岩村城(いわむらじょう)

岩村城の基本情報

通称・別名

霧ヶ城

所在地

岐阜県恵那市岩村町

旧国名

美濃国

分類・構造

梯郭式山城

天守構造

なし

築城主

遠山景朝

築城年

承久3年(1221)以降

主な改修者

河尻秀隆、各務元正

主な城主

遠山氏、森氏、大給松平氏、丹羽氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、移築門、井戸

指定文化財

県史跡(岩村城跡)

再建造物

藩主邸、石碑、説明板

周辺の城

明知城(岐阜県恵那市)[8.1km]
小里城(岐阜県瑞浪市)[15.5km]
武節城(愛知県豊田市)[17.0km]
鶴ヶ城(岐阜県瑞浪市)[17.0km]
苗木城(岐阜県中津川市)[17.3km]
市場城(愛知県豊田市)[20.4km]
大博士城(岐阜県中津川市)[22.1km]
土岐高山城(岐阜県土岐市)[23.4km]
妻木城(岐阜県土岐市)[24.5km]
駒場城(長野県下伊那郡)[27.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

38 岩村城

設置場所

岩村歴史資料館受付窓口[地図
岩村振興事務所(岩村歴史資料館休館時)[地図

岩村城の解説文



岩村城(いわむらじょう)は、岐阜県恵那市岩村町にあった中世の日本の城(山城)。鎌倉幕府御家人の遠山氏宗家の岩村遠山氏が鎌倉時代初期に築いたとされ、別名「霧ヶ城」とも呼ばれた。戦国時代末期には織田氏と武田氏の争奪戦に巻き込まれた。江戸時代には岩村藩の城となった。

奈良県の高取城、岡山県の備中松山城と並び、日本三大山城の一つとされる。

また中津川市の苗木城、可児市の兼山城と並び岐阜の三山城とも称される。岐阜県指定史跡[1]

概要 

岩村城は恵那市の南部に位置し、明知鉄道明知線岩村駅の南東に位置する城山山上にある。本丸が諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置していた。このため、日本三大山城の一つに数えられている。「女城主おつやの方」の悲哀の物語が残る。

歴史・沿革 

戦国時代以前

鎌倉幕府の御家人加藤景廉の長男遠山景朝が築き、その子孫の岩村遠山氏が戦国時代に至るまで城主であった。

景朝が遠山荘に赴任した鎌倉時代初期頃には平坦部に築かれた砦あるいは城館的なものであり、織田氏・徳川氏・武田氏の抗争が激しくなった戦国時代末期の16世紀中に遠山氏・武田氏の手で本格的な城山が構築されていったとみられる。[2]

『太平記』の1337年(南朝:延元2年、北朝:建武4年)越前金ヶ崎城の戦いにおいて「美濃霧城遠山三郎」なる名が出る事から、鎌倉時代の終わりには諸国に認知される遠山氏の城が存在していたことがうかがわれる(ただし巖邑府誌では霧城とは当時の遠山氏諸城の通称で、太平記の霧城が現在の岩村城の場所にあったかは分からないとしている)。

戦国時代・安土桃山時代

image:Iwamura Plan n.jpg|240px|thumb|岩村城の縄張り図

  • 1570年(元亀元年) 甲斐国の武田氏の家臣で、信濃伊那郡の大島城を拠点に伊那郡代であった秋山虎繁(信友)が東濃に侵攻、上村での戦いに勝利し西進してきたが、織田方の武将明智光廉(三宅長閑斎)が小田子村でこれを撃退した(上村合戦)[3]
  • 1572年(元亀3年)8月14日[4](1571年(元亀2年) 12月3日とも)、遠山氏最後の城主は遠山景任であったが、景任が病没すると信長は5男で幼少の(御坊丸)を岩村遠山氏の養子とした。後見は信長の叔母にあたる女性(通称はおつやの方など)で幼少の養子に代わって女城主として差配を振るった。
  • 1572年(元亀3年)10月、信玄は大軍を率いて遠江の徳川家康を攻撃するために出陣し、同時に再び虎繁に岩村城の攻略を命じた。岩村城は武田方に包囲されたが信長は諸戦で助けに来ることができず、おつやの方は秋山虎繁と婚姻するという条件で降伏。
  • 1573年(元亀4年)2月末に虎繁はおつやの方を妻に迎えた。信長は物見のように1万人の兵を連れて岩村城周辺に布陣した。3月15日に馬場信春が雑兵と共に800人で織田勢を攻め、岡部正綱50騎、越中衆30騎、飛騨衆30騎、110騎の中から若者34~35人が織田勢を追いかけて、草に臥せて引き下がる雑兵27人の首を取った。織田勢は岐阜へ退却した。その後、岩村城は落城して岩村遠山氏は降参し、信長直参の35騎が首を取られた。(岩村城の戦い)[5]
  • 1575年(天正3年) 同年5月21日の長篠の戦いの後、武田勢が弱体化した期に乗じ信長は岩村城奪還を行った。信長は嫡男・信忠を総大将に攻城戦を行い5ヶ月にわたる戦闘の後、武田勝頼の後詰が間に合わず城は陥落した。開城の際、虎繁の助命が約されていたが織田方はこれを翻し、虎繁夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔となり処刑された[6]。織田方の城となった後、河尻秀隆が城主となり城の改造を行い現在の城郭に近いものとなった。
  • 1582年(天正10年)織田氏による甲州征伐が行われたが、武田氏が天目山の戦いで滅亡するまで 信長は信濃へ足を踏み入れることをせず岩村城に滞在して戦果の報告を受けていた。武田氏が滅亡後は、河尻秀隆が甲斐国に移封となり、団忠正の居城となる[7]が3ヶ月と経たぬ内に本能寺の変で忠正は戦死。岩村城は信濃国から戻った森長可が接収し、長可死後は森忠政が引き継いだ。この時の城代となった森氏家老、各務元正は、この後約17年を費やし近代城郭へ変貌させ、現在の城郭が完成した。
  • 1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いにおいて、徳川家康の元に逃れていた明知遠山氏の遠山利景が攻め寄せるも、元正により退けられる。
  • 1599年(慶長4年)豊臣秀吉の死後、森忠政が信濃国松代に移封となると田丸直昌が入城。
  • 1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで大阪城番であった直昌は西軍となり、岩村城は田丸主水が城代となっていたが、遠山利景・遠山友政・小里光親らに攻められて田丸主水は城を明け渡した。(東濃の戦い)
  • 1601年(慶長6年) 松平家乗が城主となって岩村藩が立藩した。家乗は山上にあった城主居館を城の北西山麓に移し城下町を整備した。

江戸時代

  • 1645年(正保2年) 大給松平氏の上野国館林城転封に伴い、三河国伊保藩より丹羽氏信が入城。
  • 1702年(元禄15年) お家騒動を起こし越後国高柳藩に転封となった。同年に信濃小諸城より松平乗紀が入城した。乗紀は全国で3番目となる藩校・文武所(後の知新館)を設けた。以後、明治維新まで再び大給松平氏の居城となった。
  • 1707年(宝永4年)10月4日 宝永地震により城郭が被害を受けた。

近現代

  • 1873年(明治6年)廃城令により、城は解体され石垣のみとなった。藩主邸は残されたが、1881年(明治14年)に全焼した。跡地には1972年(昭和47年)岩村町歴史資料館(現・岩村歴史資料館)が開館した。
  • 2006年(平成18年)には日本100名城の一つに指定された。

歴代城主 

  • 岩村遠山氏
    • 遠山景朝:源頼朝の重臣・加藤景廉の子。
    • 遠山景員:遠山景朝の三男で岩村遠山氏の初代。
    • (数代不詳)
    • 遠山頼景
    • 遠山景友
    • 遠山景前
    • 遠山景任:元亀3年(1572年)12月に城中にて病死。
    • おつやの方:天正3年(1575年)11月、織田家に投降したが刑死。
  • 武田氏
    • 秋山信友:天正3年(1575年)11月、織田家に投降したが刑死。
  • 織田氏
    • 河尻秀隆:天正10年(1582年)6月、甲斐にて武田遺臣により殺害される。
    • 団忠正:天正10年(1582年)6月、本能寺の変により死去。
  • 森氏
    • 森蘭丸:森長可の家老各務元正(各務兵庫)が岩村城代を務めた。
    • 森長可:同上
    • 森忠政:同上
  • 田丸氏
    • 田丸直昌:北畠氏庶流。関ヶ原の戦いで西軍に属し改易。一族の田丸中務が岩村城代を務めた。
  • 大給松平氏 2万石(譜代)
    • 松平家乗
    • 松平乗寿
  • 丹羽氏 2万石(譜代)
    • 丹羽氏信
    • 丹羽氏定
    • 丹羽氏純
    • 丹羽氏明
    • 丹羽氏音
  • 大給(分派)松平氏 2万石→3万石(譜代)
    • 松平乗紀
    • 松平乗賢
    • 松平乗薀
    • 松平乗保
    • 松平乗美
    • 松平乗喬
    • 松平乗命

構造(明治6年時点) 

  • 本丸建物
    • 櫓門・納戸櫓・西多門・東多門・平重門・棚門
  • 二の丸建物
    • 二の門・厩・菱櫓・武器蔵・北城米蔵・東城米蔵・二重櫓・不明門・添番所・朱印蔵・上番所・土蔵
  • 長局の内建物
    • 埋門・平重門
  • 東丸建物
    • 二重櫓・廊下門
  • 帯曲輪建物
    • 仕切門・番所・平重門(2箇所)・煙硝蔵
  • 出丸建物
    • 平重門・番所・多門(3箇所)・二重櫓(2箇所)
  • 八幡曲輪建物
    • 橋櫓・多門(2箇所)・俄坂門・番所(3箇所)・二重櫓(2箇所)・追手櫓門・平重門・橋・土岐門・一の櫓門・多門

  • 本丸の外側に二の丸、西外側には出丸、二の丸の外側に三の丸が配されていた。
  • 本丸には二重櫓が2基あったが天守はなく、三の丸大手口にあった三重の到着櫓が天守と言えるものであった。
  • これらの建物の木造復元計画はない。

遺構・木造復元 

image:Iwamura Castle air.jpg|200px|thumb|岩村城の航空写真(1976年撮影・国土航空写真)

