阿木城
阿木城([岩村城 周辺城郭])
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阿木城の口コミ情報
2023年04月03日 RED副将軍
遠山七頭のひとつである阿木遠山氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。遠山七頭のひとつに数えられる阿木遠山氏の居城。遠山七頭とは、岩村、苗木、明知、飯羽間、串原、阿寺、阿木の七家。阿木遠山氏は岩村遠山氏の分流にあたります。岩村城防衛のために築いた遠山十八支城の一つでした。遠山氏は元々、武田氏に属していましたが、1572年に岩村城の遠山景任が急死すると遠山氏は織田信長に従います。岩村城が武田氏家臣の秋山虎繁により落とされると、織田・遠山軍の最前線基地として整備されました。しかし、1574年に武田勝頼の侵攻により落城。そのまま廃城となった様です。
見所
標高532mの城ヶ峰ピークに築かれています。山頂に直径約50mの円形の主郭を配し、主郭の南から北西にかけて横堀状の帯郭が巡ります。主郭北東には二郭が広がり、その北側は深い二重堀切で遮断されています。シンプルな縄張りですが高く鋭い切岸はなかなか見応えがあり、整備状況も抜群です。
行き方は、県道406号から城域南側に向かうと登城口があり駐車場も完備されています。比高は50mほどで登城路も整備されているので気軽に登ることが出来ます。
2022年10月04日 【城郭道】たっきー
【織田武田抗争の地の一つ】
阿木城、岐阜県中津川市。岩村遠山氏が築き、阿木遠山氏が入った山城。岩村城攻めの際に織田方の最前線基地となりましたが、武田方に落ちました。現在、土塁、曲輪そして美しい堀切が良好な状態で残っています。虎口で僕が滑ったのはまた別のお話。御城印は登城口にあります。300円なり。
2022年09月03日 ほりーないと
〈御城印の情報〉
1枚300円
登城口のパンフレット置き場で無人販売しています。代金は"協力金入れ"へ入れて下さい。
阿木城跡保存会の会長さんに偶然お会いして「最近、御城印の販売を始めた」と教えていただきました。
以前は登城記念として城城印を無料配布していました。(無料配布分は少し残っています)
パンフレット置き場には、阿木城の山野草情報、周辺観光マップもあります。会長さんが作成した阿木城の詳細な案内(持ち帰り不可)があるので、見て欲しいと話していました。
阿木城がいつ頃に築かれていたのか定かではありません。織田信長、武田信玄、どちらかの勢力によって造られたのか…
御城印の多くは家紋が入っています。阿木城は築城主不明のため、旧阿木村の村章が使われています。
保存状態がよく、見応えがある城です。登城道が整備され、所々に案内板があるので歩きやすいです。
時間と天候の都合で東側の二重堀切には辿り着けませんでした。会長さんのお話も強い雨が降りだして途中になってしました。
「今度来る時は声をかけてください。案内します」と会長さんが言ってくれました。また阿木城へ行きたいです!
※御城印の口コミ投稿は阿木城跡保存会の会長さんの許可をいただいています。
2020年11月18日 とんかつおやじND
阿木城は通称城ヶ峰と呼ばれる標高541m、比高差約60mの山上一帯に築かれています。城の広さは東西約180m、南北約150mで、近隣の中世城郭の中では大規模な城です。遺構の保存状態も良く、当時の城の形態がよく分かります。
城がいつ頃に築かれていたのかは定かではありませんが、文献や遺構などから戦国時代末期には築城されていたと考えられています。
戦国時代の東濃地方は、織田氏・武田氏の激しい勢力争いが繰り広げられており、その中で阿木城も何らかの役割を果たしていたと思われます。 中津川公式サイトより
個人所有ですが 手入れが行き届いてます
切岸や堀切など崩落防止手入れあり
見学路も階段等ありカメラ片手にでも回りやすくなってます
登城口に五城印と説明パンフレットあり
寸志の募金箱設置されてます
個人的に北東側の二重堀切が特におすすめ