雨山城

雨山城([日根荘城館  周辺城郭])

日根荘城館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「雨山城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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雨山城の口コミ情報

2022年03月15日 イオ右近衛中将


南北朝期に楠木氏一族の橋本正高が築いたとされ、北朝方との攻防の舞台となりました。戦国期には根来衆の拠点となり、その後、一国一城令により廃城となりました。

粉河街道を見下ろす雨山の頂部に曲輪群を配した山城で、西尾根の先の土丸城との間にも城郭遺構が見られることから、一城別郭の城として土丸城と一体的に機能したと考えられ、土丸・雨山城跡として国史跡に指定されています。

阪和道の側道沿いに登城口があり、近くの駐車スペースに車を駐めて登城開始。阪和道の高架をくぐり、整備されたハイキングコースを20分ほど登ると伝馬場跡への分岐があったので、そちらに行ってみると曲輪っぽい平坦地が広がり、北西端には東屋が設けられて眺望が開けています。伝馬場跡から数分登ると鳥居があり、鳥居をくぐった先には浅い堀切と土橋がありました。さらに数分で山頂の主郭に到着。

雨山はその名の通り雨乞いの山であり、山頂には雨山龍王社と樹齢200年を超えるヤマモモが祀られていました。主郭には遺構は見られませんが、説明板と休憩所が建てられており、休憩所裏手の一段下の曲輪からは泉南の平野部そして関西空港越しに淡路島を、北西に目を向けると大阪湾越しに六甲山を一望できます。

主郭の東側には千畳敷と呼ばれる広い曲輪があり、千畳敷から北東にのびる尾根には小曲輪群がある…はずですが、シダに沈んでいました。また、千畳敷南東下の月見亭にはテーブルとベンチがあり、日根荘大木の農村景観を見渡すことができます。千畳敷南下(月見亭から西)にも階段状に小曲輪群が設けられており(こちらもシダの中)、小曲輪群下の井戸は現在も水をたたえています。

岩盤むき出しの南側斜面を抜けて西に進むと土丸城へ続く道と北西尾根から山麓に続く尾根道の分岐があり、主郭の南西斜面から竪土塁状に続く土塁と、周囲の小曲輪群によって北西尾根からの侵攻に備えています。小曲輪群をひと通り見た後は、尾根沿いに土丸城に向かいました。

2022年01月05日 RED副将軍


南北朝時代の南朝方の拠点🏯
北朝方と激しい争奪戦が行われた城郭です⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1346年に南朝方で楠木氏一族の橋本正高が築城。標高312mの雨山は紀州と泉州を結ぶ粉河街道をおさえる要衝でありその山頂に築かれました。
幾度と北朝方と交戦の後、1378年に北朝方の山名氏清により落城。
1388年、南朝方の広橋経泰が挙兵し、雨山城に籠城するも、北朝方の山名義理により落城。
戦国時代は根来寺の根来寺衆の拠点となり、豊臣秀吉による根来・紀州攻めの際には根来衆が籠城して交戦したと伝わります。
1617年の一国一城令で土丸城と共に破却。

見所
山頂の主郭と主郭東下の千畳敷と呼ばれる副郭、その南下の月見亭の3つの郭を中心とした縄張り。
城域北側に馬出しを配し、主郭への尾根筋は堀切で分断、両サイドは竪堀が落ちています。
名の通り雨乞いの山であり、山頂に龍王社が祀られています。

行き方は、城域北側麓の阪和自動車道高架下に登山口があり、広い路肩に駐車することが出来ます。
比高は約200m位で登山道はよく整備されています。現地案内板では約50分のハイキングコースとなっています。

南西400mにある城ノ山山頂の土丸城と一体で機能したとも考えられており、併せての登城をオススメします。

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