日根荘城館(ひねのしょうじょうかん)

日根荘城館の基本情報

通称・別名

日根荘城館[土丸城(槌丸城)・雨山城]

所在地

大阪府泉佐野市土丸/泉南郡熊取町野田(地図は土丸城を示す)

旧国名

和泉国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

日根野氏[土丸城]、橋本正高[雨山城]

築城年

南北朝時代[すべて]

主な改修者

主な城主

日根野氏[土丸城]、橋本氏、広橋氏、根来寺衆[雨山城]

廃城年

元和3年(1617)[すべて]

遺構

曲輪、土塁、堀切、井戸[すべて]

指定文化財

国史跡(日根荘遺跡)

再建造物

説明板[すべて]

周辺の城

根福寺城(大阪府貝塚市)[2.7km]
千石堀城(大阪府貝塚市)[5.7km]
積善寺城(大阪府貝塚市)[6.9km]
吉見陣屋(大阪府泉南郡)[7.6km]
稲葉城(大阪府岸和田市)[9.8km]
根来寺(和歌山県岩出市)[9.8km]
岸和田城(大阪府岸和田市)[10.3km]
古和田城(和歌山県紀の川市)[10.4km]
猿岡山城(和歌山県紀の川市)[10.5km]
貝吹山城(大阪府岸和田市)[11.3km]

日根荘城館の解説文



日根荘(ひねのしょう)は、鎌倉時代の天福2年/文暦元年(1234年)に和泉国日根郡に立荘された九条家の家領荘園。同地の歴史的景観を構成するものの中から、14か所が1998年(平成10年)に「日根荘遺跡」として国の史跡に指定され、2005年(平成17年)に長福寺跡が、2013年(平成25年)に土丸・雨山城が追加指定された。

歴史 

長滝荘(東北院領)の東に広がる荒野であった当地では、元久2年(1205年)と貞応元年(1222年)の2度、いずれも高野山によって開発が企てられたものの中止に終わっていた。その後、天福2年(1234年)に九条道家が開発を申請したところ官宣旨が下り、日根荘が成立するに至った。九条家領は寄進地系荘園が多く、九条家自らが開発した日根荘は特異な存在であった。

当初は入山田・日根野・井原・鶴原の4村で構成されていたが、井原・鶴原の2村は室町時代中期に守護(細川氏)領となった。また、入山田村は船淵・菖蒲・大木・土丸の4集落から成り、入山田4ヶ村とも呼ばれた[1]。入山田・日根野の2村は、現在の大阪府泉佐野市大木地区・土丸地区・日根野地区に該当し、熊取町の一部にも跨っていた。

中世当時の様子は『九条家文書』や、文亀元年(1501年)3月から永正元年(1504年)12月まで九条政基が入荘した際に記した『政基公旅引付』などの古文書から窺い知ることができ、『日根野村絵図』[2]に描かれた寺社・ため池・丘陵などの景観配置は現在まで保持されている。

上述の古文書や絵図にも登場し、中世荘園の様子をとどめる寺社、城跡、ため池、水路など16か所が「日根荘遺跡」として国の史跡に指定されている[3]。また、日根荘の奥に位置し、往時の景観を残す大木地区は、犬鳴山七宝瀧寺の境内を含め、「日根荘大木の農村景観」の名称で文化財保護法に基づき重要文化的景観として選定されている[4]

日根荘遺跡指定地一覧 

{| class="wikitable" style="width:100%;float:left;text-align:center;"

