根福寺城(こんぷくじじょう)
根福寺城の基本情報
通称・別名
- 野田山城
所在地
- 大阪府貝塚市秬谷
旧国名
- 和泉国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 松浦肥前守
築城年
- 天文4年(1535)
主な改修者
- -
主な城主
- 松浦氏、根来衆
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
日根荘城館(大阪府泉佐野市)[2.7km]
千石堀城(大阪府貝塚市)[5.8km]
積善寺城(大阪府貝塚市)[7.1km]
稲葉城(大阪府岸和田市)[7.9km]
松尾寺城(大阪府和泉市)[9.7km]
吉見陣屋(大阪府泉南郡)[10.0km]
猿岡山城(和歌山県紀の川市)[10.1km]
岸和田城(大阪府岸和田市)[10.2km]
貝吹山城(大阪府岸和田市)[10.2km]
古和田城(和歌山県紀の川市)[11.2km]
根福寺城の口コミ情報
2024年08月14日 織田上総介晃司
根福寺城
説明板の近くの少し広いスペースに路駐。不安ならば墓所があるので墓所前に停めるようになります。
説明板より東に登城口がありますが、見落としそうなほどわかりにくいので注意してください。
来訪時(24/08/10)登城口より進むと倒木や雨による土砂崩れの危険性があるので侵入禁止のテープがありました。進まれる方はなにがあっても自己責任ということで…
城域はかなり広く見応え十分なので、ハシゴ城巡りの一つでは無く、下調べをして大人数で半日かけて根福寺城を散策するのがベストだと思います。
今回、根福寺城にそれなりの時間を割いていたのですが全く足らず、かなりの見落としをしてました。
夏以外でリベンジしたいです…
2023年12月07日 RED副将軍
根福寺城
大規模な畝状竪堀群が見事な根来衆が築いた名城🏯
オススメ度 ★★★★★
1535年に和泉国守護代である松浦肥前守により築かれた野田山城が前身と云われます。
1558年頃には根来衆が野田山城を接収し改修。根福寺城に改め、和泉進出の拠点とされました。
1585年、豊臣秀吉は紀州征伐において岸和田城に入城。根来衆や雑賀衆の鉄砲集団との戦いとなりましたが短期間で豊臣秀吉は制圧。根福寺城も落城したとされます。
その後の記録は無く、役目を終えて廃城となった様です。
見所
秬谷川東岸の標高283mの山稜に築かれています。
東西の峰のそれぞれに曲輪群が展開されており、中央鞍部に大手門跡があります。
西曲輪群はピークに主郭を配し、東と北側の尾根筋に曲輪を展開。西端に巨大な竪堀があり、竪堀を下りた南西側山腹にある畝状竪堀群があります。畝の高さは2mもある巨大な竪堀群が良好な状態で残存しており、周辺の城郭には無い貴重なものです。
東曲輪群は小規模な曲輪が尾根上に連なり、東端は二重堀切で遮断され石積み遺構もあります。
行き方は、城域南東麓に案内板があり、その東側に登城口があります。しかし見落としてしまう程のものです。
比高は約100mほどで大したことはありませんが城域は東西に600m程あり大規模ですので時間に余裕を持ってください。
2023年03月12日 tracer_azu
根福寺城
噂通りの素晴らしい遺構が残るお城でした。岩盤の二重堀切、岩盤を掘削した畝状竪堀群、郭の削平もきっちり綺麗で段曲輪がとても綺麗に見れました。個人的には南側に残るストレートに落ちる2条の竪堀がとてもきれいに残っていたのがとても印象的でした。
2023年01月21日 八咫烏紀伊守鉄龍
根福寺城
本丸が綺麗に木が刈られていて、見晴らし良かったです。大阪最大級の山城、二重堀切が見ごたえありますよ。
2022年12月19日 気分爽快陸奥守
根福寺城
規模が大きく、登り口からも300m程度は歩くので、時間に余裕を持って訪れたい城です。西城、東城とで趣きが異なる2城を同時に楽しめお得です。石積み、畝状竪堀が残っているようですので、下調べをしてから行くと良いです。
2022年03月14日 イオ左衛門佐
根福寺城
戦国中期に和泉国守護代の松浦守が築いた城で、当初は野田山城と呼ばれていましたが、根来寺の支配下となった際に根福寺城に改称されました。羽柴秀吉の紀州攻めの史料には根福寺城は登場せず、それ以前に廃城となったものと思われます。
東峰・西峰と呼ばれる東西二つのピークを中心に連郭式に曲輪群を配した一城別郭の城で、南側を通る水間街道を掌握して根来寺の泉南進出の拠点として機能したと考えられます。規模において摂津国の芥川山城や河内国の飯盛山城に匹敵する和泉国最大の山城です。
大川バス停付近の空スペースに路駐して登城開始。道案内の標識などはないため少し山中をさまよいましたが、主郭から東にのびる尾根には二条の堀切が状態良く遺っていました。二重堀切から段曲輪を三段ほど上ると東峰の最高所に狭い主郭があります。主郭から北にのびる尾根にも階段状に曲輪が連続しており、ところどころに石が散乱していました。北尾根の西側斜面の曲輪群には二段の石積みがあったり、古瓦片も多数見つかっていることから、東峰は山岳寺院(根福寺)を城郭化したものと考えられます。主郭から西に段曲輪を下りて行くと大門と呼ばれる東峰と西峰の鞍部に至ります。大門には石積みが遺り、根福寺城の大手門だったようです。
大門の西側斜面に鉄パイプで手すりを組んだ登城道を上って西峰へ。大門を見下ろす位置の腰曲輪には井戸らしき石組みのくぼみがあり、投石用でしょうか縁に石礫が積まれていました。井戸から西に一段上の曲輪は東辺から北辺にかけて土塁で囲まれています。さらに尾根伝いにいくつかの曲輪を通り抜けると西峰最高所の千畳敷に至ります。千畳敷は根福寺城で最大の曲輪で、ここだけは樹木も藪もきれいに刈られて整備されており、北側は泉南平野部への眺望が開けています。千畳敷に戻って西下の腰曲輪に下り、灌木とストックを頼りに南西側の急斜面を下って行くと、根福寺城で一番の見どころの畝状空堀群が広がっています。東西に走る横堀から幅も深さもある巨大な竪堀が連続して南にのび、竪堀の間の阻塁も分厚く高さがあります。下調べで凄いと知ってはいましたが、まさかこれほどとは! なお、畝状空堀群の東のほうにも竪堀群があるようなので行ってみましたが、そちらは普通の規模でした。
山中のマイナーな山城ながら畝状空堀群は圧巻ですので、山城装備を整えてぜひご登城を!
2020年03月25日 天道式部卿早雲
殿の墓[根福寺城 寺社・史跡]
地元の方が「殿の墓」と呼んでいる、五輪塔が浮き彫りされている墓標。
根福寺城(当時は野田山城)築城者の守護代松浦肥前守の墓とされている。
周りに小さい五輪塔や新しい花も供えられていて、大切にされている史跡はなんか嬉しいですね。
2020年01月19日 こてつ☽和泉守
根福寺城
案内板の左手に登口があります。少し登ればフェンスがあって、そこが入口になってます。
しばらく道なりに進んで行けば別れ道になっていて、右に進めば東側の堀切から曲輪群へ、左に進めば西側へ行けます。
西側へ進んで行くと虎口のような所で突き当たります。そこに上に登っていく手摺りがあるのでその方向へ。なだらかな坂道をしばらく進めば、西側の千畳敷まで行けます。そこから南へ山を下ると(道路側、ちなみに道は無いので注意して下りてください)畝状竪堀群に行けます。
深さはそれぞれ違いますが、凄くいい感じで残ってます。
地元の方の話では、徐々に整備するとの事なので、しばらくするともっと行きやすくなると思います。
畝状竪堀群だけでなく、横堀、堀切、曲輪と見所が沢山のいい城でした。
皆さんも是非!