  • 建造物は廃城の際解体されたが、遺構の保存状態は良く曲輪、高石垣、井戸等が良く残る。
  • 岩村町の八幡神社(加藤景廉が祭神として祀られている)の本殿は、岩村城の八幡曲輪から移築されたものである。(現在の岩村城の存在を示す最も古い遺物は永正年間の遠山頼景による八幡神社棟札である。)
  • 不明門が城下の妙法寺の山門として移築され現存する。
  • 岩村城の廊下の部材が、城下の地酒“女城主”蔵元の岩村醸造の廊下にも利用されて残っている(見学可能)。
  • 岩村城のどの場所の建造物かは不明であるが、勝川家の土蔵の一部も岩村城の遺構である。
  • 岩村町の妙法寺には岩村城の城門であった二の丸赤時門が山門として使用されている。
  • 岩村町の隆崇院の境内には岩村城の二の丸にあった弁財天社が移築されている。
  • 岩村町の徳祥寺には岩村城の城門であった土岐門が明治6年(1873年)に移築され、山門として所在する。
  • 恵那市上矢作町の円頂寺の畳八畳分の天井絵は岩村城より移築された「八方睨みの龍」が使用されている。どこからみても龍が睨んでいるように見えることから、このように呼ばれる。
  • 藩校の知新館の正門と釈奠の間(岐阜県指定文化財)が現存し、城の麓の藩主邸跡に移築されている。

城跡公園

  • 同じく城の麓の藩主邸跡において、表御門・平重門・太鼓櫓が平成2年(1990年)に木造復元された[8]
  • 下田歌子勉学所や知新館、菖蒲園が建設されている。

絵図 

享保3年(1718年)12月17日に城主松平乗賢が、石垣修理のため幕府に提出した絵図と平面図が岐阜県指定重要文化財となっており、岩村歴史資料館に展示されている[9][10]

現地情報 

所在地

  • 岐阜県恵那市岩村町字城山

交通アクセス

  • 鉄道
    • 明知鉄道岩村駅下車、岩村歴史資料館まで徒歩約20分(本丸まではさらに約20分)
  • 自動車
    • 中央自動車道恵那インターチェンジから車で25分
    • 本丸までは、国道257号線より本丸そばの出丸まで行くことができる。

参考文献 

  • 『恵那郡史』 第六篇 第二十三章 岩村城 p158~p172 恵那郡教育会 大正15年
  • 『定本 日本城郭事典』 西ヶ谷恭弘/編 p186 秋田書店 2000年

岩村城の口コミ情報

2024年09月16日 じろう
岩村城

登城口~土岐門あたりまでは急斜面ですが土岐門を過ぎると本丸までは緩やかな道で楽に行けます。

2024年08月25日 ごう
岩村城



雨上がりだったためか登山口からの石の階段はだいぶ滑りました。山登りの靴でも滑ったのでお気をつけてください。六段壁を含め石垣は力強く、三大山城の素晴らしさを感じます。

2024年07月26日 RED副将軍
釜屋城[岩村城  周辺城郭]



階段状に連なる高く鋭い切岸が特徴的な勝氏の詰め城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代等の詳細不詳。在地土豪である勝氏の詰め城であったと云われます。
北東尾根の下部に「おやしき」の地名が残り、勝氏の屋敷があったとの伝承があることから詰め城であったと考えられています。

見所
明智・山岡境の鶴岡連山の標高𝟧𝟪𝟢𝗆の北向きの尾根上に築かれています。
主郭は長辺𝟧𝟢𝗆と広く南西隅に櫓台を敷設。南背後の鞍部は堀切で遮断され、南西下は横堀状になっています。主郭の北側に虎口が開口し、北尾根先端はスロープ状土橋が付いた空堀が設けられています。
鋭く高い切岸で固められた階段状に連なる郭群が見所で比較的大規模な山城です。

行き方は、北東の農道奥に整備された登城口があります。比高は約𝟪𝟢𝗆です。

2024年06月29日 RED副将軍
阿寺城[岩村城  周辺城郭]



遠山七頭のひとつ明照遠山氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。遠山直廉により築かれたとされます。
遠山氏宗家で岩村遠山氏当主の遠山景前が1557年に病没すると後継者争いが勃発。長男の遠山景任が武田信玄の後押しもあり遠山氏宗家の当主を承継し岩村城主となると、次男の遠山武景は苗木遠山氏の養子となり、三男の遠山直廉が手賀野村に阿寺城を築いて明照遠山氏の初代となったとされます。異説もあります。
次兄の遠山武景が京都見物からの帰路で盗賊により殺害されたため、遠山直廉は苗木遠山氏を嗣ぐこととなり苗木城主となります。
しかし1570年に遠山直廉は大威徳寺の戦いて受けた傷により死没。代わって飯羽間遠山氏の遠山友勝が苗木遠山氏を継承し、飯羽間城はその子の遠山友忠が継承しました。
その後、遠山友忠は飯羽間城を長男の遠山友信に任せ、次男の遠山友重を伴い阿寺城へ移りました。
更に父である苗木城の遠山友勝が亡くなると阿寺城は次男の遠山友重に任せ、三男で嫡男の遠山友政を伴って苗木城に入りました。
1574年、甲斐武田氏の命により木曽義昌が阿寺城を攻め寄せ、阿寺城は落城し遠山友重は討死。そのまま廃城となった様です。

見所
中津川西岸の南北に伸びた尾根上に築かれています。
最高所の南端が主郭であり、北へ伸びる尾根に郭が連なります。
主郭の南端は櫓台状になっており御嶽神社が祀られています。主郭南背後は三重堀切で遮断されており最大の見所です。
主郭から北へ伸びる尾根上には二郭、三郭、四郭と連なり、主郭と二郭と三郭は二条の堀切で区切られます。二条の堀切はいずれも東側を遮断せず残し西側は竪堀となり落ちており、二郭と三郭は東側面から回り込む様に虎口が付けられています。
また、三郭への東側通路の側面には石積みが残り、西側の虎口は両脇に巨石を配置し折れの伴う構造となっています。

行き方は、結構難しいです。
まずは県道413号から城域北西にある手賀野配水池を目指します。配水池は住宅地の突き当たりにあります。
配水池から北へ少し戻り宅地の間を回り込み東の谷筋に出ます。谷筋から南へ続く道があるので砂防ダムを越え、足場材の細い通路を渡ると御嶽神社登山道と書かれた看板があるので沢を渡ってロープがあるところを登ると城域です。
⁡詳しくは先人の口コミを見て下さい。私も助かりました。

2024年05月25日 RED副将軍
漆原砦[岩村城  周辺城郭]



小規模ながら技巧的な縄張りの美濃・三河の境目城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

漆原城または城山砦とも呼ばれます。

築城年代、築城主等の詳細不詳。城主に遠山友忠の名が伝わります。
前田砦の支城と考えられ、遠山氏一族が武田氏に備えて守備していた城砦と思われます。
1570年の武田氏と遠山氏・徳川氏連合軍が激突した上村合戦では、漆原城も合戦の舞台となったと思われ、苗木城の遠山友忠が在城していたと思われます。
上村合戦では武田氏が勝利し、漆原城は武田氏の拠点となりました。

見所
標高461mの城山に築かれており、蛇行する上村川を北側と西側を天然の堀としている立地です。
山頂に主郭を置き、その東の二郭を中心とした小規模な城郭です。
二郭は馬出とされ土塁と横堀が巡り、主郭へは土橋は架かります。横堀には二条の竪堀も併設され主郭側への横移動を制限。
主郭の南下には帯郭が配され、北西背後の尾根筋には二重堀切を設けて遮断しています。
小規模ながらなかなか技巧的な縄張りです。武田氏が接収後に改修したものと思いました。

行き方は、国道257号の城山トンネルの両側に登城口があります。比高は約90mです。
近くに駐車スペースは無いので三作集会所の駐車場を利用させて頂きました。

2024年04月01日 たまちゃん
岩村城



城下の勝川家には二の丸米蔵を移築したと伝わる土蔵、妙法寺には不明門の移築門があり歩いて廻れます。他に鉄砲鍛治家もあり。
二の丸は荒れていますが弁天池の石積み、虎口の石垣があります。
出丸まで車で登れますが、ほとんどが石畳の坂道で登りやすいので、麓から登るのをお勧めします。

2024年03月31日 竪堀ころりん
岩村城



本日、一の門に倒木がありました。登城される方はご注意を。あと太鼓櫓前の枝垂れ桜の蕾が膨らみ始めていました。今週中には咲きそうです🌸

2024年03月31日 千葉相模守早雲
岩村城



日本三大山城の一つ。標高717メートルの高地に築かれています。よくもまぁこんな高いところにこれだけの石を積んだなぁと感心し、よくぞ残ったと感動もしました😁
車で来る場合、南側の本丸そばにも駐車場がありますが、足腰に自信があれば、北側の岩村歴史資料館駐車場に停めて、藤坂〜一之門〜土岐門〜大手門と抜けるルートがオススメです。三大山城の凄さを体感してみてください。

藤坂。石畳の坂道が続きます。とても歩きづらく、一之門の近くまで来ると傾斜に拍車が掛かります。一之門前でしっかりと90度折れ、石垣でガッチリと道筋を固められ、どうやったらここを抜けられるのか?知っていたら教えて欲しい。

続く土岐門。ここも道筋は一直線で狙い撃ちされるのは必至です。ここを抜けると次は三重櫓のお出ましです。櫓周辺には空堀が穿たれ、畳橋を渡るしかなく、ここでも矢弾を浴びせられます。
次いで大手門を越えると両脇に石垣が聳え、怖くて先に進めなくなる通路となっています。勇気を振り絞って先に進むと、左手に八幡曲輪が見えます。本丸でもおかしくない三段の石垣を備えた大きな曲輪です。

どうにかこうにか突破すると、いよいよ中心部。まずは右手に二ノ丸。高い切岸が聳え、菱櫓があったそうです。そして見どころの六段壁!石段を挟んで二重櫓があったとされる本丸最後の防御ラインは身を隠す場所が無く、鉄壁としか言いようがありません。
本丸も長局埋門、本丸埋門は枡形虎口、本丸背後には出丸があり、南側の備えになっており、最後まで厳重な守りになっています。

