横山城(大石平)
横山城(大石平)([上ノ平城 周辺城郭])
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横山城(大石平)の口コミ情報
2022年11月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
!!!PARENTAL ADVISORY!!!
-EXPLICIT CONTENT-
※一部にセンシティブな表現を含みます。18歳未満の方は読む前に親御さんの御判断を仰いで下さい。
横山城(大石平)は上ノ平城の北方約5.5km、標高約799mの河岸台地丘陵上平場に城域が存します。西麓の長野県道19号線、伊那辰野停車場線からの比高は75m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている大石平を目標に設定して下さい。別称にあるとおり現在住宅団地となっている丘陵上の平場が城域で西麓直下には中央自動車道西宮線が南北に走っています。車は捨てるのに少し困りますね。
築城年代、築城者は不明、史料、伝承等も皆無だそう。辰野町遺跡分布図に記載があるらしいのですが、項目のみのようで発掘調査が行われたのかも不明っす。お城の存した平出郷は天正六年(西暦1578年)の上諏訪造宮帳に「前宮御宝殿造宮 上伊那郡之内宮処、平出両郷 一貫三百五十文 代官 平出左馬允」とあるので、何某かの領主の代官が出張していた事はなんとなく理解出来る。が、お城との関係性て事になると史料が無いので詰みとなる。天正(西暦1573年〜1591年)の頃の上伊那十三騎には平出住として平出孫右衛門(百石)の名が見られるが…
お城の現況は一般住宅が立ち並ぶ団地と化していて何が何やらさっぱり…団地となる以前は起伏ある一般的な山地で一部においては耕作が行われていたらしい。かつて大石平の南側には東方の沢底(さわそこ、地名である。)へ抜ける間道が通り、沢底からは山塊山中を通って諏訪郡に入り、北行して有賀峠を越えればアプリ登録城である有賀城の西側へ出る。諏訪郡内において有賀城が武田氏によって重要視(一時期は足軽大将、鬼美濃こと原虎胤が城代であった。)されたのは実に伊那郡との境目であった事がその理由に他ならない。ちなみに沢底は古い読み方だと「させこ」と読むらしいので、沢底に居住する女性を「させこの○○さん」とか言うと大事件に発展するので注意です。
城跡に何にも無いからと言って遠慮していると多くの事を知る機会を見逃す事になる。机上の知識を現地のフィルターを通す事によってただの点が線や面にも繋がったりする訳だ。が、お城としては行ってもしょうもない色物物件である事は間違い無いので悪しからず…