猿岡山城(さるおかやまじょう)

猿岡山城の基本情報

通称・別名

猿岡城、粉河城、秋葉山城

所在地

和歌山県紀の川市粉河

旧国名

紀伊国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

根来衆

築城年

天正元年(1573)

主な改修者

藤堂高虎

主な城主

根来衆、藤堂高虎

廃城年

慶長元年(1596)

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

古和田城(和歌山県紀の川市)[4.6km]
根来寺(和歌山県岩出市)[8.2km]
根福寺城(大阪府貝塚市)[10.1km]
日根荘城館(大阪府泉佐野市)[10.5km]
真田庵(和歌山県伊都郡)[14.2km]
和佐山城(和歌山県和歌山市)[14.5km]
北野城(和歌山県和歌山市)[14.8km]
寺中城(和歌山県海草郡)[15.5km]
千石堀城(大阪府貝塚市)[15.8km]
吉見陣屋(大阪府泉南郡)[16.8km]

猿岡山城の解説文



猿岡山城(さるおかやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県紀の川市粉河)にあった日本の城。別名、粉河城。

概要 

1573年(天正元年)、根来寺と並んで紀ノ川流域に勢力があった粉河寺が寺の防衛のために境内南側の猿岡山(現・秋葉山)に築城。1585年(天正13年)の紀州征伐の後、紀伊国粉河に封じられた藤堂高虎が粉河寺を牽制するために入城し、改築した。山城で南側に流れる中津川を堀として代用した城で、高虎が伊予国宇和島に移封された後、廃城となる。隣接する粉河寺を一望できる。

現在は秋葉公園として整備され、曲輪のみが残されている。公園内に城跡を示す石碑と説明文がある。

猿岡山城の口コミ情報

2024年08月28日 琉城A和泉守
最初ヶ峰城[猿岡山城  周辺城郭]



最初ヶ峰城/古戦場
1359年、南朝方の四条隆俊が約三千騎を率いて最初峯に陣を張るという情報を紀伊国守護 畠山国清がキャッチ。国清は弟の義深を大将にし約三万騎を与えて最初峯へ向かわす。しかし義深は最初峯に相対する和佐山(和歌山市)に砦を築くと言い3日間そこに留まった。
それを知った南朝方侍大将の塩谷伊勢守は北朝方をはめてやろうということで、最初峯から撤退するふりをして、隣にある龍門山まで兵を引いた。
するとその様子を見た畠山氏の執事 遊佐勘解由左衛門は、「敵が逃げるぞ!!追いかけて討てー!!」と命令。急すぎたので盾も持たず、陣形の指示もないまま最初峯へ...
ところがこの龍門山、まさに龍のような山で馬で登るのに一苦労。平坦な場所で休憩をしていたその時!!千人ほどの伏兵が東西の尾根から現れ、矢の雨を浴びせた。慌てた北朝軍勢は谷地へ逃げるも大量の矢を浴び大量の戦死者が出た(青血谷伝説)。すると、どうすることもできない義深軍の前に大変立派な馬に乗った武者が現れ、「塩谷伊勢守」と名乗り前に進むと、その後ろから二千騎超の郷土軍が物凄い勢いで攻めかかってきた。義深軍は焦りまくって3キロほど退却。これを深追いしすぎた塩谷伊勢守は、馬を倒され自身も崖から約15メートル下に転落。目が眩むすきに敵に囲まれ戦死したのであった。(太平記より)
※現在の紀の川市桃山町最上に塩谷伊勢守戦死碑が建てられている。
さて肝心の最初ヶ峰城だが、麓から車で行けるのでアクセス良好。展望所として整備されているため当時のものと思われる遺構は残っていないと云われるが、土塁が築かれていた面影はある。夜景がとっても綺麗です✨
紀の川市にはこの他にも古和田城や紀伊飯盛山など南北朝に関係する史跡が多くあります。

2024年04月09日 ぺーちゃん
猿岡山城



麓の粉河寺とともに桜が満開でした。粉河駅から徒歩15分で行けます。

2024年02月27日 在来線男右京進
猿岡山城



粉河寺に流れる小川を渡り10分くらい登れば、公園になっている猿岡山城址です。ちょっとひろびろとした感じです。立派な石碑が立っています。物見台のようなものが2か所あります。