! width="15%" | 物件名 ! width="10%" | 地区 ! width="30%" | 概要 ! width="20%" | 主要イメージ |- valign=top |align=left|火走神社 |align=left|大木 |align=left|火走神社を参照。 |File:Hinenosyou6.JPG|200px|
火走神社 |- valign=top |align=left|香積寺跡 |align=left|大木 |align=left|『政基公旅引付』に記述があり、江戸時代の絵図には光若寺とも記載される。上大木の森林内に基壇と石仏や石塔などが残る。 |File:No image.jpg|150px| |- valign=top |align=left|蓮華寺 |align=left|大木 |align=left|『政基公旅引付』に記述がある。現在は上大木の集会所として使われている。 |File:No image.jpg|150px| |- valign=top |align=left|毘沙門堂 |align=left|大木 |align=left|堂がある一帯は五所谷(御所谷)と呼ばれる中大木の山間中腹に位置し、『政基公旅引付』では御所谷集会所と記載。現在でも講が営まれている。 |File:Hinenosyou3.JPG|200px|
毘沙門堂 |- valign=top |align=left|円満寺 |align=left|大木 |align=left|現在は上大木の集会所として使われている。 |File:Hinenosyou4.JPG|200px|
円満寺 |- valign=top |align=left|長福寺跡 |align=left|大木 |align=left|九条政基が入荘中の四年間滞在していた寺院。慶長16年(1611年)の記録を最後に各種資料から長福寺の記述が消えることから、この頃に廃絶したとみられる。字名に長福寺の呼び名が伝わっており、2002年(平成14年)から翌年にかけて発掘調査が行われ遺跡が確認された。現在は埋め戻し保存され、水田となっている。 |File:Hinenosyou5.JPG|150px|
長福寺跡 |- valign=top |align=left|土丸・雨山城跡 |align=left|土丸・熊取町 |align=left|土丸山は城ノ山とも呼ばれ、南北朝から戦国時代にかけて山城が築かれ、山頂付近に曲輪や堀切などの遺構が残る。九条政基が戦乱を避け山城へ籠った記述が『政基公旅引付』にみえる。 |File:Ameyama (Kumatori, Osaka)1.jpg|200px|
雨山山頂 |- valign=top |align=left|日根神社 |align=left|日根野 |align=left|日根神社を参照。 |File:HineJinjaHonden.jpg|200px|
日根神社 |- valign=top |align=left|慈眼院 |align=left|日根野 |align=left|慈眼院を参照。 |File:Jigenin Izumisano05s3200.jpg|200px|
慈眼院 |- valign=top |align=left|総福寺 |align=left|日根野 |align=left|『日根野村絵図』での禅林寺に比定。『九条家文書』に記述がある天正年間(1573年 - 1592年)創建の天満宮(重要文化財)がある。 |File:Hinenosyou1.JPG|200px|
総福寺天満宮 |- valign=top |align=left|野々宮跡 |align=left|日根野 |align=left|『日根野村絵図』での丹生大明神。 |File:No image.jpg|150px| |- valign=top |align=left|新道出牛神(しんどうでうしがみ) |align=left|日根野 |align=left|『日根野村絵図』では牛神松として描かれる。農作業に従事する牛を祀る。 |File:新道出牛神.jpg|200px
新道出牛神 |- valign=top |align=left|十二谷池 |align=left|日根野 |align=left|『日根野村絵図』では住持谷池。樫井川から井川によって取水。 |File:No image.jpg|150px| |- valign=top |align=left|八重治池 |align=left|日根野 |align=left|日根立荘時には既に存在していた自然の池。 |File:No image.jpg|150px| |- valign=top |align=left|尼津池 |align=left|日根野 |align=left|日根立荘時には既に存在していた自然の池で、古くは甘着池と表記。入山田の日根野郷一帯の灌漑を担う水源であった。 |File:No image.jpg|150px| |- valign=top |align=left|井川(ゆかわ) |align=left|日根野 |align=left|樫井川から分水した用水。日根神社・慈眼院の境内を流れ、十二谷池へと至る。 |File:Hinenosyou2.JPG|150px|
井川 |}


日根荘城館の口コミ情報

2022年03月20日 中久
日根荘城館

雨山城跡登山口に車を駐車させ雨山城跡まで軽登山、遊歩道は整備され迷うことなく到着。城跡はベンチが設置されていたりでハイカーの憩い場になっています。

2022年03月16日 イオ右近衛中将
日根荘城館



土丸城

土丸城は南北朝期に北朝方の日根野氏が築いたとされ、後に橋本正高らに奪われて南朝方の城となるなど、南北朝攻防の舞台となりました。戦国期には根来衆の拠点となり、その後、一国一城令により廃城となったと考えられます。

