飯羽間城
飯羽間城([岩村城 周辺城郭])
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飯羽間城の口コミ情報
2023年02月15日 RED副将軍
遠山七頭のひとつである飯羽間遠山氏の居城🏯武田勝頼による遠山領侵攻において最後に残った堅城
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
飯羽間城(いいばまじょう)と読みます。
築城年代は不詳。飯羽間遠山氏の代々の居城。岩村城を本城とした遠山十八支城のひとつにも数えられています。遠山氏は、鎌倉幕府の有力御家人であった加藤景廉が源頼朝から功績として遠山荘を与えられ、嫡男の景朝が入封し遠山氏を名乗ったのが始まりです。遠山氏は岩村城を拠点として遠山荘を治め、分流のひとつが飯羽間遠山氏でした。1572年には武田信玄の家臣である秋山虎繁による侵攻で岩村城が落城。信濃侵攻を目指す織田信長は、岩村城の周囲に城砦を配します。1574年に家督を継いだ武田勝頼が再度の東美濃に侵攻。織田軍と対峙しますが遠山十八支城は次々と陥落。飯羽間城は最後まで残りましたが最終的に落城し、そのまま廃城となりました。飯羽間遠山氏は、その後に奪還した苗木城の城主となり、江戸時代には大名となっています。
見所
比高30mの舌状台地の断崖を利用した城跡です。明確な堀切、土塁といった防御設備は見当たらず自然地形と切岸で防御といったストロングスタイルです。主郭部は三段の郭が連なり、城域西側の鞍部は堀切の様にも見えます。後世に農地となっていた様で改変されています。
専用駐車場もありよく整備もされています。
2022年05月08日 やまじろう弾正少弼
登城口は南西の細い道から入ることができます。
2021年10月28日 とんかつおやじND
美濃國恵那郡遠山荘遠山氏の分家飯羽間遠山氏の城 岩村城の出城の役割 遠山十八支城の一つ で 平山城 飯羽間遠山氏は「遠山七家」 飯羽間城は武田軍によって攻め落とされた