本丸
本丸([鈴岡城 遺構・復元物])
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本丸の口コミ情報
2024年10月10日 ほりーないと
鈴岡城址公園愛護会の方にご案内いただき、本丸にある「鈴岡公園」の碑の前で参加者全員の記念撮影をしました。題字は小笠原長幹(最後の小倉藩主の長男)です。鈴岡公園は明治45年4月開園、公園碑は開園5周年の記念碑です。この石材は伊賀良井の迯場(はずしば)付近から運搬された自然石です。
伊賀良井の開削には諸説ありますが、平安末期の承保元年(1074年)に豪族奥山平太夫貞兼が伊賀良地区北方笛吹に居住を築き、水田、生活用水として松川から引き込み、"大井""次郎井"と呼ばれたのがその始めといわれています。「鈴岡公園 今昔物語(竜丘公民館)」には…迯場(はずしば)は、小笠原氏が松尾、鈴岡と共に松川の水を引用するために作った伊賀良井の水量調整を目的とした「井のせき」である…と書かれています。松尾小笠原氏と鈴岡小笠原氏は、伊賀良荘を巡って争っています。伊賀良井の受益地は伊賀良荘のほんの一部です。
伊賀良井の現地調査をしました。全長約9kmの現役の農業用水です。伊賀良井沿いには水田が残っています。迯場(はずしば)から鈴岡城まで車で10分程です。この距離を大正時代に松材を切り出して"コロ"にして並べ、大きな石を乗せて"ひきづな"に竜丘区民総出で引き上げました。
鈴岡城は明治時代に公園となったので、遺構が守られました。太平洋戦争で若者たちは徴兵され、公園は畑などになり鈴岡城は荒れました。
現在、鈴岡城址公園愛護会の皆様が定期的に草刈りをしています。本丸の東側では竹害が起き、3年程前から学生ボランティアと竜丘地区の皆様が竹の伐採作業をしています。今回の案内で初めて東側の堀へ入り、今まで見えなかった鈴岡城の姿を見ることができました。
鈴岡城址公園愛護会との繋がりができたのは「竜丘村誌」「鈴岡公園 今昔物語(竜丘公民館)」の執筆者の一人(故人)のおかげだと思っています。愛護会の方は、その故人と一緒に「鈴岡公園 今昔物語」を書いたと懐かしそうに話していました。私はお会いする機会がありませんでしたが、その文章から鈴岡城を大切にしている想いが伝わってきました。
鈴岡城の御城印を作って欲しいとお話をしました。「御城印があると色んな人に鈴岡城を知ってもらえる」とすぐに作ってくれました。販売方法はこれから決めるそうです。
鈴岡公園の歴史に触れ、その歴史が今も受け継がれていると感じました。御城印が新たに加わります。私も鈴岡城のことを多くの人に知って欲しいと思い、口コミを書きました。
鈴岡城址公園愛護会の皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。