阿寺城
阿寺城([岩村城 周辺城郭])
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阿寺城の口コミ情報
2024年06月29日 RED副将軍
遠山七頭のひとつ明照遠山氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。遠山直廉により築かれたとされます。
遠山氏宗家で岩村遠山氏当主の遠山景前が1557年に病没すると後継者争いが勃発。長男の遠山景任が武田信玄の後押しもあり遠山氏宗家の当主を承継し岩村城主となると、次男の遠山武景は苗木遠山氏の養子となり、三男の遠山直廉が手賀野村に阿寺城を築いて明照遠山氏の初代となったとされます。異説もあります。
次兄の遠山武景が京都見物からの帰路で盗賊により殺害されたため、遠山直廉は苗木遠山氏を嗣ぐこととなり苗木城主となります。
しかし1570年に遠山直廉は大威徳寺の戦いて受けた傷により死没。代わって飯羽間遠山氏の遠山友勝が苗木遠山氏を継承し、飯羽間城はその子の遠山友忠が継承しました。
その後、遠山友忠は飯羽間城を長男の遠山友信に任せ、次男の遠山友重を伴い阿寺城へ移りました。
更に父である苗木城の遠山友勝が亡くなると阿寺城は次男の遠山友重に任せ、三男で嫡男の遠山友政を伴って苗木城に入りました。
1574年、甲斐武田氏の命により木曽義昌が阿寺城を攻め寄せ、阿寺城は落城し遠山友重は討死。そのまま廃城となった様です。
見所
中津川西岸の南北に伸びた尾根上に築かれています。
最高所の南端が主郭であり、北へ伸びる尾根に郭が連なります。
主郭の南端は櫓台状になっており御嶽神社が祀られています。主郭南背後は三重堀切で遮断されており最大の見所です。
主郭から北へ伸びる尾根上には二郭、三郭、四郭と連なり、主郭と二郭と三郭は二条の堀切で区切られます。二条の堀切はいずれも東側を遮断せず残し西側は竪堀となり落ちており、二郭と三郭は東側面から回り込む様に虎口が付けられています。
また、三郭への東側通路の側面には石積みが残り、西側の虎口は両脇に巨石を配置し折れの伴う構造となっています。
行き方は、結構難しいです。
まずは県道413号から城域北西にある手賀野配水池を目指します。配水池は住宅地の突き当たりにあります。
配水池から北へ少し戻り宅地の間を回り込み東の谷筋に出ます。谷筋から南へ続く道があるので砂防ダムを越え、足場材の細い通路を渡ると御嶽神社登山道と書かれた看板があるので沢を渡ってロープがあるところを登ると城域です。
詳しくは先人の口コミを見て下さい。私も助かりました。
2023年04月22日 長森原
写真は、苗木城天守展望台から木曽川越しに望んだ阿寺城。遠景中央の、山がU字に凹んだ所から中津川が流れ出しているのですが、阿寺城は中津川左岸の山(写真右側の山)の尾根上に築かれていました。
阿寺城は北を通る中山道の監視城であると共に、岩村城と苗木城を結ぶ最短ルートの街道(岩村城〜阿木〜根ノ上〜阿寺〜中津川〜苗木城)を直接的に守備していました。阿寺城の城域では、この街道は城最南端の堀切から城の西斜面に回って城のすぐ傍を北上し苗木城に向かっていたとされています。(「東海の名城を歩く・岐阜編」)
阿寺城と苗木城の距離は約5.5km、肉眼でも互いに視認でき、遠山氏同族の城として連携して中山道、東山道、飛騨街道の監視に当たったと思われます。
2022年10月24日 陸奥守たろす
【阿寺城登城道】
確かに登城口が分かり辛く一瞬悩みましたが、先達者の口コミのおかげで無事登城することができました。
ありがとうございました。
お礼も兼ねて少し補足させて頂きます。
①今回麓の集落の突き当りにある手賀野配水池のタンク前からスタート!
②少し戻り谷沿いに出て右側奥に見える砂防ダムを目指しましょう。
③砂防ダムに辿りついたら横の階段を登りましょう。
④ご紹介のあった足場材の仮設通路を渡ってください。あぁ!これこれ!と心踊ります♪
⑤しばらくすると「御嶽神社登山道」の看板が現れますので、適当に沢を渡ります。この時もこれや〜!とワクワクしながら渡りましょう♪
⑥この後少し悩みましたが、左側にロープが張ってある所が見えたので、とりあえずそこから直登しました。
⑦あとはそれらしい道を登って下さいw
(途中色落ちた黄色のテープが数か所あり)
⑧看板から10分もせず尾根にたどり着き、もう右手は曲輪Cの切岸です!
三重堀切などなかなかの遺構がみられますよ🤗
※運営さま、矢印など加筆してますが、ご容赦願います。
2020年07月07日 【G6】OROKA参議
【アドベンチャー満載なドキドキ城道!】
阿寺城は岩村城の北東に位置する城で、遠山氏の城のようです。織田VS武田の際には境目の城であったようです。
この城は、アクセスがかなりアドベンチャーです(笑)
県道413号から手賀野の集落へ南下し、住宅街一番奥の浄水場を目指します。(車は浄水場の付近に路駐させてもらいました、このあたり自己責任で)
浄水場の少し手前で左折し、川沿いの道を進んで砂防ダムに出ます。ダム沿いに鉄柱を倒しただけな感じのワイルドな橋があるので、これを使いダムの端を渡ります。(写真参照)
いや、マジで?と思うかも知れませんがマジです。
そのまま南下しますが、城は川の反対側にあるので、テキトーな浅瀬で川向こうに渡ります。足場になりそうな適度な大きさの石を投げ、マリオみたいにその上をピョンピョン跳んで、濡れずに渡れたらラッキーですね☆ギャグみたいな行程ですが、マジですって。
渡る目印としては、「御嶽神社登り口」のボロ板が対岸に見えた時くらいです。このボロ板の上が本来の登城道ですが、崩れてるので、登れそうな斜面を強引に登ります。…うん、これもマジな話です。
尾根まで登りきる事ができたら、だいたい城域に入るので、あとは尾根の高い方へ向かいましょう♪
遺構はあまり整備されていないものの、見応えがあります。郭は尾根沿いに展開されており、土塁、折れのある虎口、堀切、土橋などなど…本丸は御嶽神社の小さな祠があります。また、3重の堀切もあり楽しめます。
とはいえ、途中の道が冒険ドキドキワクワクの印象強すぎて、城そのものの記憶があんまり残ってないのが現実です。
どうだい、ワイルドだろ~?(笑)