2023年06月13日 
猿岡山城



初めて訪れた猿岡山城。城らしき遺構は残っていないと聞いていたので、期待値は低めでした。実際に登城すると曲輪跡の斜面(切岸?)や本丸跡裏の腰曲輪?などがあり意外と楽しめました。標高も低く、すぐそばというか粉河寺の境内に城があるので、参拝ついで?登城ついで?いずれにせよ立ち寄ってみる価値はあると思います。藤堂高虎公の原点とも言える城です🏯

一応写真も添えておきます。公園として綺麗に整備されていますが、所々城の名残りかなと思える箇所もありました。もっと注目されても良い城かと。

2023年06月12日 
観光特産センターこかわ[猿岡山城  御城印]

レジにて1枚300円で猿岡城の御城印販売しています。他にも地域の特産物やアイス🍨等も販売されています。訪城の際に立ち寄ってみてはいかが。

2023年05月21日 鈴木剛
矢倉山城南の堀切[猿岡山城  遺構・復元物]



矢倉山城の南の堀切跡です。根来寺との戦いで戦場になっているようです。

2023年05月21日 鈴木剛
粉河寺の堀切[猿岡山城  遺構・復元物]



粉河寺の北の防衛設備の堀切跡今は畑のコンテナ等を運ぶ設備が走っています。

2023年04月01日 課長大和守Ver.B
飯盛山城 模擬天守[猿岡山城  遺構・復元物]



人気の少ない稜線上に立派な天守が建っていますが、その実体は神路原神社という宗教団体の施設です。
麓からは小さく見える天守も近くで見ると中々にしっかりした造りですが、残念ながら行事開催日以外は開放されていないようです…(´Д` )

因みにこちらから南側に降った先には広大な神路原神社の敷地が広がっていますが、巨大な立体駐車場や見上げる位置にある本殿など独特の空気が漂っています…(^^;

なお飯盛山城をリア攻めされる際は先に適当な駐車場所が無いのでこちらにクルマを置いて行かれると良いと思います。

2023年03月19日 課長大和守Ver.B
飯盛山城[猿岡山城  周辺城郭]



飯盛山城は紀ノ川南岸の飯盛山頂に築かれた城です。
南北朝期の元弘三年幕府方の佐々目憲法により築かれ楠木正成が攻め寄せたとの件が太平記に記載されており、その後織田信長の高野山攻めの際に高野山勢力が陣城としていたとのことでその時の遺構が今に残るモノと推定されているようです。
西側の最初ヶ峰城もそうですが南北朝期には紀ノ川周辺が激戦地だったことがよくわかります。

遺構は飯盛山頂に二段の郭と周囲に高さのある切岸と直下に北から東にかけて横堀と土塁が見られます。
また横堀端部には虎口と見られる地形もありますが登山道が整備された際のモノという可能性があります(^^;

城までは今城山城から更に林道を西へ進み、宗教施設の模擬天守を経て車止めを越え簡易トイレのある林道終端部から斜面を登った先となります。
クルマは模擬天守付近の路肩が広いので、そこに駐車して歩くのが無難かと思います。

周辺は登山客以外は訪れる人も少なく非常に寂しい空気に満ちていますが、道中や周辺にある廃墟群や巨大な宗教施設を含め侘びたアイテム好きには堪らない光景が見られるので興味がある方は是非(^^)

2023年03月19日 課長大和守Ver.B
今城山城[猿岡山城  周辺城郭]



今城山城は紀ノ川南岸麻生津峠の西側山上に築かれた城ですが、城史の詳細は不明で高野山勢力の陣城と推定されているようです。
位置からも街道監視を目的とした城と言えるでしょう。

縄張りは主郭と副郭の二つで構成され、東側から南側にかけて横堀を設け主郭副郭間には堀切があります。
堀切間を繋ぐ箇所には土橋と虎口があり崩れていますが石積みも見られました。
また見逃してしまったのですが峠側の郭最下段には割石による石積みもあるそうです(^^;;

アクセスは紀ノ川沿いから県道120号を麻生津峠手前の地蔵尊まで進んだ所から分岐する急坂の道を登りきった先で、登城口には駐車スペースもあり城まではそこから5分程度です。
ただ県道は麓から離合困難な狭路急坂が延々続き地蔵尊から先は舗装も荒れていますので、運転に慣れない方や大きめのクルマの方はくれぐれも注意して訪問してください。

2023年01月01日 鈴木剛
矢倉山城[猿岡山城  周辺城郭]



天正元年(1573年)猿岡山城を東側に築きのち西側の矢倉山に大空堀を掘って粉河寺の守備としていた。今は矢倉墓地となっていてさらに県道122号線が真ん中を貫いています。