1.藤坂。
2.一之門。
3.土岐門。
4.三重櫓跡。
5.大手門。
6.八幡曲輪。
7.六段壁と二重櫓跡。
8.六段壁。右上に見えるのが長局埋門跡。

2024年01月28日 motoharu
岩村城



岩村駅から歩くと常に上り坂。雪が降ると石畳は滑るので要注意。案内板はしっかりしているので見所を見逃すことはなし。

2023年10月23日 NMEA 6258
岩村城



本丸まで車で行けますが、歴史資料館からの登城がおすすめです。

2023年10月18日 RED副将軍
下手向城[岩村城  周辺城郭]



切岸と空堀が美しい東濃の隠れた名城🏯

オススメ度 ★★★★★

下手向城(しもとうげじょう)と読みます。

築城年代、築城主等の詳細不明。
城主として勝次郎あるいは勝内蔵助義直、子の又右衛門義氏の名が伝わる程度で勝氏の居城であった様です。
また、丹羽氏聞書には「下手向 渡辺権七郎殿と中仁居夜申候」とあり、渡辺権七郎は遠山串原氏の内衆であると云われます。
1570年頃の織田信長と武田信玄、武田勝頼が争った時代のものと考えられています。

見所
主郭の周囲に帯郭を敷設した小規模城ですが、切岸の鋭さ美しさに驚いた城跡です。
南側からの登城路を登ると主郭下の帯郭を経由して主郭に辿り着きます。主郭は広さのある削平地で南北に二段となっており北側に土塁が巡ります。
南と西に虎口が開口しており、今度は西側の虎口を下りると西側から南側にかけて横堀が巡り、北側の堀切とも連動しています。10mほどの高さがある主郭の鋭く美しい切岸と相まって見事な光景です。また、石積みの様な巨石が切岸に露出しているのも気になりました。
単なる土豪の居城とは思えない城造りであり、元亀天正の争乱で構えられた陣城とも考えられていることに納得しました。

行き方は、下手向郵便局を目標に設定。北側の山に向かって歩いていくと案内板が立っており迷うことはありません。
比高も50mくらいであり10分ほどの登りで辿り着きます。

写真
①②主郭西側下の空堀と切岸
③切岸にみえる石積み
④北側下の堀切
⑤南北二段の主郭
⑥主郭北側の土塁
⑦主郭南下の帯郭
⑧現地案内板

2023年09月21日 _ClaD雅楽頭リアの季節
前田砦(上村城)[岩村城  周辺城郭]

縄張や堀の形状が松岡城などの信州伊那谷の城を思わせる。武田に従った伊那衆が普請したと考えられる。

2023年09月05日 RED副将軍
岩井戸砦[岩村城  周辺城郭]



上村合戦 において武田氏を迎え討った遠山氏の本陣跡⚔

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。
1573年の武田氏と遠山氏・徳川氏連合軍が激突した#上村合戦 において、遠山景行が籠もった砦とされます。遠山景行は明知城の城主であり遠山勢の総大将でありました。
しかし、武田氏家臣の秋山信友による侵攻により遠山景行は討死したと伝わります。
上村合戦は武田氏の勝利となりましたが、その後に織田信長から派遣された明知光廉の軍勢が小田子村で武田氏と激突。激戦の末に武田氏は信濃へ撤退しました。

見所
上村川と木美川の合流地点の東へ張り出した丘陵上に築かれています。上村沿いの東に前田砦、南に城山砦(漆原城)があり、岩井戸砦は中間地点に位置します。
現在は、耕作地となり消失していますが、丘陵上からは上村川や街道を見下ろすことができるロケーションであり重要性が認識できます。

かなりマイナーですが、上村合戦を調べてみると重要な砦です。前田砦、城山砦に訪れたついでに立ち寄って頂ければと思います。

2023年07月18日 みずたま
岩村城



日本三大山城のひとつで標高は最も高いところにありますが、比高はそれほどでもないので、思った以上に楽に登れます。

2023年06月05日 RED副将軍
大将陣[岩村城  周辺城郭]



岩村城の戦いにおいて織田軍の総大将であった織田信忠が本陣とした陣城🏯⁡

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

⁡1575年、織田信忠により築城。織田信忠は織田信長の長男であり、岩村城を包囲した際に築いた陣城です。岩村城を正面に見据える場所であり本陣としたため、大将陣と呼ばれました。5ヶ月に渡る激戦の末に岩村城は助命を条件に開城。しかし、開城条件は破られ女城主であったおつやの方こと秋山信友の修理夫人ら5人は逆磔にされ処刑されました。処刑された5人の首塚も大将塚としてここに葬られています。

⁡見所
現在は大将陣公園となっています。北端には戦時中の監視所があったとのことで改変を受けている様で堀や土塁の城郭遺構は見当たりません。

⁡行き方は、国道363号沿いにあります。岩村城の北側にあたり、岩村城駐車場から歩いて行きました。

2023年05月30日 とんかつおやじND
中西城[岩村城  周辺城郭]



北側尾根を大堀切で断ち切り 曲輪は堀切側に低土塁を盛り防御を高めてます 

2023年04月22日 長森原
阿寺城[岩村城  周辺城郭]



写真は、苗木城天守展望台から木曽川越しに望んだ阿寺城。遠景中央の、山がU字に凹んだ所から中津川が流れ出しているのですが、阿寺城は中津川左岸の山(写真右側の山)の尾根上に築かれていました。

阿寺城は北を通る中山道の監視城であると共に、岩村城と苗木城を結ぶ最短ルートの街道(岩村城〜阿木〜根ノ上〜阿寺〜中津川〜苗木城)を直接的に守備していました。阿寺城の城域では、この街道は城最南端の堀切から城の西斜面に回って城のすぐ傍を北上し苗木城に向かっていたとされています。(「東海の名城を歩く・岐阜編」)

阿寺城と苗木城の距離は約5.5km、肉眼でも互いに視認でき、遠山氏同族の城として連携して中山道、東山道、飛騨街道の監視に当たったと思われます。

2023年04月03日 RED副将軍
阿木城[岩村城  周辺城郭]



遠山七頭のひとつである阿木遠山氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。遠山七頭のひとつに数えられる阿木遠山氏の居城。遠山七頭とは、岩村、苗木、明知、飯羽間、串原、阿寺、阿木の七家。阿木遠山氏は岩村遠山氏の分流にあたります。岩村城防衛のために築いた遠山十八支城の一つでした。遠山氏は元々、武田氏に属していましたが、1572年に岩村城の遠山景任が急死すると遠山氏は織田信長に従います。岩村城が武田氏家臣の秋山虎繁により落とされると、織田・遠山軍の最前線基地として整備されました。しかし、1574年に武田勝頼の侵攻により落城。そのまま廃城となった様です。

見所
⁡標高532mの城ヶ峰ピークに築かれています。山頂に直径約50mの円形の主郭を配し、主郭の南から北西にかけて横堀状の帯郭が巡ります。主郭北東には二郭が広がり、その北側は深い二重堀切で遮断されています。シンプルな縄張りですが高く鋭い切岸はなかなか見応えがあり、整備状況も抜群です。

行き方は、県道406号から城域南側に向かうと登城口があり駐車場も完備されています。比高は50mほどで登城路も整備されているので気軽に登ることが出来ます。

2023年02月15日 RED副将軍
飯羽間城[岩村城  周辺城郭]



遠山七頭のひとつである飯羽間遠山氏の居城🏯武田勝頼による遠山領侵攻において最後に残った堅城

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

飯羽間城(いいばまじょう)と読みます。

築城年代は不詳。飯羽間遠山氏の代々の居城。岩村城を本城とした遠山十八支城のひとつにも数えられています。遠山氏は、鎌倉幕府の有力御家人であった加藤景廉が源頼朝から功績として遠山荘を与えられ、嫡男の景朝が入封し遠山氏を名乗ったのが始まりです。遠山氏は岩村城を拠点として遠山荘を治め、分流のひとつが飯羽間遠山氏でした。1572年には武田信玄の家臣である秋山虎繁による侵攻で岩村城が落城。信濃侵攻を目指す織田信長は、岩村城の周囲に城砦を配します。1574年に家督を継いだ武田勝頼が再度の東美濃に侵攻。織田軍と対峙しますが遠山十八支城は次々と陥落。飯羽間城は最後まで残りましたが最終的に落城し、そのまま廃城となりました。飯羽間遠山氏は、その後に奪還した苗木城の城主となり、江戸時代には大名となっています。

見所
比高30mの舌状台地の断崖を利用した城跡です。明確な堀切、土塁といった防御設備は見当たらず自然地形と切岸で防御といったストロングスタイルです。主郭部は三段の郭が連なり、城域西側の鞍部は堀切の様にも見えます。後世に農地となっていた様で改変されています。

専用駐車場もありよく整備もされています。

2023年01月29日 山狐縫殿允
岩村駅[岩村城  その他]

岩村城の最寄り駅。明知鉄道の駅であり明知鉄道明智駅から4駅目、JR恵那駅から6駅目で、城から1.8kmほど離れています。

2023年01月29日 山狐縫殿允
中西城[岩村城  周辺城郭]

詳細は分かっておらず、永禄年間(1558年~1570年)の城主は「遠山左京進」だという事だけが分かっています。 駐車場は無いのですが、国道沿いに駐車可能な余白があります。

2023年01月22日 尾張守えりっき
岩村城

城址も素晴らしいですが、情緒ある城下町もおすすめなので是非岩村駅から歩いてみて下さい!城下町では無料開放している町屋のほか、飲食店もあります。

2022年12月31日 RED副将軍
大平城(串原遠山城)[岩村城  周辺城郭]



今年最後の口コミ投稿です✨
今年訪城した410城の中からお気に入り城です✨
東濃からは遠山七頭のひとつ串原遠山氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。遠山七頭のひとつに数えられる串原遠山氏の居城。
遠山七頭とは、岩村、苗木、明知、飯羽間、串原、阿寺、阿木の七家。串原遠山氏は岩村遠山氏の分流にあたります。
元々は柿畑城を本拠としていましたが、この大平城を築いて移ったと伝わります。
1574年、遠山与五郎が城主でしたが、武田氏による侵攻で自落したと云われます。

見所
標高約530mの城山に築かれており、東西に伸びた岩盤上に複数の郭を配しています。
規模もそんなに大きくなく、決してド派手な遺構がある訳でもありませんが、とにかくマイナーな割に整備状況が素晴らしい山城です。
派手な遺構は無いと書きましたが、要所を岩盤堀切で分断し鋭い切岸の縄張りはシンプルながらも好みで、整備のお陰で往時のままに感じることが出来ます。

