日根荘城館(ひねのしょうじょうかん)

日根荘城館の基本情報

通称・別名

日根荘城館[土丸城(槌丸城)・雨山城]

所在地

大阪府泉佐野市土丸/泉南郡熊取町野田(地図は土丸城を示す)

旧国名

和泉国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

日根野氏[土丸城]、橋本正高[雨山城]

築城年

南北朝時代[すべて]

主な改修者

主な城主

日根野氏[土丸城]、橋本氏、広橋氏、根来寺衆[雨山城]

廃城年

元和3年(1617)[すべて]

遺構

曲輪、土塁、堀切、井戸[すべて]

指定文化財

国史跡(日根荘遺跡)

再建造物

説明板[すべて]

周辺の城

根福寺城(大阪府貝塚市)[2.7km]
千石堀城(大阪府貝塚市)[5.6km]
積善寺城(大阪府貝塚市)[6.9km]
吉見陣屋(大阪府泉南郡)[7.6km]
畠中城(大阪府貝塚市)[8.0km]

日根荘城館の解説文

日根荘城館は鎌倉時代から戦国時代にかけて、現在の泉佐野市域にあった雨山城・土丸城を含む城館等の総称。「日根荘遺跡」として国の史跡に指定されている。

雨山城
雨山城は、1346年に、楠木氏の一族の橋本正高が築いたとされる南朝方にとって泉州地方の拠点となった山城である。1388年には、南朝方の広橋経泰らが兵を起こし、雨山城に籠城したものの、北朝方の山名義理の攻めにより落城した。その後は和泉山脈の南側にある根来寺根来寺衆の拠点となった時期もあり、豊臣秀吉の根来・紀州攻めの際には、根来寺衆側が防衛線を岸和田城の南、近木川沿いに設け、在地の武士勢力と根来寺の寺院勢力が合体して、この城にも籠もったとされている。最終的には1617年に城郭そのものが破却されたと伝えられている。

雨山城は元々、紀州と泉州を結ぶ粉河街道をおさえる事を目的に楠木氏の一族の橋本正高が築いた山城であり、泉州北部の宮里城と並んで南朝方にとっては紀泉国境の防衛線の基幹部分として非常に重要な山であった。1347年、北朝方の命を受けて、和泉国守護に就任した高師泰は、雨山の麓、熊取荘に隣接する日根野荘の在地の武士であった日根野時盛にこの城の固めを命じた。この後、足利尊氏、足利直義兄弟の骨肉の争いから高師泰は左遷され、南朝方が勢力を盛りかえした結果、1353年に、再び南朝方の橋本正高の手に渡った。

その後、橋本正高は1352年に北朝方の日根野氏から土丸城を奪取し、城郭を整備すると共に自らの勢力の拡大もししていったものの、城は足利義満の軍の攻撃を受けて落城し、更に、正高自身も1380年に高名里で戦死したと伝えられている。

土丸城
土丸山の頂上にあった中世の城郭。南北朝時代頃に築かれたものとされる。現在、山上には神社や碑、古井戸などがある。

この土丸城を、谷を隔てて向かい合う雨山にある雨山城の出城として、2つの城を合わせて雨山城と呼ぶこともある。

日根荘城館の口コミ情報

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