古和田城(ふるわだじょう)

古和田城の基本情報

通称・別名

和田城

所在地

和歌山県紀の川市古和田(光円寺)

旧国名

紀伊国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

和田氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

和田氏

廃城年

遺構

曲輪、堀跡

指定文化財

再建造物

周辺の城

根来寺(和歌山県岩出市)[3.9km]
猿岡山城(和歌山県紀の川市)[4.6km]
和佐山城(和歌山県和歌山市)[10.1km]
北野城(和歌山県和歌山市)[10.2km]
日根荘城館(大阪府泉佐野市)[10.4km]
根福寺城(大阪府貝塚市)[11.2km]
寺中城(和歌山県海草郡)[12.6km]
秋月城(和歌山県和歌山市)[14.7km]
吉見陣屋(大阪府泉南郡)[14.7km]
薗部城(和歌山県和歌山市)[15.0km]

古和田城の口コミ情報

2021年09月06日 イオ右近衛中将
古和田城



古和田城は、南北朝期に和田氏が居城としていましたが、後に和田氏が和泉国・岸和田に岸和田城を築いて移ったことによって廃城となり、和田氏の故地として「古和田」と呼ばれるようになったと伝わります。しかし、近年ではこの伝承は疑問視されているようです。

小字「古城跡」の台地が城跡で、現在は光円寺の境内になっていて目立った遺構はありませんが、光円寺の東側は2メートルほどの高低差があり、道路との間の低地は堀跡とされます。その南側、城跡の南東隅には細長い池が見られ、西側の道路脇の水路も堀の名残と思われます。

仕事で近くに来たついでの登城でしたが、周囲をぶらぶら歩いてみると、地形や池、水路などから思いのほか城の痕跡を感じることができました。

2020年12月05日 琉城A和泉守見廻組
古和田城

南北朝時代に和田氏によって築かれたと云われている。親遠が河内国からこの地に移り、和田城を築く。親遠の子、高遠が正遠を出産。その弟の高家の時に和田城を廃する。和泉の岸ノ城に移ったあと、この地を古い和田で古和田と呼ぶようになった。
現在は光円寺になっている。

堀跡とされていた田は埋められている。

写真は城郭写真を参考に…。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore