伯太陣屋(はかたじんや)
伯太陣屋の基本情報
通称・別名
- 伯太藩陣屋
所在地
- 大阪府和泉市伯太町4-3-6
旧国名
- 和泉国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 渡辺基綱
築城年
- 享保12年(1727)
主な改修者
- -
主な城主
- 渡辺氏
廃城年
- -
遺構
- 移築門(小谷城郷土館)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
綾井城(大阪府高石市)[2.7km]
真鍋城(大阪府泉大津市)[3.8km]
貝吹山城(大阪府岸和田市)[5.0km]
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東村砦(大阪府堺市)[8.3km]
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伯太陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「伯太陣屋」の項目]伯太陣屋(はかたじんや)は、和泉国和泉郡伯太村(現・大阪府和泉市伯太町)にあった陣屋で、伯太藩の藩庁である。
【概要】
寛文元年(1661年)、武蔵国野本藩主の渡辺吉綱は大坂定番となり、河内国と和泉国に1万石を加増され、1万3千石の大名となった。
元禄11年(1698年)、吉綱の孫にあたる渡辺基綱は、武蔵国の所領が近江国に移された際、居所を和泉国大鳥郡大庭寺村に移し、大庭寺藩が立藩された。
享保12年(1727年)、基綱は居所を和泉国和泉郡伯太村に移し、丸笠山古墳西側付近に陣屋を置き、伯太藩が立藩された。
渡辺氏は基綱から9代章綱にわたって、伯太の地を領した。なお、尾張藩重臣で寺部陣屋を領する渡辺家の方が宗家である。
陣屋の址は現在では痕跡すら認められないが、堺市南区の小谷城郷土館に陣屋長屋門が移築現存している。[続きを見る]
伯太陣屋の口コミ情報
2014年09月15日 康安房守
伯太陣屋
現在、道路工事とそれにともない陣屋の発掘調査が行われていた。重機と残土に囲まれた中でも学芸員の方々が少しずつ跡地を発掘作業中でした。