大井城

大井城([岩村城  周辺城郭])

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大井城の口コミ情報

2025年12月13日 マグロ常陸介祐平


阿木川の河岸段丘上に築かれたお城で、永享7年(1435年)に美濃守護土岐頼貞の兄の土岐定親の4代後の原(後に大井)秀行が築城したとされるようです。応仁の乱で土岐成頼が西軍に付くと、文明5年(1473年)東軍方の信濃松尾城主小笠原家長と木曽家豊に攻め込まれ大井城は落城します。天文3年(1534年)になると府中小笠原氏に敗れた松尾小笠原氏は東濃から撤退し、岩村遠山氏がこの地を支配し元斯波氏の家臣藤井常俊の子の宗常が大井城を修復し城主となり、遠山十八支城のひとつに数えられます。天正2年、武田勝頼の軍勢に攻められお城は落城、城主藤井氏は、中津川茄子川に帰農したようです。

城跡には小学校が建ち、遺構は見られません。地形的には、お城に適した場所のように感じられます(写真1,2枚目)。お城の西側台地下は「内城」の小字で、大井宿本陣(写真3,4枚目)の裏には内城稲荷が鎮座(写真5,6,7枚目)、脇には和宮に供されたとされる和宮泉と名付けられた井戸(写真8枚目)があります。

2021年03月26日 青コアラ美濃守


永享7年(1435)、美濃守護土岐氏の一族大井秀行により築かれたのが始めとされますが定かではありません。戦国時代には岩村遠山氏の遠山十八支城の一つとなりますが、この地は信濃との国境が近く、織田と武田の争いの中で大井城も何度も戦乱に巻き込まれたようです。

現在の大井小学校から恵那高校にかけての一帯が城域とされます。遺構は特に認められませんが、小学校の北側の川が流れている所はいかにも堀跡といった雰囲気が感じられ、また城が高台に立地していた事が実感出来ます。
城跡碑はありませんが、小学校の門を入った正面に学校の由来が書かれた看板があり、ここが大井城の跡地である旨が記されています。(スポットはこの看板の位置に置いています)

駐車場はありません。学校が休みだったので、空きスペースをお借りしました。
ちなみに城跡のすぐ下を中山道が通っており、江戸から数えて46番目の大井宿があり本陣の正門が現存しています。興味のある方はついでに見学されるといいかと思います。

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