松尾寺城(まつおでらじょう)

松尾寺城の基本情報

通称・別名

所在地

大阪府和泉市松尾寺町

旧国名

和泉国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

松尾寺門徒

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

松尾寺門徒

廃城年

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

再建造物

周辺の城

稲葉城(大阪府岸和田市)[2.6km]
貝吹山城(大阪府岸和田市)[5.7km]
仁王山城(大阪府河内長野市)[7.0km]
伯太陣屋(大阪府和泉市)[7.3km]
小谷城(大阪府堺市)[7.4km]
千石堀城(大阪府貝塚市)[8.8km]
岸和田城(大阪府岸和田市)[8.9km]
積善寺城(大阪府貝塚市)[9.2km]
烏帽子形城(大阪府河内長野市)[9.4km]
根福寺城(大阪府貝塚市)[9.7km]

松尾寺城の解説文

松尾寺城は、大阪府和泉市松尾寺町にある天台宗の寺院・松尾寺に構えられた城館である。

松尾寺は、天武天皇元年(672年)に役小角が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を彫り、小堂を建てて安置したことに始まる。その後泰澄が中興し、熊野権現、蔵王権現、白山権現を勧請した。

平安時代に当寺に住んでいた河内国の僧尋祐にまつわる奇瑞が『日本往生極楽記』や『今昔物語集』などに記されている。鎌倉時代には源頼朝が祈祷所として保護している。

松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、寺領7,000石、寺坊300余名、僧兵は数千人を数えたという言い伝えが残っているが、それを裏付ける文書等は現在のところ発見されていない。また、南朝との関係が深く、延元元年(1336年)後醍醐天皇綸旨によって祈祷所となり、以後も南朝から度々祈祷を命じられていたという。南北朝統一後は足利義満他代々の室町幕府将軍も祈願所として寺領安堵を行ったとされる。

天正5年(1577年)には織田信長から禁制が出され、松尾寺の保護が約束された。しかし、天正9年(1581年)には信長による高野山攻めの際に攻撃を受け、松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払われた。

慶長7年(1602年)、豊臣秀頼による金堂の寄進などにより再興が行われた。

江戸時代には13の塔頭があったが、明治の廃仏毀釈によって明王院と宝瓶院以外は廃絶した。

本解説文(基本情報を除く)は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「松尾寺 (和泉市)」を素材として二次利用しています。

松尾寺城の口コミ情報

2024年08月20日 岩五郎
松尾寺城

和泉市の山寺、半分以上が宅地化されて雰囲気を味わえるスペースは減っていますが、それでもかつては城の役割を果たしていた様子が感じられます。お城とは関係ないですが、お寺に登る手前、バス停そばにある樹齢800年超の大楠は見ものです。

2023年04月03日 宇喜多摂津守左近衛少将
松尾寺城



この時期は、桜が綺麗です。和泉中央駅から、歩くと一時間くらい、運動にはちょうどいいです。

2022年01月31日 源山城守@ポンコ2…㉔㉕
松尾寺城



所用ついでで車で行きましたが、駐車場は松尾寺のイベントがなければ難なく駐車できます。西国三十三所の一つ、松尾寺は紅葉の名所とも聞きますので、その時期の駐車はもしかしたら厳しいかもしれません。

山門に向かう石段を上がる途中、源義経が一ノ谷の戦いで戦死した将兵の首を弔った首堂が石段脇にあります。江戸中期建築の立派な山門を潜り境内に入ると左手に石垣が確認できますが、積み方などから寺再建後の江戸期に普請されたように見えました。

本堂や豊臣秀頼により四天王寺から移された金堂を見ながら奥に進むと、春日神社、神社じゃないほうの山(児童遊園裏の山)の削平地にキノコ型屋根の休憩所があります。山には削平地が数ヶ所ありますが、かつて僧坊があったようです。なお、児童遊園には御手洗もあります。

また、春日神社の社殿裏は切岸のようになっており、こちら側の石仏がある山側に堀切がありました。削平地や堀切に城郭寺院の面影を感じられました。

見て回って所要時間も小一時間と、程よい散策しながら往時に想い馳せられました。

2022年01月07日 イオ左衛門佐
松尾寺城



飛鳥期に役行者が開いた松尾寺が南北朝期に城郭化したもので、最盛期には寺領7千石、僧兵数千人を擁したとされますが、織田信長の高野山攻めの際に焼き討ちを受けて全山焼亡。その後、松尾寺は豊臣秀頼により再建されて現在に至ります。

松尾寺の駐車場に車を駐めて石段を上って行くと、左手に源義経が一ノ谷の戦いの死者の菩提を弔ったと伝わる首堂があります。首堂の少し上には江戸中期築の立派な山門があり、楼上に文殊菩薩、門の左右に増長天と持国天が配されています。見ごろの紅葉を眺めながら境内を進むと、豊臣秀頼の寄進により四天王寺から移築された金堂が建っています。金堂の近く、鐘楼の脇には長諭和尚の碑があり、信長の焼き討ちの際に本尊や寺宝を護って難を逃れた功績が顕彰されています。松尾寺の裏山、児童遊園と春日神社の奥には松尾寺の僧坊であり松尾寺城の曲輪と思われる削平地が多く連なり、堀切状の地形も見られました。

2021年11月01日 よしき中務少輔走男
松尾寺城



歴史ある城でした。綺麗な城跡です。現在は、お寺になっており、もっと魅力を伝える事が出来ると思いました。

2021年02月17日 首藤志摩守通宗
松尾寺城

第三駐車場まで上がると、長い階段を登らずに本道まで行ける。
途中右手に三日月型の池があり、城ファンとしては水堀にしか見えない。

2020年11月24日 歴史マニアヒロカズ和泉守
松尾寺城



秋は紅葉、春は桜が楽しめるお城です。階段も少し長いですが、山の上にも駐車場有ります!

2020年03月26日 天道式部卿早雲
松尾寺城

672年に役小角が如意輪観音を彫り、お堂を建てて安置したのがお寺の起こりだそうです。
南北朝時代は南朝方の祈祷を行い、南北朝統一後も将軍の祈願所として寺領安堵される。
戦国時代にかけて隆盛し、僧兵数千人がいたという言い伝えがある。
織田信長には一時保護されるが、高野山攻めの際は敵対しほぼ全坊を焼かれる。
その後、豊臣秀頼により金堂などが再建されました。
明確な城跡遺構はわかりませんが、境内奥の西国三十三所巡りの区域には梯郭式の縄張りと堀切を思わせる箇所があります。
・駐車場あり


松尾寺城の周辺スポット情報

 春日神社(寺社・史跡)

 松尾寺(寺社・史跡)

 宝瓶院(寺社・史跡)

 尾崎稲荷大明神(寺社・史跡)

 松尾寺駐車場(駐車場)

 松尾寺第三駐車場(駐車場)

 松尾寺公園(関連施設)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore