久米ヶ城
久米ヶ城([松尾城 周辺城郭])
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久米ヶ城の口コミ情報
2022年11月01日 RED副将軍
松尾小笠原氏の支城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
貞和年間(1345年〜1350年)に小笠原貞長により築城されたと云われます。
小笠原貞長は、信濃国守護職の小笠原貞宗の弟です。
南北朝時代は、小笠原氏は北朝方に付き、久米ヶ城は南信の南朝方に対する拠点として築かれた様です。
嘉吉年間(1441年〜1443年)に小笠原氏は府中小笠原氏、松尾小笠原氏、鈴岡小笠原氏に分裂。久米ヶ城は松尾小笠原氏の本拠地の松尾城の支城として機能しました。
1534年、松尾小笠原氏の小笠原貞忠は府中小笠原氏の小笠原長棟に降伏。甲斐に逃れて武田氏に降ります。
1545年、甲斐武田氏が侵攻。武田氏に庇護されていた小笠原貞忠の子である小笠原信貴が松尾城に復帰。さらに鈴岡城も落として鈴岡小笠原氏も滅ぼしました。
1582年に織田信長が信濃に侵攻すると降伏して織田氏に降ります。
同年に本能寺で織田信長が没すると、徳川家康に降り、所領は安堵。
1590年の小田原征伐後に徳川家康が関東に移封されると 小笠原氏も関東に移ったため松尾城とともに廃城になりました。
見所
標高733.1mの城山山頂に築かれていますが、公園として整備され、山頂まで車で登れます。
結構立派な模擬櫓や冠木門が建てられ、公園化により改変されています。
尾根筋に堀切が残る様ですが激ヤブで入ってません。
2021年11月06日 ほりーないと
【狼煙リレーのポスターより】
戦国時代の知将武田信玄が、情報伝達の手段として伊那谷から甲斐へと築いた「武田信玄の狼煙」を再現し、「世代を超えて地域の歴史文化を学び、地域と地域、人と人との交流・連携」を伊那谷から山梨へ繋ぎます。
【久米ヶ城の狼煙】
四方を見渡す事ができ、他の狼煙台からも久米ヶ城がよく見えます。
2021年10月30日に狼煙リレーを初めて見ました。約8km離れた「極楽峠」から狼煙が上がると「狼煙が上がったー!」と大きな声を出してしまいました。久米ヶ城の狼煙を上げると天竜川対岸から狼煙が次々と上がりました。
11時に飯田下伊那地区をスタートした狼煙は、約30分後に上伊那地区の陣馬形山へリレーされました。13時過ぎに甲斐国の躑躅ヶ崎館にゴールしました。
【写真】
①「極楽峠」から見た「久米ヶ城」
手前の山が久米ヶ城です
②「久米ヶ城」から「極楽峠」の狼煙を見る
③「久米ヶ城」の狼煙
④天竜川対岸の狼煙
⑤「陣馬形山」
よく見ると山頂付近で狼煙が上がっています
2021年09月06日 ほりーないと
標高733mの山城、由来などは説明板の写真をご覧下さい。山頂までクルマで行くことができ、南信州を一望することができます。遺構はあまり残っていません。
眺めが良く、気軽に行けるので、お城ファンでない方もよく来られています。模擬櫓の展望台があり「城山って呼ばれているから、ここにお城があったんだ」と地元の人にとって身近に感じるお城の一つです。
写真をした登城日は天気があまり良くなかったので、お城からの眺めを撮影できませんでした。天気が良い日に再登城して撮影したいです。(天気が良い日に撮影できた時は写真を追加します)