶が対立すると、松浦守は、和泉上守護・細川晴貞から離反し三好長慶についた。松浦氏は三好政権の下でも和泉国における支配的な地位を確保し続けていたとみられているが、松浦守の没後に跡を継いだ松浦万満(孫八郎)は幼少であり、三好政権は松浦万満の立場を認めつつもその後見を口実に岸和田城に兵を進めることになる(「九条家文書」所収:永禄2(3?)年4月23日付三好長慶書状)。...

岸和田城の口コミ情報

織田大膳大夫晃司様[2017年08月09日]
岸和田城側の縦列駐車スペース(無料)に停める。

岸和田城の遺構は本丸・二の丸の石垣と堀が現存。本丸半周の犬走りは広く、天守と合わせ、見ごたえあり。

岸和田城を守った蛸地蔵。気になる。

岸和田はだんじり祭りが有名。勇ましく町内を練り回り毎年怪我人がでるらしい。

若狭守次郎吉様[2016年09月23日]
岸和田城の天守閣の入場料は大人300円、中学生以下無料。25人以上で団体割引で3割引。岸和田城天守閣・岸和田だんじり会館・きしわだ自然資料館の共通入場券(300円)もあります。

毎週月曜日と年末年始(12/29~1/3)が主な休み。10時から17時(最終入場は16時まで)まで開場しています。

岸和田城天守は文政10年に落雷によって焼失。昭和29年に鉄筋コンクリートで再建されました。城壁と櫓も昭和44年に再建。天守閣の内部は岸和田城や城主に関する物が展示されています。最上階からの眺めは最高!

天守閣の前の『八陣の庭』は庭園設計の第一人者、重森氏が室町期以前の城郭平面図をもとに地取して設計されたものです。

個人的には岸和田城の本丸を半周している『犬走り』が素晴らしいと思いました。

岸和田城下には美味しいものが沢山あります。特に岸和田城主岡部公に献上されていた岸和田名物『時雨餅』!上品な甘さが美味!特に創業280年の竹利商店のが個人的には好きです。岸和田城にお越しの際にはぜひ!

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年07月25日]
櫓門くぐると左右から挟みうちになる仕掛けが(^^)。左側通行に従い道なりに岸和田城の歴史案内板を見ながら上がりこの城の目玉、八陣の庭。
天守閣の入場料300円、中学生以下無料。
最上階からは泉州の港、東側からは生駒、葛城、和泉山系の眺めが•••ええ感じです。

岸和田城、1334年楠木正成の家臣和田五郎が、岸の町に築城して統治。岸の和田から岸和田と呼ばれるようになり今の岸和田市の地名の由来になったそうです!
大阪に居ってこの時初めて知りました。
この城の近く市役所別館の紀州街道北には岸和田自然資料館には発掘調査で見つかった、ナウマン象やアンモナイトの貝類などが展示されています。

紀州街道沿いに小山梅花堂の生チョコ大福は片岡愛之助さんも買いに来てると言う美味です!また、少し北には小川のコロッケがあります。小腹がすいたら食べてみて下さい。

あの勇壮で名高いだんじり祭りの怖いイメージが強いですが、優美な城、優しい街並みに接して私のイメージも180度変わりました。
和田氏から続く善政の影響かなと思いました•••(^_^)

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年07月25日]
南海電車岸和田駅から線路沿いに南へ歩き、岸和田駅南の交差点を渡り右へ海に向かい歩きローソン+を左に入り道なりに歩いたら岸城神社です。
岸城神社の裏に岸和田城がにょきっと青空につきたってます。
今回は電車ですが、車で来られるなら、城南側の五風荘のとなりに駐車場あります。がんこ寿司で食事された方に駐車サービス券貰えます。(実質無料)
まず、五風荘前からお城の石垣を見て左右の石垣が違うことに気づきます。中心から
右側は、打ち込みハギ(隙間に小さい石入り)。左側は切り込みハギ(隙間のないように石加工)になってます。歴史を経て改築されたようです。目線を少し下に、堀周りに犬走りが城の東面から南面に設けられています。防御の点から不利な設備ですが、破壊された石垣を修繕する足場に使う為につけたようです。
戦国時代後期は火気兵器登場で石垣の破壊もされるようになったからやと思います。
何せ相手は根来衆、雑賀衆の鉄砲集団。しかし、この東側と南側から美しい!眺めの良さに暫し見とれます。
南側から入り左側に二の丸、右側に天守閣に入る櫓門。天守閣に入ります(^_^)
(続く)

石工集団穴太衆様[2015年03月21日]
八陣の庭、昭和を代表する作庭家重森三玲が諸葛孔明の八陣法を取り入れ、大将を中心に天、地、風、雲、龍、虎、鳥、蛇と各陣を配してます。

和泉守と→18様[2014年02月05日]
岸和田城は300円で入城できます。 だんじり祭り当日以外は混雑しないです。
近くには、だんじり会館があり、だんじりの博物館があります。
そして近くにある紀州街道の町並みも魅力です。

左近衛大将M三郎様[2011年07月30日]
岸和田城は、並立する本丸、二の丸を広い水堀と郭が取り囲む平城です。現存する本丸、二の丸周辺の石垣には、様々な様式が混在し前の構造を巧く使いながら何度も増補された形跡が見てとれます。総体的に二の丸の方が、石垣の反りが大きく、算木積も発展途上の様式であり古いようです。一方、本丸は、反りが小さく急峻な高石垣で囲まれ、荒い打込接から犬走を持つ切石布積まで、多種のものが入り組み、興味を引きます。また、模擬天守始め、多くの櫓、城門、多聞、塀など、往時の様子がよく再現されており、町の人達の心意気を感じます

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