西平城(城山)
西平城(城山)([鈴岡城 周辺城郭])
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西平城(城山)の口コミ情報
2026年10月05日 ᴿᴱᴰ副将軍
武田氏により改修されたと云われる境目の城⚔️
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等の詳細不詳。貞和年間(1345年~1350年)に小笠原貞長により築かれたと考えられています。
小笠原氏は信濃国守護職であり、小笠原貞長は松尾城の小笠原貞宗の弟にあたります。
南北朝時代には、小笠原氏は北朝方に付き、久米ヶ城は南信の南朝方に対する拠点として築いた際に、西平城は久米ヶ城の西方の守りを堅めるために築いた支城とされます。
その後、武田勝頼が敵対する織田信長・徳川家康勢に対する境目の城として整備したと考えられています。
しかし1582年に織田信長による武田領侵攻が開始されると、松尾城の小笠原信嶺は織田信長に寝返り西平城は自落したと考えられています。
見所
浄玄寺の背後に聳える標高805mの山稜に築かれています。
南方に延びた尾根上に築かれており、頂部の主郭は東を除く三方に土塁が巡り、東側に桝形虎口が開口。虎口からは東側山腹の階段状の帯郭に繋がり、最下部は横堀で区切り、南北両サイドは竪堀が落ちています。
主郭からは北東、東、南東、南、北西に尾根が延びており、北西尾根は三条の堀切で遮断。
それ以外の尾根は小規模な段郭が連なり、端部は堀切で区切られています。
武田氏の特徴が見られ、武田氏により改修されたと考えられています。
行き方は、浄玄寺を目標に設定。墓地裏から登ることができ、比高は約150mです。
2024年04月01日 ほりーないと信濃守
松尾城主小笠原貞宗の弟貞長を初代とした久米ヶ城の支城と考えられています。登城口から久米ヶ城がよく見えます。浄玄寺(飯田市山本)を目指すと大きな看板があります。
西平城の後背には梨子野山があり、清内路街道の梨子野峠に通じています。清内路街道は木曽へ通じる重要な道です。戦国時代には武田信玄により清内路関所が設置され、江戸時代も関所が置かれました。甲州征伐では松尾城主の小笠原信嶺は織田軍に寝返りました。
清内路関所跡には行ったことがありますが、梨子野峠ルートはなんとなくわかる程度でした。口コミを書くために地図を確認しました。その位置関係を知ると西平城が重要だとよくわかります。
今回参考にした中嶋豊さんのイラストマップ「信州山歩き地図」には"梨子野峠 清内路街道"①清内路関所跡②青木地区からの2つコースがあります。青木地区コースのマップは飯田市の山本公民館からの依頼により作成されました。山本公民館では久米ヶ城の狼煙リレーに子供たちが参加できる企画も行っています。西平城の登城路は歩きやすく、その整備にも関わっているのかなと思いました。山本地区の皆様、ありがとうございます!









