古和田城(ふるわだじょう)
古和田城の基本情報
通称・別名
- 和田城
所在地
- 和歌山県紀の川市古和田
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 和田氏
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 和田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀跡
指定文化財
- -
再建造物
- -
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-
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古和田城の口コミ情報
2021年09月06日 イオ左衛門佐
古和田城
古和田城は、南北朝期に和田氏が居城としていましたが、後に和田氏が和泉国・岸和田に岸和田城を築いて移ったことによって廃城となり、和田氏の故地として「古和田」と呼ばれるようになったと伝わります。しかし、近年ではこの伝承は疑問視されているようです。
小字「古城跡」の台地が城跡で、現在は光円寺の境内になっていて目立った遺構はありませんが、光円寺の東側は2メートルほどの高低差があり、道路との間の低地は堀跡とされます。その南側、城跡の南東隅には細長い池が見られ、西側の道路脇の水路も堀の名残と思われます。
仕事で近くに来たついでの登城でしたが、周囲をぶらぶら歩いてみると、地形や池、水路などから思いのほか城の痕跡を感じることができました。
2020年12月05日 琉城A和泉守
古和田城
南北朝時代に和田氏によって築かれたと云われている。親遠が河内国からこの地に移り、和田城を築く。親遠の子、高遠が正遠を出産。その弟の高家の時に和田城を廃する。和泉の岸ノ城に移ったあと、この地を古い和田で古和田と呼ぶようになった。
現在は光円寺になっている。
堀跡とされていた田は埋められている。
写真は城郭写真を参考に…。