土丸城は粉河街道を見下ろす城ノ山の頂部に曲輪群を配した山城で、東尾根の先の雨山城との間にも城郭遺構が見られることから、一城別郭の城として雨山城と一体的に機能したと考えられ、土丸・雨山城跡として国史跡に指定されています。

雨山城から尾根道を西に進むと、日根荘大木の農村景観を見渡せるあたり(案内板あり)から土丸城を遠望できます。山頂手前の鞍部から登城路をそれて北東の谷部に下りて行くと、階段状に削平地が設けられていますが、これは山麓の土丸集落の住民が戦火や領主の支配を逃れるため「山入り」「山あがり」した際の避難場所とも考えられるようです。

谷部から登城路に戻って急な坂道を登ると主郭東下の曲輪に着きます。曲輪の奥、主郭東辺切岸の下には武者隠しとされる土塁があるにはあるものの、倒木が覆いかぶさっていてほとんど見えません。

主郭北辺切岸を眺めながら北の曲輪を経て主郭へ。雨山城と同じく山頂の主郭には龍王社が鎮座し、錆びついた説明板がありました。主郭から西に続く尾根は灌木が密集していて進入路は見当たりませんが、灌木をかき分けて突入し岩盤の斜面の下に曲輪と堀切を発見。枝で目を衝きそうになったり帽子を取られたりしつつも突入した甲斐が(それなりには)ありました。

主郭に戻って今度は北西尾根へ。北の曲輪から下って行くと堀切があり、その先にはいくつかの曲輪が連なっています。曲輪のひとつは展望所になっていて180度超の視界が開け、泉南はもとより摂津、淡路までが一望の下です! 南北朝期以降の諸勢力が土丸城(と雨山城)を確保したいと考えた理由(の一端)を実感できました。

2022年03月15日 イオ右近衛中将
雨山城[日根荘城館  周辺城郭]



南北朝期に楠木氏一族の橋本正高が築いたとされ、北朝方との攻防の舞台となりました。戦国期には根来衆の拠点となり、その後、一国一城令により廃城となりました。

粉河街道を見下ろす雨山の頂部に曲輪群を配した山城で、西尾根の先の土丸城との間にも城郭遺構が見られることから、一城別郭の城として土丸城と一体的に機能したと考えられ、土丸・雨山城跡として国史跡に指定されています。

阪和道の側道沿いに登城口があり、近くの駐車スペースに車を駐めて登城開始。阪和道の高架をくぐり、整備されたハイキングコースを20分ほど登ると伝馬場跡への分岐があったので、そちらに行ってみると曲輪っぽい平坦地が広がり、北西端には東屋が設けられて眺望が開けています。伝馬場跡から数分登ると鳥居があり、鳥居をくぐった先には浅い堀切と土橋がありました。さらに数分で山頂の主郭に到着。

雨山はその名の通り雨乞いの山であり、山頂には雨山龍王社と樹齢200年を超えるヤマモモが祀られていました。主郭には遺構は見られませんが、説明板と休憩所が建てられており、休憩所裏手の一段下の曲輪からは泉南の平野部そして関西空港越しに淡路島を、北西に目を向けると大阪湾越しに六甲山を一望できます。

主郭の東側には千畳敷と呼ばれる広い曲輪があり、千畳敷から北東にのびる尾根には小曲輪群がある…はずですが、シダに沈んでいました。また、千畳敷南東下の月見亭にはテーブルとベンチがあり、日根荘大木の農村景観を見渡すことができます。千畳敷南下(月見亭から西)にも階段状に小曲輪群が設けられており(こちらもシダの中)、小曲輪群下の井戸は現在も水をたたえています。

岩盤むき出しの南側斜面を抜けて西に進むと土丸城へ続く道と北西尾根から山麓に続く尾根道の分岐があり、主郭の南西斜面から竪土塁状に続く土塁と、周囲の小曲輪群によって北西尾根からの侵攻に備えています。小曲輪群をひと通り見た後は、尾根沿いに土丸城に向かいました。

2022年01月10日 左衛門督吉川
日根荘城館

雨山登山の頂上で取りましたが、この登山道が沢山あり絶景が見れます。超お勧めです。

2022年01月06日 RED副将軍
日根荘城館



スポット登録地は土丸城の主郭であり、土丸城についての口コミ投稿です。

雨山城と一城別郭で一体として機能した城郭。
南北朝時代は南朝と北朝方とで激しい争奪戦が行われました。

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1347年、北朝の足利尊氏により和泉国守護に就いた高師泰が家臣の日根野盛治に築かせたと伝わります。
前年の1346年には谷を挟んで400m北東には南朝方で楠木氏一族の橋本正高が雨山城を築城しており、バチバチにやり合った激戦の地です。
1353年には日根野氏は南朝方に土丸城を奪われ、以降は南朝方の拠点として雨山城と一体で機能した様です。
幾度と北朝方と交戦の後、1378年に北朝方の山名氏清により落城。
1388年、南朝方の広橋経泰が挙兵し籠城するも、北朝方の山名義理により落城。
戦国時代は根来寺の根来寺衆の拠点となり、豊臣秀吉による根来・紀州攻めの際には根来衆が籠城して交戦したと伝わります。
1617年の一国一城令で雨山城と共に破却。

見所
標高287mの城ノ山山頂に主郭を置き、東、西、北西の三方の尾根に郭を配した縄張りです。
主郭の切岸は鋭く、二郭には土塁と堀切が明瞭に残ります。
雨山城に繋がる尾根筋は土橋状となっています。

北東400mにある雨山山頂の雨山城と一体で機能したとも考えられており、併せての登城をオススメします。いわゆる一城別郭の城郭です。雨山城から谷を挟んで20分位の登城です。

2022年01月05日 RED副将軍
雨山城[日根荘城館  周辺城郭]



南北朝時代の南朝方の拠点🏯
北朝方と激しい争奪戦が行われた城郭です⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1346年に南朝方で楠木氏一族の橋本正高が築城。標高312mの雨山は紀州と泉州を結ぶ粉河街道をおさえる要衝でありその山頂に築かれました。
幾度と北朝方と交戦の後、1378年に北朝方の山名氏清により落城。
1388年、南朝方の広橋経泰が挙兵し、雨山城に籠城するも、北朝方の山名義理により落城。
戦国時代は根来寺の根来寺衆の拠点となり、豊臣秀吉による根来・紀州攻めの際には根来衆が籠城して交戦したと伝わります。
1617年の一国一城令で土丸城と共に破却。

見所
山頂の主郭と主郭東下の千畳敷と呼ばれる副郭、その南下の月見亭の3つの郭を中心とした縄張り。
城域北側に馬出しを配し、主郭への尾根筋は堀切で分断、両サイドは竪堀が落ちています。
名の通り雨乞いの山であり、山頂に龍王社が祀られています。

行き方は、城域北側麓の阪和自動車道高架下に登山口があり、広い路肩に駐車することが出来ます。
比高は約200m位で登山道はよく整備されています。現地案内板では約50分のハイキングコースとなっています。

南西400mにある城ノ山山頂の土丸城と一体で機能したとも考えられており、併せての登城をオススメします。

2021年01月20日 ひろ弾正少弼
日根荘城館



雨山・土丸城跡に行ってきました!
永楽ダムからハイキングコースで展望台経由で行けて一挙両得です。
石垣はなく遺構は少なめでしたが 府内でここまで残っていれば十分ですね。

2020年03月13日 天道式部卿早雲
登城口(土丸城側)[日根荘城館  その他]