遠山七頭の居城のうち、岩村城、苗木城、明知城は有名で皆さん行っておられると思いますが残りの4家の居城も素晴らしいのでオススメです。

2022年12月04日 RED副将軍
飯高城[岩村城  周辺城郭]



2022年1月に現地調査された新発見の城郭のひとつ🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等の城史は不詳。
周辺の城郭と同じ様にこの地を支配していた遠山氏の拠点と思われます。
恵那市教育委員会が令和3年度に明知城周辺調査事業として報告書を作成した7城のうちのひとつです。
天瀑山から西に伸びる鞍掛峠と呼ばれる尾根の標高631mの先端頂部に築かれています。岩村城と明知城を結ぶ街道沿いであり街道の監視として機能したと考えられています。

見所
最高所に主郭を配し、主郭から伸びる6方向の尾根全てを堀切で遮断されています。
主郭は社が祀られ改変を受けていますが、南西部の堀切、竪堀は明確に残っています。
主郭東下の堀切が一番の見所と思いました。写真①
北東、北西の尾根はあまりハッキリとした遺構は分かりませんでした。

行き方は、飯高観音(萬勝寺)を目指して下さい。東側に東屋がありそこから山道がついており辿り着くことができます。
案内板等は一切ありませんのでご注意ください。

2022年11月23日 三上駿河守
岩村城



明知鉄道岩村駅から城下町エリアを通って登城口まで徒歩で20数分、そこから本丸跡まで徒歩で同じくらいの20数分かかりました。雨上がりのあとでしかも落葉も積もっていて、帰りは結構滑って危険でした。リア攻めするなら天候は考えた方がいいです。

2022年11月13日 黒はんぺん播磨守
岩村城



車で城跡近くの駐車場まで行けますが、俺騙されてんのかな?と思ったくらいの細い道でした。

2022年11月12日 マークⅡ蔵人頭政宗
岩村城



明知鉄道の岩村駅から徒歩30分かけて、城跡入口に到着。しばらく歩くと立派な石垣に出会え、特に本丸虎口にある通称「六段壁」の石垣の大きさと美しさに驚かされます。

2022年11月08日 あゆみん駿河守
岩村城



石垣が美しいです✨時代を感じる事が出来ます❕駐車場近くまで車で行くことも出来ますが、資料館から歩いて登る事をオススメします。

2022年10月25日 尼崎城駿河守一口城主
岩村城



10月23日の早朝、登城⛰前日岩村城下町に宿泊したところ同じ宿に宿泊されている方が早朝雲海を見に行かれるということで私も仲間に入れてもらいました。5時半頃に出陣して自分史上最速の6:10にリア攻めを達成出来ました。残念ながら雲海は見れませんでしたが、朝の清々しい空気の中でお城や城下町を眺めることが出来ました。本丸にあった案内放送📢音声が流れるかどうか不安でしたが百円を入れてみると演歌のようなBGMに乗って案内放送が始まりました。見学の終盤、数分間雨が降ってくれたお陰か少しだけ霧が見れました。お城トークしながら登城してお陰様でお城巡りを楽しめました。

リア攻め後、前夜岩村城下町で飲んでいた際にたまたま山城サミットのスタッフの方々と会い雲海見終わったらそこで待っていて会場設営手伝う?と誘われていたので少しでも力になれればと本丸会場の設営を手伝いました。城下町の下町升形の本部でも少し手伝った後、明知城に向かい再び岩村に戻ってなんとか聞きたかったトークショー🎤に間に合いました🏃🏻‍♂️トークショーは多くの人が集まっていてゲスト側から見ると升形効果が良く分かると話をされていました。トークショーで最も印象に残ったのは<岩村城は二万石の藩にしては立派なお城で二万石+α石高に換算出来ない何かがあったと思われる>というような内容の話でした。私はそのαに現代にも受け継がれている岩村の方達の町おこしへの情熱も入るのではないかと早朝から夕方までお邪魔していて感じました。思わず長文になってしまい失礼しました🙇‍♂️

2022年10月24日 陸奥守たろす @39
阿寺城[岩村城  周辺城郭]



【阿寺城登城道】
確かに登城口が分かり辛く一瞬悩みましたが、先達者の口コミのおかげで無事登城することができました。
ありがとうございました。
お礼も兼ねて少し補足させて頂きます。

①今回麓の集落の突き当りにある手賀野配水池のタンク前からスタート!
②少し戻り谷沿いに出て右側奥に見える砂防ダムを目指しましょう。
③砂防ダムに辿りついたら横の階段を登りましょう。
④ご紹介のあった足場材の仮設通路を渡ってください。あぁ!これこれ!と心踊ります♪
⑤しばらくすると「御嶽神社登山道」の看板が現れますので、適当に沢を渡ります。この時もこれや〜!とワクワクしながら渡りましょう♪
⑥この後少し悩みましたが、左側にロープが張ってある所が見えたので、とりあえずそこから直登しました。
⑦あとはそれらしい道を登って下さいw
(途中色落ちた黄色のテープが数か所あり)
⑧看板から10分もせず尾根にたどり着き、もう右手は曲輪Cの切岸です!

三重堀切などなかなかの遺構がみられますよ🤗

※運営さま、矢印など加筆してますが、ご容赦願います。

2022年10月24日 小太郎左衛門督南畿道19國守
岩村城



10月22日(土)に訪問。岩村歴史資料館に駐車し、百名城スタンプ、お城資料を入手できます。近くの登城口から本丸跡までは、約800メートルの急な登り坂で、徒歩30分とのことですが、何度も休憩を余儀なくされました。一の門までの登りがきつめで、距離は体感では1/3ですが、ボランティアの方は、ここで、実質半分来ましたと話されていました。この先に別名霧ヶ城の名の由来か霧ヶ井の井戸があり、枯れておらず、更にこの先は六段壁の石垣を仰ぎ見ることができます。本丸はこの先です。

2022年10月21日 とんかつおやじND
山岡・山田城[岩村城  周辺城郭]



山田城

道路脇に「山田城」の看板が立ってます。矢印通り進むと東側に土塁が現れます。高さ4m程で全長100m程 その東側は横堀となって 堀底から土塁上まで高い箇所は5m以上あり 何ヶ所か張り出した所があり 櫓台兼ねた横矢掛け可能な感じです。
西側にも土塁があり 東西の土塁間が綺麗な削平地となり 武家屋敷跡と山田城主郭の碑が立ちます。
この付近の城郭とは 違った縄張りだと思う…

2022年10月20日 とんかつおやじND
田沢城[岩村城  周辺城郭]



田沢城

今年3月に恵那市教育委員会より 
(恵那市の新発見城館跡 明知城周辺調査事業.恵那市城館跡分布調査報告書1)
にて報告された城址となります。

主郭に櫓台らしき箇所あり 東、南、南西の尾根に4〜5条の堀切を配す が
全般に甘く浅い 
すぐ南向かいに奈免入城があり 関連性がありそう

2022年10月13日 播磨守風のこうちゃん播守
岩村城

10/20迄、国道257からの登城口は通行止めになってます☝️岩村ダムの方からでしたら車で本丸跡迄登城出来ます🤚

2022年10月09日 淳盛甲斐守赤備❖❖
岩村城

車では257号線から城下迄行けましたが今は行けません。徒歩で歩いて行くしかありません。石畳や石段は濡れていると大変滑り易いので、雨天時はお勧め出来ません。

2022年10月09日 蒼龍坊中務大輔龗月昌遠
岩村城

土砂崩れにより257号からは入れなくなっています。反対側からしか入れません。

2022年10月04日 【城郭道】たっきー
阿木城[岩村城  周辺城郭]



【織田武田抗争の地の一つ】
阿木城、岐阜県中津川市。岩村遠山氏が築き、阿木遠山氏が入った山城。岩村城攻めの際に織田方の最前線基地となりましたが、武田方に落ちました。現在、土塁、曲輪そして美しい堀切が良好な状態で残っています。虎口で僕が滑ったのはまた別のお話。御城印は登城口にあります。300円なり。

2022年09月15日 とんかつおやじND
飯高城[岩村城  周辺城郭]



飯高城 今年3月に恵那市教育委員会より (恵那市の新発見城館跡 明知城周辺調査事業.恵那市城館跡分布調査報告書1)にて報告された城址となります。

萬勝寺(飯高観音)を西に見下ろす尾根の先端頂部に位置する。東には岩村と明知を結ぶ街道が通り 鞍掛峠を見張るのに良い場所。
全体的に曲輪らしき箇所の削平は甘く 主郭らしき所は 神社があるため改変の可能性あり 監視目的の砦かな?
尾根は全て堀切で防御されてます。
一押し見所は 東側尾根の堀切がお見事

1.飯高観音から登り始めて見上げた 隣の北西尾根の堀切
2.登って来た西尾根 南下にある 浅い三連竪堀の二本
3.北西尾根の堀切から落ちる竪堀
4.東側尾根の逆ハの字型な堀切 
5.4の堀切より北にある竪堀
6.4の堀切から東側に落ちる竪堀を下から

2022年09月03日 ほりーないと
阿木城[岩村城  周辺城郭]



〈御城印の情報〉
1枚300円
登城口のパンフレット置き場で無人販売しています。代金は"協力金入れ"へ入れて下さい。

阿木城跡保存会の会長さんに偶然お会いして「最近、御城印の販売を始めた」と教えていただきました。
以前は登城記念として城城印を無料配布していました。(無料配布分は少し残っています)
パンフレット置き場には、阿木城の山野草情報、周辺観光マップもあります。会長さんが作成した阿木城の詳細な案内(持ち帰り不可)があるので、見て欲しいと話していました。

阿木城がいつ頃に築かれていたのか定かではありません。織田信長、武田信玄、どちらかの勢力によって造られたのか…
御城印の多くは家紋が入っています。阿木城は築城主不明のため、旧阿木村の村章が使われています。

保存状態がよく、見応えがある城です。登城道が整備され、所々に案内板があるので歩きやすいです。
時間と天候の都合で東側の二重堀切には辿り着けませんでした。会長さんのお話も強い雨が降りだして途中になってしました。
「今度来る時は声をかけてください。案内します」と会長さんが言ってくれました。また阿木城へ行きたいです!

※御城印の口コミ投稿は阿木城跡保存会の会長さんの許可をいただいています。

2022年07月20日 なおなおねこ尾張守
岩村城

結構狭いくねくね道を進みましたが、意外と小さかったです。参考までに、信長もなかなか攻め落とせなかっただけあって、かなり高い場所にあり、麓にはおんな城主の酒蔵があります。

2022年07月18日 なりっくす左衛門佐
岩村城



雨上がりの岩村城。一気に暑くなったので水分補給は必須だよ。後、雨上がりの石畳がすごく滑るから下りは特に気をつけてね。

2022年05月13日 青コアラ美濃守
漆原砦[岩村城  周辺城郭]



三河方面からの岩村城への侵攻を防ぐ目的で、北東にある前田砦とともに武田方による改修を受けたようです。

縄張は武田の城らしく馬出しがあり、土橋で主郭と繋がっています。主郭の南は広い帯曲輪が廻り、搦手方面は二重堀切で尾根筋を遮断しています。この二重堀切は明瞭に残っていて見応えがあります。

城山トンネルの上の山が城跡で、トンネルのどちらからでも登れます。自分は西側から登りましたが、真新しい案内板があるので迷わず到達出来ました。(途中にある柵も手で開けられます)城内も程よく整備されていて見やすいです。駐車場が無いのだけが難点です。

2022年05月08日 やまじろう弾正少弼
飯羽間城[岩村城  周辺城郭]



登城口は南西の細い道から入ることができます。

2022年05月01日 特にありません
岩村城



岩村城は当然城自体もいいですが、まず観光協会の方に敬意を表すします。QRコードでほとんどの施設をグラフィックで説明。変に観光目的で再建されるよりわかりやすい。全国で1番の対客が出来ている城だと思います。ただひとつ、町が「女城主おつやの方」押しなのに、その説明が資料館にもほとんど無いのが残念かな。

2022年01月16日 ちあき主税允くん
岩村城



車は近くの資料館に駐車場できます。雪が積もった六段壁は綺麗でした^_^とてもいい思い出になりました。今の時期は滑らない靴で攻めることをお勧めします。

2022年01月16日 山狐縫殿允
千旦林城[岩村城  周辺城郭]

岩村十八支城のひとつ。遠山氏重臣・吉村源斎、氏為親子がこの城を守っていたらしく、特に源斎は武勇に優れ、知性があり、人望が厚かったそう。その評判を聞きつけた武田信玄は仕官のお誘いをするのですが、源斎ほ拒否。信玄の怒りを買う事になり、1574年の勝頼による東美濃攻略軍に攻められ、落城。源斎親子も討死した。以後は廃城となったそう。
現在は堀切が残っているだけでそれ以外はおまり城の痕跡は見受けられないとの事。

2022年01月04日 山狐縫殿允
野井城[岩村城  周辺城郭]

別名「白金城」とも呼ばれ、遠山十八支城にも数えられる砦。岩村藩主が参勤交代の際に利用したと言われる林道「大名街道(とのさま街道)」を700mほど行くと、城趾への道標が立っているので、道標を頼りに進んで下さい。

現在、林道は山の管理者やその関係者が通る用の道になっているので、車で侵入しないよう、ご注意下さい。それと同時に道のりは急勾配になっているので、怪我をされないようにご注意下さい。

2022年01月04日 山狐縫殿允
椋実城[岩村城  周辺城郭]

椋実ダムの北西にある標高510mの山に築かれている砦。この砦の詳細は分かっておらず、1575(天正3年)に武田軍に攻められ、落城したと伝えられています。

北麓の道路沿いに登山口の道標が出ています。

2022年01月02日 大和魂雅楽頭Sギロロ伍長
岩村城



長崎の興福寺に岩村城よりお酒かなにかが奉納されていました。(理由は不明)

2021年12月18日 竹下半兵衛(^^)/
岩村城



標高717mの岩村城、本日はパウダースノー状態でした♡🏂️
国道257号の気温表示はAM6時に-3℃で、塩カルびっしりです。この道に慣れてる自分には夏タイヤの軽🏎️でも特に不安は無かったです。
...慎重に運転すればですけど(^^;
フォトはAM7時頃のモノですが、雪⛄️は昼には消えるカモです

..サテサテ、これより搦め手から標高958mの水晶山陣所跡へ登りまーす ε=(。・ω・)ゞ

2021年11月09日 くっしー治部大輔尚人
岩村城



石垣がとにかく素晴らしい。ちょっと「はらみ」が心配なとこがありましたが…
あと、今の時期(11月)は紅葉が綺麗でした。資料館から本丸まで約30分ぐらいですが、ある程度体力は必要ですね。ちなみに、本丸まで車で行くこともできますよ。

2021年11月07日 左兵衛督ストリーム
観光協会[岩村城  御城印]

営業時間に注意。11月は16時までだった。

2021年10月28日 とんかつおやじND
飯羽間城[岩村城  周辺城郭]



美濃國恵那郡遠山荘遠山氏の分家飯羽間遠山氏の城 岩村城の出城の役割 遠山十八支城の一つ で 平山城 飯羽間遠山氏は「遠山七家」 飯羽間城は武田軍によって攻め落とされた

2021年09月25日 きむねこ
岩村城

今はコロナで資料館も開いていませんが、城自体は登れます。本丸近くにも車を停められますが、個人的にはその資料館に停めて登るほうが、よりこの城の素晴らしさを感じられると思いました。結構急な所も多いので、必要最低限の軽装をオススメします。野面、切込み、打ち込みの石垣オールスターは本当に感動します。

2021年09月03日 左近衛少将桜姫
岩村城



恵那方面より入る。阿木ダムから辺境の地 感あり。雨の為、無人。熊出没の恐怖を歌で誤魔化し登城。流石 霧ヶ城、やはり霧攻に遭う。蛇骨を使われた?笑
六段壁、見事也! 算木積、打込接の落積。本丸広く、驟雨の中ひとり佇む。
帰りにしどどに濡れながら松浦軒へ。本場オランダですら廃れたカステーラ2本、土産に購入。美味也。お姉さんに「熊出没の放送、よくかかります」微笑んで言われ、出逢わなかった幸運を合掌。

2021年08月08日 虹ノ松能登守
井戸[岩村城  遺構・復元物]

天守閣趾の東側の隅に井戸がありました。蓋がしてあり水はありません。

2021年07月29日 在来線男右京進
岩村城

歴史資料館に車を停めて歩いて上りましたが、出丸に駐車場があり楽に上れます。御城印は観光案内所にあります。

2021年06月12日 青コアラ美濃守
東野陣屋[岩村城  周辺城郭]



天正元年(1573)織田信長と遠山氏が、武田氏の東美濃侵攻に備えて築いたものとされています。

貴船神社の北隣の雑木林が城跡です。神社の参道の北に城跡の標柱があり、そこから雑木林に向かってまっすぐ進むと虎口があります。左右に空堀があり、削り残しの土橋を渡る構造みたいなんですが、如何せん藪が酷くてよくわかりません。

内部は堀で囲まれた方形の空間となっていて土塁や櫓台があるのですが、これも藪でよく見えません。この城で最も残りが良い遺構が南側の空堀ですが、曲輪内部からだと深い藪に阻まれて近づけないので、外側(神社側)からの方が幾分見易いかと思います。(と言ってもこちらも藪には違いないですが)

もう少し整備が進むとありがたいですが、現状では夏場の見学は困難なので行かれるなら冬にした方がいいと思います。

駐車場がないので、近くの阿木川公園に停めて歩きました。徒歩10分弱です。

2021年05月31日 ニセロー
岩村城



6段石垣素晴らしかったです。100名城スタンプの場所では御城印は購入できませんでした。

2021年05月18日 士口木寸美濃守日昌
菱櫓と俄坂[岩村城  碑・説明板]

俄坂門は中世遠山氏菩提寺の大円寺へ向く正門だったらしい

2021年03月26日 青コアラ美濃守
鷹撃谷城[岩村城  周辺城郭]



恵那市に2つ存在する「大井城」。こちらは恵那市史跡に指定されており、教育委員会設置の城跡碑にも「大井城跡」と表記されていますが、現大井小学校の方の大井城と区別する為、鷹撃谷(たかちがや)城と呼ばれています。
ただし両城は直線距離で600mほどしか離れていない事から、全く別の城だったというよりは何らかの連携を持った一体の城であった可能性もあると思われます。

住宅街の突き当たりの草むらの中に城跡碑が立っています。土塁や堀状の地形が見られますが、土塁に関しては発掘調査の結果後世のものだと判明したとの事です。

2021年03月26日 青コアラ美濃守
大井城[岩村城  周辺城郭]



永享7年(1435)、美濃守護土岐氏の一族大井秀行により築かれたのが始めとされますが定かではありません。戦国時代には岩村遠山氏の遠山十八支城の一つとなりますが、この地は信濃との国境が近く、織田と武田の争いの中で大井城も何度も戦乱に巻き込まれたようです。

現在の大井小学校から恵那高校にかけての一帯が城域とされます。遺構は特に認められませんが、小学校の北側の川が流れている所はいかにも堀跡といった雰囲気が感じられ、また城が高台に立地していた事が実感出来ます。
城跡碑はありませんが、小学校の門を入った正面に学校の由来が書かれた看板があり、ここが大井城の跡地である旨が記されています。(スポットはこの看板の位置に置いています)

駐車場はありません。学校が休みだったので、空きスペースをお借りしました。
ちなみに城跡のすぐ下を中山道が通っており、江戸から数えて46番目の大井宿があり本陣の正門が現存しています。興味のある方はついでに見学されるといいかと思います。

2021年02月14日 Ken1刑部卿piece
岩村城

石垣、すごかったです。
こんな高台まで、大変だっただろうな。って、思いました。

せっかく城攻めしましたが、御城印の購入は、間に合わず。。。郵送もやってないようで、悔やまれるばかり。。。うっ。。

2021年02月09日 あきおこ
馬隠し砦[岩村城  周辺城郭]



恵那市長島町正家にある山城です。(標高635m/比高235m)。百姓が戦乱を避ける為に築いた避難小屋と伝わり馬隠し遺跡とも呼ばれます。

永田林道のカーブにある広い駐車場の谷左手斜面から直登しました。登城路は無くかなりの急斜面できついです。

砦は大小屋と端小屋の2ブロック構成。大小屋はキレのある堀切が尾根を遮断し北東に竪堀となり落ち込みます。堀切には大土塁を設け綺麗に削平された曲輪のクオリティの高さに啞然としました。明らかに尾根筋からの敵を警戒しています。街道監視に築かれたのでしょうか。

