上赤坂城(かみあかさかじょう)

上赤坂城の基本情報

通称・別名

上赤阪城、楠木城、小根田城、桐山城

所在地

大阪府南河内郡千早赤阪村桐山

旧国名

河内国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

楠木正成

築城年

元弘年間(1331〜1334)

主な改修者

主な城主

楠木氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(楠木城跡(上赤阪城跡))

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

下赤坂城(大阪府南河内郡)[1.6km]
龍泉寺城(大阪府富田林市)[3.9km]
千早城(大阪府南河内郡)[4.2km]
白木陣屋(大阪府南河内郡)[4.4km]
平石城(大阪府南河内郡)[5.9km]

上赤坂城の解説文

上赤坂城(かみあかさかじょう)は、日本の城。国の史跡に指定されている。
「上赤阪城」と書くこともある。別名、楠木城。小根田城、桐山城とも言う。楠木七城の一つ。

概要と沿革
鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の本城である。
昭和9年(1934年)3月13日、国の史跡に指定された。

現在、遺構として、等高線に沿った横堀と曲輪が認められる。これは、戦国期に改修を受けたものだと考えられる。

歴史
元弘の乱の主要な舞台となった。元弘2年(1332年)の正成再挙兵後、再び下赤坂城が落城すると、新たに築いたが当城が楠木氏の本城となり、幕府軍に対した。翌元弘3年(1333年)、上赤坂城も落城し、正成は千早城に転じてさらに抗戦を続け、幕府軍を苦しめた。

周辺の金剛山の尾根上には下赤坂城とともに猫路山城・国見山城・枡形城等の出城が築かれており、赤坂城塞群を形成していた。この城塞群は南北朝期にも南朝方の拠点となったが、延文5年(正平15年、1360年)に北朝方の手に落ちた。

上赤坂城の口コミ情報

カーネル様[2016年01月11日]
近鉄富田林駅から金剛登山口行きのバスに乗り、森屋バス停で下車

バスを降りたら駅に戻る方面に歩き、森屋信号を左折し甲取橋を経由して坂道をひたすら登ると下赤坂城です
下赤坂城は見学時間2分ですが棚田がきれいなので、こっちメインで来ても来る価値あり・・・かも

それでは森屋バス停に戻り、道の駅ちはやあかさかを過ぎると、道沿いに足谷ハイキングコースの案内看板があり、これに上赤坂城の文字があります。疲れが出始める頃で少しテンションアップ
登山口に辿り着いたのは下赤坂城をでてから50分。思ったより遠かった

本丸までは、道はしっかりしてるし傾斜もそれほどきつくなく、二ノ丸に寄り道しても20分で到着
段丘の曲輪と、立派な土橋が印象的のお城でした

森屋バス停から下と上の赤坂城に行ってからバス停に戻るまで2時間半でした

森屋バス停から金剛登山口行きに乗って千早城へいけますのでセットでどうぞ

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

ŧ‹”ŧ‹”。様[2015年10月23日]
登城口にわずかながら、車を駐車出来るスペースがありそこから、切通しを延々と登る事
約25分で本丸に到着します。
石碑の建っている所からは、大阪市内が一望できます。
当日の10月第3日曜は、だんじり祭が行われており下から祭りの声が聴こえていました。

その石碑から反対方向に行き、一段下がった曲輪より斜面をトラロープを使って下ると堀切があり。
更にその先にも、土橋と竪堀がありました。
本丸の周囲には、帯曲輪が配置されており
曲輪も広く、こちらが本城だと言う事が伺い知れます。
本丸より来た道を戻り、二ノ丸に行く途中の分かれ道の下にも立派な堀切と竪堀が確認出来ます。
二ノ丸の南側斜面下にも曲輪と竪堀があり
かなり強固な造りであったと思われます。
山城好きな方には、上赤坂城に時間を費やした方が得策かと。

ポリタンク大和守様[2012年09月23日]
本郭南側に虎ロープがあり、堀切まで降りることができます。

二郭の周りの横堀、竪堀及び二重堀切は見応えがありますが、一般的な見学には適さない環境です。トレッキングシューズを履いて慎重に移動しましょう。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore