最初ヶ峰城

最初ヶ峰城([猿岡山城  周辺城郭])

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最初ヶ峰城の口コミ情報

2024年08月28日 琉城A和泉守


最初ヶ峰城/古戦場
1359年、南朝方の四条隆俊が約三千騎を率いて最初峯に陣を張るという情報を紀伊国守護 畠山国清がキャッチ。国清は弟の義深を大将にし約三万騎を与えて最初峯へ向かわす。しかし義深は最初峯に相対する和佐山(和歌山市)に砦を築くと言い3日間そこに留まった。
それを知った南朝方侍大将の塩谷伊勢守は北朝方をはめてやろうということで、最初峯から撤退するふりをして、隣にある龍門山まで兵を引いた。
するとその様子を見た畠山氏の執事 遊佐勘解由左衛門は、「敵が逃げるぞ!!追いかけて討てー!!」と命令。急すぎたので盾も持たず、陣形の指示もないまま最初峯へ...
ところがこの龍門山、まさに龍のような山で馬で登るのに一苦労。平坦な場所で休憩をしていたその時!!千人ほどの伏兵が東西の尾根から現れ、矢の雨を浴びせた。慌てた北朝軍勢は谷地へ逃げるも大量の矢を浴び大量の戦死者が出た(青血谷伝説)。すると、どうすることもできない義深軍の前に大変立派な馬に乗った武者が現れ、「塩谷伊勢守」と名乗り前に進むと、その後ろから二千騎超の郷土軍が物凄い勢いで攻めかかってきた。義深軍は焦りまくって3キロほど退却。これを深追いしすぎた塩谷伊勢守は、馬を倒され自身も崖から約15メートル下に転落。目が眩むすきに敵に囲まれ戦死したのであった。(太平記より)
※現在の紀の川市桃山町最上に塩谷伊勢守戦死碑が建てられている。
さて肝心の最初ヶ峰城だが、麓から車で行けるのでアクセス良好。展望所として整備されているため当時のものと思われる遺構は残っていないと云われるが、土塁が築かれていた面影はある。夜景がとっても綺麗です✨
紀の川市にはこの他にも古和田城や紀伊飯盛山など南北朝に関係する史跡が多くあります。

2021年06月01日 課長大和守Ver.B


最初ヶ峰城は南北朝期に南朝方の砦があった所で太平記にもその存在が記されているとのこと。
土塁囲みの主郭に腰郭が付随する縄張りだったようですが、現在は公園化され雛壇状の地形と竪堀や土塁を想起させる植込みが往時を偲ばせるのみです。

アクセスは国道424号より南の山側へ登り詰めた庄前峠から西へ尾根伝いの舗装路を進んだ所で駐車場もあります。
また庄前峠の分岐付近には縄張り図を伴う説明板が設置されています。

遺構はありませんが地元では桜と夜景の名所として知られているらしく城跡から眺める紀ノ川流域の景観も素晴らしいので近くまで行かれる際には是非(^^)

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