2023年01月01日 鈴木剛
御殿[猿岡山城  遺構・復元物]



粉河が藩主の鷹狩の拠点の為、鷹狩に来た時に宿泊した御殿があったようです。

2021年08月30日 琉城A和泉守
粉河寺(城郭寺院)[猿岡山城  周辺城郭]



粉河寺
1573年に僧兵が境内内に城を築いて、寺の防衛を図った(猿岡山城)。1585年、豊臣秀吉の紀州征伐によって陥落。この後、猿岡山城には藤堂高虎が入る。

粉河御殿
元和5年、徳川頼宣が和歌山入封後に造営した、鷹狩りの休憩場所。石垣が残る☆また、近くにある旧南丘家住宅は、御鷹匠屋敷の遺構である。

写真は粉河御殿の遺構である石垣。

2021年06月01日 課長大和守Ver.B
最初ヶ峰城[猿岡山城  周辺城郭]



最初ヶ峰城は南北朝期に南朝方の砦があった所で太平記にもその存在が記されているとのこと。
土塁囲みの主郭に腰郭が付随する縄張りだったようですが、現在は公園化され雛壇状の地形と竪堀や土塁を想起させる植込みが往時を偲ばせるのみです。

アクセスは国道424号より南の山側へ登り詰めた庄前峠から西へ尾根伝いの舗装路を進んだ所で駐車場もあります。
また庄前峠の分岐付近には縄張り図を伴う説明板が設置されています。

遺構はありませんが地元では桜と夜景の名所として知られているらしく城跡から眺める紀ノ川流域の景観も素晴らしいので近くまで行かれる際には是非(^^)

2020年11月28日 首藤志摩守通宗
猿岡山城



粉河寺方面から川沿いに進むとこの看板に出会います。駐車場はないけど看板横に1台停めるスペースがあったので駐車。
階段を登る過程では遺構らしきものはなく、明確にわかるのは反対側の遊具周辺に認められる削平地くらいでしょうか。
展望台下の長い道だけ時間切れで行けなかったので、そこには何かあるのかも?と思いながら下城。

2020年10月03日 琉城A和泉守
猿岡山城



藤堂高虎が築いた城。粉河寺境内にある秋葉山にある。遺構は曲輪のみ。

登城口は3カ所ある。

二の丸跡には石碑と説明板がある。本丸跡には遊具があり、そこから一段降りたところに腰曲輪がある。城跡は公園として整備されている。

① 石碑と説明板
② 整備された曲輪跡
③ 本丸跡
④ 本丸跡の後ろにある腰曲輪
⑤ 南の登城口を降りていったところにある削平地

駐車場は有料駐車場に止めました。

2016年12月29日 まるき〜陸中守
猿岡山城

近所を通ったので寄り道してきました…

紀の川市地域巡回バスのバス停「秋葉台」より住宅地の奥に迷い込み住民の方に声をかけてみたら駐車場は無いとの事
粉河寺の駐車場を利用すると500円かかるので城跡観るだけならどこに停めても構わないと言う事で空いてるスペースに停めさせて頂きました。
城跡まで歩いて2分!
子供が遊べる遊具等がある公園になっていますが説明を読むと切り通し堀等の遺構らしいものがあるらしく探してみると粉河寺とこの山の間は確かに人工的に切り立った崖っぽい感じがする。
山頂?付近は平らにしてあり陣地っぽくていかにも城跡、現地を頭の中の想像で、塀と幟を立てて当時の様子を思い浮かべて自己満足。
北側に粉河寺、南側には展望台があるがあまり高くないので眺望はイマイチ…でした。

粉河寺は西国三十三所の三番です。
ついでに猿岡山城のリア攻め!どーでしょう…。

猿岡山城の周辺スポット情報

 堀切(遺構・復元物)

 御殿(遺構・復元物)

 飯盛山城 模擬天守(遺構・復元物)

 粉河寺の堀切(遺構・復元物)

 矢倉山城南の堀切(遺構・復元物)

 最初ヶ峰城 説明板(碑・説明板)

 猿岡城址の碑(碑・説明板)

 粉河寺(城郭寺院)(周辺城郭)

 最初ヶ峰城(周辺城郭)

 今城山城(周辺城郭)

 佐藤城(周辺城郭)

 矢倉山城(周辺城郭)

 飯盛山城(周辺城郭)

 観光特産センターこかわ(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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