尚、尾根筋をウロウロしてたら林道を発見。こちらからのアクセスが楽そうなのでスポット置いておきます。

大小屋から北西にかなり下った端小屋は大小屋の様な鋭さを感じませんでした。
避難小屋とは名ばかりの凄い遺構、一見の価値ありです。(登城日2021年2月7日)

2020年12月26日 【城郭道】たっきー
信の城[岩村城  周辺城郭]

飯羽間城と近接した位置にある城。歴史ははっきりとしていない。城主は信(延)友市丞としている。しかし、この城は織田軍の岩村城攻めで築いた城であるため、市丞は城番だった可能性もある。
城跡は現在、草木が生い茂っていてややあれ気味である。細長い尾根に曲輪が続いている縄張で背後の尾根続きには二重堀切を設け、内側に土塁がある。曲輪内は畑作のために改変されている。

2020年12月26日 【城郭道】たっきー
六段壁[岩村城  遺構・復元物]

本丸北東面に築かれた見事な六段壁は江戸時代後半に築かれたものです。背面の高石垣崩落を防ぐ補強の石垣でした。
何度見ても声が出ないほど立派な六段壁は岩村城の顔とも言うべき存在ですね。

2020年12月11日 【城郭道】たっきー
土岐門[岩村城  碑・説明板]

土岐門は岩村城第二の門である薬医門で、岩村城主遠山氏が土岐氏を破ってその城門を奪い、ここに移したという伝承があります。現在は恵那市の徳祥寺に岩村城で唯一現存される建物として移築されています。

2020年12月02日 尾張伊東家@和祐
岩村城



上の駐車場に行く場合は対向車に注意です。ガードレールのない細い断崖でのすれ違いが必ず必要になりますので運転に自信の無い方は下の駐車場に車を停めてから登ってくださいね。

2020年12月02日 ゆーみん
岩村城



岩村城跡の麓の岩村歴史資料館のところに登城口があります。
岩村城跡までは、麓から歩いて30分ほど。
岩村城跡の本丸跡すぐ下にも駐車場があります。
各ポイントに設置されている説明板のQRコードを読み取ってサイトに繋ぐと、再現CGとナレーションが流れます。これを流しながら実際の景色を見るととても面白いです。
本丸直前の六段壁は言わずと知れた山城石垣の萌えポイント(笑)
本丸からの城下の眺めも絶景です。

2020年11月29日 わだち
岩村城



9:30に登城開始でほとんど人いませんでしたが、11時に戻ってきたら車がかなり停まってました。
みなさん書かれてるけど、10分程度の急な坂道を頑張れば素晴らしい石垣が次から次へと現れますので歴史資料館からの登城が絶対おすすめです。
なお少し進んだ本丸まで700メートルの標識から石畳始まります。そこの右手に地元の人のご厚志か杖がいくつか置かれてますので活用するのがいいと思います。

2020年11月18日 とんかつおやじND
阿木城[岩村城  周辺城郭]



阿木城は通称城ヶ峰と呼ばれる標高541m、比高差約60mの山上一帯に築かれています。城の広さは東西約180m、南北約150mで、近隣の中世城郭の中では大規模な城です。遺構の保存状態も良く、当時の城の形態がよく分かります。
城がいつ頃に築かれていたのかは定かではありませんが、文献や遺構などから戦国時代末期には築城されていたと考えられています。
戦国時代の東濃地方は、織田氏・武田氏の激しい勢力争いが繰り広げられており、その中で阿木城も何らかの役割を果たしていたと思われます。  中津川公式サイトより

個人所有ですが 手入れが行き届いてます
切岸や堀切など崩落防止手入れあり
見学路も階段等ありカメラ片手にでも回りやすくなってます

登城口に五城印と説明パンフレットあり
寸志の募金箱設置されてます
個人的に北東側の二重堀切が特におすすめ

2020年10月14日 播磨守風のこうちゃん播守
岩村城



雨降りの訪問になりました😑道標通りに進むと歴史資料館の方に到着し雨降りだったのでここからの登城を断念し、本丸跡手前迄の車道から登城しました!道中広くないです😑
雨降りの岩村城、意外と良かったですねぇ😳石垣に付着してる苔と雨とのバランスがマッチしてました😃もし岩村城訪問の際に雨降りならば落胆せずに行くのもオススメでした☝️

2020年09月26日 ひとえもん
駐車場[岩村城  駐車場]

ここから復元された太鼓櫓、岩村歴史館に行くことができます。登城口も近くにあるのでとても便利な駐車場です。しかしコンクリートではなく砂利です。

2020年08月14日 VTR美濃守シゲ横浜初参加
久須見城[岩村城  周辺城郭]



先人の方の情報を元に城友さんとリア攻め行きました。

県道68号を八百津方面から木曽川越え左手にファミマ、右に久須見のバス停の所左に入ると公民館有りそこに止めさせて頂きました。

トイレは有りません、近くにファミマ有り。

取り付き判らず竹藪の麓をウロウロ少し薄い所入ったら、いきなり竪堀に
そこを上がっていくと、二の丸と本丸を分ける堀切でした。二の郭東側土塁と虎口有り更に東には微かに段形状が見られました。

本郭はかなり広く、ただ先人様も書かれてます様にチョット怖い雰囲気の場所も有ります。更に西は堀切となっていてそこからは草木で進めず戻りました。

東に二の郭超えると堀切?現世の手が入っている様にも見えます、その向こう側はお墓となってます。

その堀切から北も南も降りられる様になっており、北に降りてお墓に行く道が付けられている様でそのまま道路出ました。

私有地の看板は有りませんでしたがリア攻めの際は、地元の方には十分な配慮を!

2020年07月17日 【城郭道】たっきー
六段壁[岩村城  遺構・復元物]

こちらが正しい六段壁の場所です。よろしければ航空地図で確認してみてください。

2020年07月07日 OROKA参議
阿寺城[岩村城  周辺城郭]



【アドベンチャー満載なドキドキ城道!】

阿寺城は岩村城の北東に位置する城で、遠山氏の城のようです。織田VS武田の際には境目の城であったようです。

この城は、アクセスがかなりアドベンチャーです(笑)
県道413号から手賀野の集落へ南下し、住宅街一番奥の浄水場を目指します。(車は浄水場の付近に路駐させてもらいました、このあたり自己責任で)
浄水場の少し手前で左折し、川沿いの道を進んで砂防ダムに出ます。ダム沿いに鉄柱を倒しただけな感じのワイルドな橋があるので、これを使いダムの端を渡ります。(写真参照)
いや、マジで?と思うかも知れませんがマジです。
そのまま南下しますが、城は川の反対側にあるので、テキトーな浅瀬で川向こうに渡ります。足場になりそうな適度な大きさの石を投げ、マリオみたいにその上をピョンピョン跳んで、濡れずに渡れたらラッキーですね☆ギャグみたいな行程ですが、マジですって。
渡る目印としては、「御嶽神社登り口」のボロ板が対岸に見えた時くらいです。このボロ板の上が本来の登城道ですが、崩れてるので、登れそうな斜面を強引に登ります。…うん、これもマジな話です。
尾根まで登りきる事ができたら、だいたい城域に入るので、あとは尾根の高い方へ向かいましょう♪

遺構はあまり整備されていないものの、見応えがあります。郭は尾根沿いに展開されており、土塁、折れのある虎口、堀切、土橋などなど…本丸は御嶽神社の小さな祠があります。また、3重の堀切もあり楽しめます。

とはいえ、途中の道が冒険ドキドキワクワクの印象強すぎて、城そのものの記憶があんまり残ってないのが現実です。

どうだい、ワイルドだろ~?(笑)

2020年06月22日 OROKA参議
下手向城[岩村城  周辺城郭]



【良い意味で期待を裏切るクオリティ】

下手向(しもとうげ)城は岩村城の西、上手向城のさらに西にある城で、勝氏の城のようですが詳細は不明です。

アクセスは、下手向郵便局から北の道に入り、並んでる民家の一番奥の民家の右側畑奥から山に入る感じです。
なお、駐車場は無いので県道沿いのどこかに路駐する形になります。(このあたり自己責任でお願いします)
山に入って5~10分ほど登ると城に着きますが、道が曖昧で最後は直登した記憶があります。

さて、上手向城の薄~いアレらを見た後に訪れたので期待は全くしてませんでしたが、遺構は予想に反してかなり凄いです。
帯郭を伴う主郭は、数十m四方くらいの広さがあり、ガッツリした土塁もあります。また、何よりシャープな切岸が美しい…そして、その切岸の下には半周ほど空堀が巡ってます。
ちなみに、切岸の斜面の一部に切り出された岩?石積?のようなものが埋っていて、よく分からずワクワクさせてくれます。
単なる土豪の城という感じよりはかなりゴージャスで、後で城のリノベーションをした可能性もありますね。

スタートの民家を横切る時はドキドキしますが、かなり素晴らしい城です!
イベントや大河ドラマ館で明智城を訪れるついでに、ぜひ下手向城もお寄りください(*^-^)

2020年06月21日 OROKA参議
上手向城[岩村城  周辺城郭]



【うっすら堀切と削平…】

どなたかの設置したスポットに、長期の放置も可哀想なので口コミと写真を投稿させていただきます。

上手向(かみとうげ)城は岩村城の西にある城で、遠山氏の配下である渡辺氏の城のようです。

アクセスは、とりあえず地図らへんにある手向神社を目指します。この神社の背後の山が上手向城です。
神社の向かって左手にうっすら登城道があるので、ここから登ります。しばらく登ると尾根に出て、左右がそれぞれ城ヶ峯と隠居峯になり、どちらも郭となります。

遺構は…うっすらとプリティな堀切と、甘~い甘ちゃんな郭の削平地があります。藪の奥に行けばもう少し遺構があるかも知れませんが、私はテンション上がらず撤退しました。
スポットを置いてくれた方、ぜひ奥の遺構を紹介してくだされ。

このあたりのリア攻めしていて時間が余った方、どんな城でも城と名が付けば行くぜという方、マニアックなマイナー城専門という方…どうぞ行ってくだされ。
遺構いっぱいの城に行きたいという方…他を先に回った方がいいです(笑)

2020年06月14日 OROKA参議
久須見城[岩村城  周辺城郭]



久須見城は岩村城よりだいぶ北部にある城で、築城者や時期等は不明な城です。

高速の恵那インターから北に向かい、久須見のバス停あたりの東の丘が城になります。県道側からコンクリートの階段がついてますがなぜか途中で消えるので、強引に直登しました。高さはそこまでないので5分~10分くらいですかね。
駐車場はありませんので、どこかに頑張って停める形になります。

本郭は神社というか祠が奉られています。
遺構としては、郭を囲む土塁と、副郭と隔てる堀切、土橋、虎口がコンパクトながらとても見事です。
冬に行ったので見やすかったですが、夏だと藪とか酷いかもです。

登城道を軽く整備してくれればなぁ…かなり素晴らしい城なんですが。
それでも手軽にしっかりした遺構を楽しめるオススメの城には変わりないです(*^-^)

岩村城や明智城目的で高速で恵那インターを使われるなら、ぜひついでにお寄りください。

2020年06月01日 VTR美濃守シゲ横浜初参加
前田砦(上村城)[岩村城  周辺城郭]

凄い砦です!!堀切、曲輪の大きさ、切り岸の高さ見所満載、麓から城域までそんなに時間もかかりません。


2020年06月01日 VTR美濃守シゲ横浜初参加
漆原砦[岩村城  周辺城郭]

岩村から三河に抜ける街道の峠に有ります
上村合戦時に遠山氏が造り
武田方となった後改修され武田の遺構も見られます

林道工事やお墓も有りますので入山の際は最大限の注意を
駐車場やトイレは無いです

2020年03月12日 あきおこ
釜屋城[岩村城  周辺城郭]



岐阜県恵那市山岡町釜屋にある山城(標高580m/比高80m)です。明知遠山氏配下の在地領主勝氏の居城と伝わります。

山岡町中心部より南の県道405号線と国道306号を結ぶ車道沿いに神明神社があり、そこの南側にある採石場を経て小川を渡った先の尾根から城への直登路があります。

神明神社に偶然居合わせた地元の方に駐車許可をもらおうとしたところ、別にもっと分かりやすい登城路があると親切に教えていただきました。神社から東の田園奥にある堰堤から登城路があるとの事で、そこからリア攻めしました。駐車スペースもあります。

堰堤右手に切通があり少し登ると尾根道となり、やがて土橋と竪掘があります。大手筋の掘底道の様です。そこから更に奥に進むと、この城一番の見所とも言える堅固な虎口が現れます。虎口に坂土橋を設け鋭い切岸上から狙い撃ち必至です。あとは主郭を中心に複数の腰曲輪を設けた切岸防御主体の構成で、南方面は防御意識が薄く感じました。

知名度こそ低いですが、この地方では城域は広いほうで植林の山でもあり見易く意外に楽しめました。そして驚いたのは私以外のメグラー様がいた事・・・・!

駐車場は、神明神社の社務所横に広い駐車場があり、堰堤側は車止め前の路肩に2台ほど停めれる駐車スペースがあります。トイレは無し。案内板は一切ありません。
(登城日 2020年3月1日)

2019年09月22日 まさある甲斐守
登城口(車出入口)[岩村城  その他]

道は細く、すれ違い困難です。
大型車両進入禁止。
先の駐車場は駐車無料。
20台くらい駐車可能。トイレ有り。

2019年06月14日 Toshi 三河守
岩村城



山道大変ですが登る価値がある見応えです😁

2019年06月01日 信州左衛門佐克幸
岩村城



岩村城には何度か行っていますが太鼓櫓のある歴史資料館からの登城をオススメします!城の全貌を堪能できるハズ。本丸付近の駐車場からではホントの名城としてのスゴさが半減します。

2019年05月15日 宮内卿シンシン
岩村城



天気がイマイチでした。
城跡の駐車場まで車で行きましたが、対向車が居ると怖いですね。今日は対向車がいなくて助かりました。

2019年04月30日 治部大輔あきまろ
岩村城



登城口入り口から天守跡迄は15分~25分位の道のりでしょうか…
只、道のりはかなり険しいですし、足元も石段なので杖など持参された方が楽だと思われます!
その代わり景観はなかなか良いですよ❗️


2019年04月30日 治部大輔あきまろ
岩村城



登城するには結構な急勾配と足場が石段なので、杖的な物を持参された方がよろしいかと思います!

2019年04月29日 アッツ中務卿蝦夷守
太鼓櫓[岩村城  遺構・復元物]

太鼓櫓、表御門、平重門等は平成2年に復元されました。

2019年04月24日 七代目尾張守宗春
出丸[岩村城  駐車場]

歩きたくない場合は、ここまで車で来る事が出来ます。ただし、道は狭く、大きな車はすれ違いが難しいです。

2019年04月23日 灰猫☆上総介
岩村コミュニティーセンター[岩村城  スタンプ]

岩村歴史資料館が休館日のときは、コミュニティーセンター入口にスタンプが置いてあります。

2019年04月23日 灰猫☆上総介
岩村歴史資料館[岩村城  スタンプ]



月曜日は休館日なのでスタンプは押せません。岩村コミュニティーセンターで押せます。

2018年09月29日 南紀伊守
岩村城

私も一ヶ月ほど前に岩村城に行きました。岩村城もご朱印があります。ただ資料館ではなく、資料館の向かいぐらいにある岩村山荘(だったかな?)という旅館のような建物で売っています。資料館のおじさんに聞いたら教えてもらえました。教えてもらわないとわからないですよね〜

2018年09月27日 陸奥守たろす @39
岩村城

御朱印情報

最近御朱印を置くお城が増え東美濃の山城である「美濃金山城」「苗木城」にも御朱印があります。
岩村城にもないかな?と思って岩村歴史資料館を見渡すもなかったのでそのまま帰陣。
(管理人さんに聞けば良かったか?)

で、資料館から持ち帰ったパンフレットの中に、「えなてらす、いわむら。」(岩村観光案内所)、「岩村山荘」にて販売(¥300)との記載がありました。

残念…

2018年08月11日 左馬允りょうた
岩村城

岩村城は、天然の要害で、800㍍歩くし、石段がキツイ…

2018年07月29日 中務卿一之介
岩村城

岩村駅から岩村城歴史資料館へは20分で着きましたが、登城口から本丸へは、私の場合40分ほどかかりました。途中で現れる石垣それぞれに心惹かれ、写真を撮りながらながら登ったので(^^;

この廃城感、いい!
う~ん、何とも形容しがたい雰囲気…(^^)

見学後は、岩村の街の中にある「みつば」さんといううどん屋さんで昼食にしました。コシがあってツルッとしたうどんが美味でした。

最後に、1つ注意(特に暑いとき)があります。
歴史資料館付近(登城口付近)には飲料を買える店や自販機がありません。このため、飲料は必ず岩村の街を通り過ぎるまでに調達しておいてください(私は、歴史資料館に自販機くらいあるだろうと鷹をくくっていました。資料館の方のご好意で、お茶を譲っていただきました)。

2018年03月19日 【感謝✨】☆あんず
岩村城

本丸近くの出丸広場駐車場がありますが、ツアーバスは登れませんし、「やはり三大名城は登らないとね」というナビゲーターの方と行軍。出丸広場駐車場の建物はトイレでした。
岩村城の廊下の部材が、城下の地酒“女城主”蔵元の岩村醸造の廊下に残っているというのでナビゲーターさんに案内して頂き拝見しました。
風情がある酒屋さん。廊下は一部しか無かった(板というべきか)のですがピカピカな廊下でした。
試飲もさせてくれてホッコリしました。生原酒は味わい深い濃いお酒です。
2018年前期から始まる連続テレビ小説第98作「半分、青い。」は、岐阜県と東京を舞台だそうで地元ロケがあったそうです。町並みが見られると思います。

2017年10月12日 昌幸近江守海割れ梅雨無し
岩村城

岩村歴史資料館から登城。

6段石垣と出会った後、本丸直行もアリですが、周回し南曲輪・出丸・二ノ丸訪問もいかがでしょうか?
曲輪までの2つの堀切はこの城の中で唯一
戦国時代を感じさせます。
出丸からの2段高石垣も見事です。
二ノ丸は草ぼうぼうですが、そこにある弁天池は掘り下げたところを石で囲ってます。
当時としては画期的だと思います。

もちろん石垣を見ているだけでも楽しくなってくる城です。
土岐門・畳橋・追手門と三重櫓・本丸のたくさんの虎口跡…
当時がどうだったか想像したくなります。



2017年09月26日 織田上総介晃司
岩村城

駐車場は2ヶ所。
藩主邸太鼓櫓のある岩村歴史資料館からの徒歩ルート。
そして本丸近くの出丸広場駐車場。ですが途中の車道は狭く、対向車が来るとオーマイガーです。

六段壁は圧巻。

岩村城に来たら麓の城下町にも足を運んでみては。風情あります。

城下町の蕎麦屋さんで昼食を摂りました。お店の都合で11:30の開店でしたが、1時間後には蕎麦の売り切れ?で営業終了。
かなりの人気店。
蕎麦湯もちゃんと出てきました。

和菓子屋さんで栗きんとんを購入。
城友さんの情報ではかなり美味しかったらしい。
人へのお土産にせず、自分ちで食べればよかった…

2017年09月14日 和泉守☆山ちゃん
岩村城

100名城スタンプ、岩村歴史資料館が休館日の場合、岩村コミュニティーセンター内にありました。
(岩村振興事務所は休館していました。)

2017年09月05日 コナン遠江守
岩村城

岩村町歴史資料館から登城するのがおすすめです。登城コースに次々と現れる石垣は必見です。
説明板のQRコードで再現CGが見ることができます。畳橋-枡形門-三重櫓の構造は是非見てください。資料館で復元の募金をしていますが、まず、ここの一画から始めてほしいです。

2017年08月27日 志能便左京大夫
岩村城

岩村城の北西約1㎞のところ、国道363号沿いの資料館入口近くの小高い丘の上に大将陣があります。
現在は大将陣公園となっています。

岩村城を包囲した際、織田信忠が本陣を置いた場所とされています。

また大将塚と言われる塚もあり、岩村城に籠って戦った秋山虎繁、おつらの方ら5人を処刑し葬った場所と伝えられています。
(処刑場所については岐阜に連行され長良川で…の説もあり)

太平洋戦争時も軍事施設として使われたらしいので、詳しい遺構ははっきりしません。
駐車場はありません。
比高20m。
国道沿いの入口道標から主郭まで徒歩約5分です。

岩村城に登城した際は是非お立ち寄りいただき、ここからの岩村城を眺めてもらいたいものです。
信忠が、秋山夫妻らがどんな思いで岩村城を見たのかを感じとれる場所です。

2017年07月18日 駿河守武蔵守
岩村城

本丸の近くに駐車場がありますが、
そこに至る道が狭く、ガードレールが
ありません。
途中対向車が来たときはバックで
待避地点まで戻る恐怖を味わう
ことになります。

下の資料館に車を止め、地道に
登城するのがオススメです。
日本三大山城、苦労しても登る
価値はありますよ。

2017年05月13日 おとも左近衛中将
岩村城

城めぐらーさんから勧められ岩村城と苗木城を同日登城しました。また違った雰囲気で両方感動しました!岩村城へ行かれた時は苗木城も是非回った方が良いかと!

2017年04月08日 しもじま
岩村城

登城中、本丸とかの少し手前の通路で石垣が大きく崩れかけています。予定のある方はお気をつけて。

2017年04月05日 しもじま
岩村城

QRコードの看板、なかなか見た目的に雰囲気損ねる…。もっとなんとかならなかったのかな。

2017年01月04日 ギア右近衛大将
岩村城

本丸近くの出丸駐車場まで車で行けますが、車の1台分の横幅しかないので、すれ違いが出来ません。冬場は昼間でも凍った箇所があるので、資料館から登ってきた方が怪我の危険が少ないかもしれません。

2017年01月04日 マスボ右近衛少将マスボ
岩村城

100名城スタンプ、岩村城歴史資料館内にありますが、年末年始お休みのため(1/4まで)、資料館から1キロくらい下った恵那市岩村振興事務所内に設置されています。

2016年10月08日 蓬左の武将尾張守⚡️晋作
岩村城

木曽義昌は武田家滅亡後、家康に仕え下総に移封。
家臣の千村良重も行を共にするが、義昌の嫡男、義利の代に取り潰しとなり、家臣も浪人となる。

良重は故郷に戻ったが、家康による上杉征伐に従軍する。西軍挙兵の報に接した家康は下野小山で良重や山村良勝らに密命を与え、帰国させる。

彼らはいずれ通りかかるであろう徳川秀忠軍のために東濃周辺の制圧に取りかかる。
遠山友政とともに河尻秀長留守中の苗木城を攻略。
遠山利景・小里光明・妻木頼忠らと連携して、田丸直昌留守中の岩村城も攻略する。(東濃の関ヶ原)

これらの功により、千村良重は美濃久々利4,000石となり、陣屋を置く。
大坂冬の陣では信濃飯田城や妻籠付近を守備、夏の陣では天王寺口で奮戦。
家康死後、秀忠によって旗本交代寄合となり、のち尾張徳川義直附属となる。寛永7年没。
墓は久々利城麓の東禅寺。

2016年04月13日 ドラガン尾張守店長
岩村城

今回は明知鉄道岩村駅から徒歩で登城しました。景観保存地区に指定されている城下町を抜けて、二種類の桜咲く太鼓櫓。歴史資料館で勉強して、石畳の曲がりくねった急坂を本丸へ。途中、蛇の骨を入れると霧が立ち込めるという霧ヶ井、全国的にも珍しい菱櫓跡、何層にも成る高石垣、出丸跡を経て、恵那山を眺める本丸(三重櫓)跡。717メートルからの景色はなかなかです。帰りは城下町、鳥兵さんで鳥の肝と名酒女城主を頂き、松浦堂さんでは長崎に伝わったカステーラとかしわ餅を頂きました。観光案内所では、案内人の方に復元計画などを教えて頂きました。やっぱり歩くと色々な事が見えてきます。明知鉄道の車窓からの景色も綺麗でした。

2016年02月16日 征夷大将軍クララ姫
岩村城

山城の代表イメージが強い岩村城跡ですが、直近まで林道が通っており車なら楽々行けます。勿論、無料駐車場も完備され、巡ラーには優しい城跡でした。

2015年12月19日 フー甲斐守
岩村城

城下のかんから屋さんのお餅柔らかくて美味しかったです。きな粉とあんこと胡麻の3種5個は食べ応えあり。お土産に買ったお餅も今から楽しみです。

2015年08月16日 真生相模守如猪斎
岩村城

予習に小説「霧の城」を読んでから行きました。
歴史資料館の駐車場に車を止めて、徒歩で登りました。
距離にして700mくらい。少し登りがきついですが、ゆっくり休み休み行けば、女性や小学生でも問題なし。
但し、サンダルとかは止めた方がいいです。とくに下りは、石畳が滑るので。

2014年08月12日  タバスコ
岩村城

麓の太鼓櫓のあるところに車をとめて出発、車で、本丸の近くまであがれますが、麓から本丸まで、20分程なので、歩くのが、おすすめです。あと、岩村の町並みもおすすめです。

2014年04月27日 丸に片手蔓柏だんな
岩村城

登城口にある岩村山荘に宿泊。戦国料理とラジウム温泉が最高。湯船から桜が望めます。

2013年11月09日 尾張守ひろっちぃ
岩村城

岩村駅から100名城スタンプの置かれている資料館までは車道にそって歩いていくことができます。
その資料館の門をくぐったあとからいよいよ登山口になります。
20分もかからないうちに本丸跡に着くことができます。
最初は石畳の道で次は山道になりますが他の山城の道と比べるとかなり楽で簡単に山頂に着くことが出来ます。
登山口の入り口にクマの標識がありご注意を。


2013年07月29日 すかんぴん左馬助
岩村城

他の方も書かれている、257号線からの出丸の駐車場への道ですが、整備されてました。
私が訪れた時は衛生車が来てました。つまり、その大きさでも問題無いと思われます。

駐車場も整備されており休憩場とトイレが完備です。下の資料館のトイレよりも新しそうです。
年配の方や小さい子のいる親子連れが車でいらしてました。

この出丸の近くは戦国期の遺構が、江戸時代もあまり手をいれられる事なく現在も残っているそうです。ただ夏場は藪で、よく分かりません。

地元の方が仰るには、冬場は積雪よりも、その後の凍結が危ないとのことです。

ご城下の有名なカステラは、長崎やポルトガルでも失われたレシピと型だそうで、その優しい甘さには疲れも癒されます。
是非ご賞味下され。




2013年02月06日 三河守
岩村城

本丸近くに駐車場がありますが、そこまでの道は、凍結してました(2月)。でも霧の中から不意に現れる石垣はなんとも幻想的で圧巻でした。
麓の昔ながらの街並みにも癒されます。
麓の街からは、お城は全く見えなくて、さっきの霧の中のお城の様子が夢のように思えました。
雨の日を狙って、是非霧ヶ城をご覧下さい!
天空の城ラピュタのようでした。

2012年08月11日 雪之丞
岩村城

城の石垣は、間違いなく一見の価値ありですが、道中の明智鉄道も味があります。途中の駅で寝過ごしそうになって慌てて降りようとするお婆さんに、「待ちますからゆっくり身支度して下さい。」と運転手兼車掌さんが声をかけてました。ほのぼのさせる一幕です。

2012年04月01日 桑名中務大輔はまぐり〜
岩村城

雪化粧の岩村城。絶景でした!

2010年11月25日 tomm加賀守
岩村城

100名城スタンプは歴史資料館にありますが、できればそこから歩いて登られる事をお薦めします(20分程です)
次第に現れてくる石垣に感動する事間違いナシですよ

明知鉄道の岩村駅のスタンプは岩村城の六段石垣の絵柄です

2010年09月13日 古楽侍従広家
岩村城

織田勝長、川尻秀隆、森蘭丸…

この城に関わった信長関係者が本能寺の変をきっかけに命を落とすのは、お艶の方の呪いかも?

2010年06月08日 傾奇揚げ仙兵衛
岩村城

付近に極楽と言う無人駅がある

岩村城の周辺スポット情報

 太鼓櫓(遺構・復元物)

 畳橋(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 登城道(遺構・復元物)

 六段壁(遺構・復元物)

 長局埋門跡(遺構・復元物)

 三重櫓跡(遺構・復元物)

 霧ヶ井(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 藩校知新館正門(遺構・復元物)

 御殿茶室(遺構・復元物)

 徳祥寺(移築土岐門)(遺構・復元物)

 妙法寺(移築二の丸赤時門)(遺構・復元物)

 移築御殿茶室(遺構・復元物)

 平重門(遺構・復元物)

 石碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 出丸(碑・説明板)

 南曲輪(碑・説明板)

 織田信長公 宿営の地(碑・説明板)

 埋門(碑・説明板)

 長局埋門(碑・説明板)

 菱櫓と俄坂(碑・説明板)

 八幡神社(碑・説明板)

 土岐門(碑・説明板)

 一の門(碑・説明板)

 初門(碑・説明板)

 藤坂(碑・説明板)

 岩村藩校知新館跡(碑・説明板)

 岩村城登城口(碑・説明板)

 遠山塚(碑・説明板)

 大円寺跡(碑・説明板)

 岩村城跡案内図(碑・説明板)

 阿木城(周辺城郭)

 阿寺城(周辺城郭)

 水晶山陣(周辺城郭)

 大将陣(周辺城郭)

 信の城(周辺城郭)

 飯羽間城(周辺城郭)

 下手向城(周辺城郭)

 上手向城(周辺城郭)

 前田砦(上村城)(周辺城郭)

 大平城(串原遠山城)(周辺城郭)

 釜屋城(周辺城郭)

 漆原砦(周辺城郭)

 久須見城(周辺城郭)

 山岡・山田城(周辺城郭)

 馬隠し砦(周辺城郭)

 大井城(周辺城郭)

 鷹撃谷城(周辺城郭)

 東野陣屋(周辺城郭)

 千旦林城(周辺城郭)

 野井城(周辺城郭)

 椋実城(周辺城郭)

 佐々良木城(周辺城郭)

 飯高城(周辺城郭)

 田沢城(周辺城郭)

 奈免入城(周辺城郭)

 中西城(周辺城郭)

 下村砦(周辺城郭)

 小田子砦(周辺城郭)

 福原城(周辺城郭)

 岩井戸砦(周辺城郭)

 上手向城(周辺城郭)

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 岩村城弁財天社(寺社・史跡)

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