飯島陣屋(いいじまじんや)
飯島陣屋の基本情報
通称・別名
- 伊那県庁
所在地
- 長野県上伊那郡飯島町飯島2309
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 徳川幕府
築城年
- 延宝5年(1675)
主な改修者
- -
主な城主
- 徳川幕府(天領)
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 県史跡(伊那県庁(飯島陣屋)跡)
再建造物
- 復元本陣、冠木門、板塀、石碑、説明板
周辺の城
-
赤須城(長野県駒ヶ根市)[5.9km]
船山城(長野県下伊那郡)[7.4km]
大島城(長野県下伊那郡)[11.6km]
殿島城(長野県伊那市)[14.3km]
市野瀬古城(長野県伊那市)[15.6km]
飯田城(長野県飯田市)[20.5km]
高遠城(長野県伊那市)[21.1km]
松尾城(長野県飯田市)[23.2km]
鈴岡城(長野県飯田市)[23.6km]
福与城(長野県上伊那郡)[25.0km]
飯島陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「飯島陣屋」の項目]
飯島陣屋(いいじまじんや)は、長野県上伊那郡飯島町にあった代官所(代官陣屋)。現在ある建物は復元であり、飯島町歴史民俗資料館・飯島陣屋(いいじままちれきしみんぞくしりょうかん いいじまじんや)という名称がつけられている。
概要
文禄2年(1593年)に三州街道の経路が改められた際、石曽根村ノ内に飯島宿が成立し町並みが形成された。天領の陣屋としては、飯田藩主脇坂安政の転封に伴い、信濃国伊那谷に生じた天領を治めるため、延宝5年(1677年)に設置された。当時は代官が執務を執り行う本陣のほか、代官一家が住まう屋敷、役人の住む官舎、長屋、納屋など付随する建物十数棟で構成されていた。飯島陣屋には必ずしも代官は常駐せず、信濃の他陣屋代官や他国代官(駿府、遠州中泉等)が兼務し、その出張陣屋となることが多かった。
明治に入り、明治政府によって幕府天領地の接収が行われると飯島陣屋は廃止された。
伊那谷の旧天領地が伊那県とされると、飯島陣屋が伊那県庁となった。
明治4年、伊那県が廃止されて筑摩県に併合されると、飯島陣屋はその役目を終え、解体処分された。
1994年(平成6年)、飯島町内をはじめ、長野県内や愛知県などに残る古文書を調査、また陣屋跡の発掘調査により、当時と同じ位置、同じ構造様式で本陣が新築復元された。敷地内には陣屋記念館も併設され、当時の資料や調度品などが展示・公開されている。写真撮影もでき、展示物も実際に手を触れて観察できるなど、親しみやすい配慮がされている。
沿革
- 寛文12年:伊那谷の天領管轄のため片桐村(現・松川町)に片桐陣屋を設置。
- 延宝5年:飯島に陣屋を移す。
- 慶応4年3月7日:明治新政府により廃止。
- 慶応4年3月8日:尾張藩により「尾張藩飯島取締役所」となる。
- 慶応4年8月2日:伊那県が置かれ、県庁となる。
- 明治2年:周辺の村落が編入され、伊那県の版図が徐々に拡大する。
- 明治3年9月17日:南北分離により、中野県(北側)と伊那県(南側)に分かれる。
- 明治4年12月31日:伊那県廃止により、筑摩県と額田県に分離併合される。
- 明治5年:伊那県廃止に伴い、飯島陣屋解体処分。
- 1994年(平成6年)1月:飯島陣屋跡に本陣を新築復元。飯島町歴史民俗資料館となる。
歴代代官一覧
代 氏名 任期 1 天羽景安 寛文12年(1672年) 〜 延宝1年(1673年) 2 設楽能政 延宝1年(1673年) 〜 延宝5年(1677年) 3 設楽太郎兵衛 延宝5年(1677年) 〜 元禄1年(1688年) 4 滝野忠央 元禄1年(1688年) 〜 元禄2年(1689年) 5 太田進輝 元禄2年(1689年) 〜 元禄12年(1699年) 6 高谷盛直 元禄12年(1699年) 〜 正徳3年(1713年) 7 都筑正倚 正徳3年(1713年) 〜 享保2年(1717年) 8 都筑法景 享保2年(1717年) 〜 享保7年(1722年) 9 大草政清 享保7年(1722年) 〜 享保12年(1727年) 10 大草政英 享保12年(1727年) 〜 享保14年(1729年) 11 松平尹親
岩室正方享保14年(1729年) 〜 享保18年(1733年) 12 大草政永 享保18年(1733年) 〜 寛延1年(1748年) 13 浅岡胤直 寛延1年(1748年) 14 大草政美 寛延1年(1748年) 〜 寛延2年(1749年) 15 嶋豊勝 寛延2年(1749年) 〜 宝暦3年(1753年) 16 大草政美(再任) 宝暦3年(1753年) 17 布施胤将 宝暦3年(1753年) 〜 宝暦11年(1761年) 18 大草政薫 宝暦11年(1761年) 〜 宝暦13年(1763年) 19 今井戴肥 宝暦13年(1763年) 〜 明和3年(1766年) 20 嶋豊垨 明和3年(1766年) 〜 安永1年(1772年) 21 臼井護都