土丸城側の登城口です。
泉佐野駅前からのバスで近くまで行けます。

・南海ウイングバス
南部23犬鳴線
バス停「土丸」もしくは「大土出張所前」で降車
※「水呑地蔵」で降車すると近くに別の登城口があるようです

近くに駐車スペースは見当たりませんでした。
登城道に結構な傾斜部分があります。
お車利用の方は、雨山城側からのリア攻めをおすすめします。

2020年03月13日 天道式部卿早雲
登城口・駐車場(雨山城側)[日根荘城館  その他]



2013年に大阪府泉佐野市の国史跡日根荘遺跡に追加指定された雨山城・土丸城の雨山城側の登城口
近くに車5台ほどの駐車スペースあります
雨山城主郭まで30分
※雨山城は熊取町
土丸城主郭まで+15分ほど


2019年03月17日 馬秀のすけ
日根荘城館

阪和道下の登山口から土丸城→雨山城へというコース。土丸城へはちょっとキツいが登山道は整備されてた。雨山城から下山のコースが楽チン。成合口からバスで熊取駅へ帰りました。

2018年12月31日 ℵ新居泰之進ℵ
日根荘城館

《PART1》
この口コミについては、このアプリで「日根荘城館」と登録されている城の中でも「雨山城&土丸城」の2城について書く。
2城で分けているが、2城の間には大きな谷で区切られているものの距離的には400mも離れていない。
いわゆる一城別郭の城である。

【難易度&アクセス&駐車場】
山城レベル⦅普通⦆
駐車場は、雨山城のある雨山の北側に雨山城の看板と駐車スペースがある。
雨山城の北に阪和自動車が走っているが、それより少し北側の「成合南」というところだ。
城の北側に駐車した後、雨山に向かって「雨山城」の看板があるので、それに従って阪和自動車の下を通って、歩いて山へと向かっていく。
ハイキングコースとして整備されおり、非常に整備されて歩きやすい。

2018年12月31日 ℵ新居泰之進ℵ
日根荘城館

《PART2》
城跡まで「〜町」の石碑もあるので、目安となる。
登山口から歩いて27分程度で城跡へと至った。

【見所】…雨山城
上記の登山道を登っていくと鳥居が見える。
この辺りが、現地の看板の縄張図によれば虎口郭とある。
鳥居を越えて直ぐ両端に竪堀が落ちているのが
確認できる。
★見所①虎口郭竪堀

虎口郭を南にいくと千畳敷と主郭の非常に高く切り立った切岸がみえる。
★見所②:主郭&千畳敷切岸

2018年12月31日 ℵ新居泰之進ℵ
日根荘城館

《PART3》
主郭には雨山神社跡の祠がある。
また、主郭と千畳敷の間から少し下りたところに井戸跡がある。
★見所③:井戸跡

【見所】…土丸城
井戸跡から歩いて10分程度で土丸城にも行ける。
雨山城から土丸城に行く途中で物見郭のような高台があり、そこを越えていくと直ぐ土丸城だ。
土丸城への案内板があるので、迷うことはないと思う。
土丸城に到着すると、広く削平された三の丸があり、三の丸の西側に土塁がある。
その土塁と主郭の間が一見深い堀切のように見えるが、「武者隠し」となっており珍しい構造である。
★見所④:三の丸西側の武者隠し

主郭には、櫓台に祠があり、さらにその祠の三の丸側には、低いが見てわかる程度の土塁もある。
★見所⑤:主郭の櫓台&土塁

主郭北側は二の丸でその北側には二段郭がある。
そこに登城道沿いに浅いが堀切がある。
★見所⑥:北側の二段郭沿い堀切

さらに主郭の西側にも堀切がある。ただし、こちらは藪漕ぎの上に切岸を下りないと見れない。
★見所⑦:主郭西側の堀切

日根荘城館の周辺スポット情報

 雨山城(周辺城郭)

 土丸側駐車場(駐車場)

 登城口・駐車場(雨山城側)(その他)

 登城口(土丸城側)(その他)

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