竹垣直昭安永1年(1772年) 〜 安永4年(1775年) 22 武嶋修茂 安永4年(1775年) 〜 安永7年(1778年) 23 平岡良寛 安永7年(1778年) 〜 天明7年(1787年) 24 鈴木正義 天明7年(1787年) 〜 寛政2年(1790年) 25 水谷充央 寛政2年(1790年) 〜 寛政5年(1793年) 26 川崎定安 寛政5年(1793年) 〜 寛政6年(1794年) 27 蓑豊昌 寛政6年(1794年) 〜 寛政7年(1795年) 28 野田政晟 寛政7年(1795年) 〜 文化1年(1804年) 29 小野田信利 文化1年(1804年) 〜 文化11年(1814年) 30 山田至意 文化11年(1814年) 〜 文政4年(1821年) 31 伊奈忠高 文政4年(1821年) 〜 文政6年(1823年) 32 羽倉秘道 文政6年(1823年) 〜 天保3年(1832年) 33 岸本荘美 天保3年(1832年) 〜 天保11年(1840年) 34 池田季秀 天保11年(1840年) 〜 弘化4年(1847年) 35 寺西元貞 弘化4年(1847年) 〜 嘉永6年(1853年) 36 大草政修 嘉永6年(1853年) 〜 安政5年(1858年) 37 山内薫正 安政5年(1858年) 〜 文久1年(1861年) 38 今川忠恕 文久1年(1861年) 〜 文久3年(1863年) 39 黒川嘉兵衛 文久3年(1863年) 40 大竹宗孝 慶応3年(1867年) 〜 明治1年(1868年) 資料館概要
- 所在地:長野県上伊那郡飯島町飯島2309番地1
- 開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
- 休館日:月曜日、祝日の翌日(翌日が土日の場合は開館)、年末年始(12月15日から3月14日)
- 入館料:一般:300円(250円)、小中学生・高校生:150円(100円)
- ※ ()内は20名以上の団体料金
参考文献
- 下伊那教育会『下伊那史 第8巻 江戸中期・後期』下伊那誌編纂会、2006年
- 西ヶ谷恭弘(編)『国別城郭・陣屋・要害・台場事典』東京堂出版、2002年
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飯島陣屋の口コミ情報
2022年01月16日 ひでさん
飯島陣屋
12月15日から3月14日までは冬期休館です
2021年08月26日 ほりーないと
飯島城[飯島陣屋 周辺城郭]
清和源氏片切氏の氏族飯島氏によって築城された飯島城。築城年代は不明ですが、近くでは南北朝時代の遺跡が発掘されています。戦国時代は武田氏の配下となり、織田氏の伊那侵攻により落城しました。
創建に飯島氏が関わったと推定される「西岸寺」を目指します。西岸寺の駐車場に停めさせていただき、水田の中を歩くと本城に到着します。
さて、口コミさせていただきたいのは、400年以上の時を経ても繋がる飯島氏のエピソードです。
飯島城がある長野県上伊那郡飯島町では藁(わら)細工職人が作った米俵を担いで走る「米俵マラソン」が開催されています。その米俵が大相撲関係者の目に止まり、飯島町の職人が大相撲の土俵だわらを作る事になりました。
大相撲の土俵に使う藁は特別です。在来種の稲を求めて関東方面の米農家さんを訪ねたそうです。その米農家さんは戦国時代に関東へ逃れた飯島氏の子孫だと伝え聞いている方でした。譲り受けた稲を育てる水田を探し、持ち主の方に「飯島城はどこにあるのですか?」と聞いたそうです。答えは「この水田が飯島城です」
写真
①本城の土塁
②本城の空堀
③看板その1
④看板その2
⑤西岸寺
⑥西岸寺参道
⑦飯島城の水田
2021年07月04日 くっしー雅楽頭尚人
飯島陣屋
木・金・第2・4土曜日しか開いてないらしいΣ( ̄□ ̄)!近くに町営駐車場があります。道は狭いですがアクセスはしやすいですよ。
2018年05月07日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
飯島陣屋
↓場所は、JR飯田線田切駅近くの田切駅東交差点(T字路)を右折、駒ヶ根市方面からだと、左折して坂を下ってR153バイパスが半分工事中の交差点の側にあります。
飯田方面からだと、飯島町に入ってしばらくするとR153バイパスに入るので、そのまま道なりに行けば、右手に見えて来ると思います。
2018年05月07日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
飯島陣屋
飯島町の新しい道の駅"田切の里"のレストランに鹿肉を使ったソースカツ丼があります。パッと見、ヒレカツのソースカツ丼ですが、食べてみると柔らかくてジューシーで、牛肉に近いかもしれないです。普通のソースカツ丼より割高ですが、一回食べてみる価値有りです。
2014年05月18日 綱島出雲守八雲
飯島陣屋
国道153号からチョット入った所、JR飯田線飯島駅の反対側に有ります。駐車場も有ります。
訪れた時は暑かったけど土地柄カラッとしていて都心にない豊かさを感じました。でも時折吹く駒ケ岳からの心地良い風が「冬の厳しさもあるんだよ」と釘を刺されました。
幕府天領ということで金山でもあったのか?とガイドさんに尋ねたら質の良い木材だそうで、馬車で運んだの?と更に聞いたら川流し(天竜川)で海まで持って行き、船で江戸に運んだそうです。
復元された陣屋ですが、置いてある家具調度品や古書は当時の物で「最大のウリ」は実際手に取って触ってもOKで、当時の物の質感を知ることが出来る事で、極め付けは当時は代官様しか座れない座布団に座り代官様の目線と気分を味わえました。訪問客が私一人だったこともあり実際に代官が着ていた袴もお借りして記念撮影して頂きました。
子供がもうチョット大きくなったら一緒に来たいと思いました。
2012年03月02日 赤いRVR甲斐守@松本
飯島陣屋
旧伊那県庁の復元建物ではありますが、中には囲炉裏もあって、いい風情です。火を焚いている時もあります。かつらをつけて、駕籠に乗ってみては、いかが?
飯島陣屋の周辺スポット情報
飯島城(周辺城郭)