日輪寺
日輪寺([上ノ平城 寺社・史跡])
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日輪寺の口コミ情報
2022年11月07日 ほりーないと
上ノ平城の城主だった知久氏が鎌倉幕府のできる前年の建久2年(1191年)祈願寺として開いた真言宗の寺と伝えられる。(説明板より)
上ノ平城のすぐ近くにあるお寺です。上ノ平城の案内板を北へ少し過ぎると日輪寺の案内板があります。
知久氏は承久の乱の後に上ノ平城から本拠地を飯田市の知久平城へ移しました。
戦国時代に武田軍との戦いに敗れます。本能寺の変の後に旧領へ復帰しますが、徳川家臣・菅沼氏の謀略により知久家当主・頼氏は切腹。関ヶ原の戦いの後に頼氏の子・則直が旧領の喬木村阿島に陣屋を構えます。
先月、阿島陣屋で和傘(阿島傘)の展示がありました。そこで知久氏の名前の由来が話題になりました。
日輪寺の横を流れる小さな川は「知久沢川」です。飯田下伊那の村誌によると知久氏が上ノ平城にいた頃は「中津乗」と名乗っていたようであるが、知久平城(知久郷)へ移ってから「知久」となり地名も変えたといわれています。
箕輪町誌が私の手元にないので不明な点が多いです。日輪寺の西側は「日輪寺畑(洞田)居館」です。市町村誌などを読み込んで信濃国の調査している城友さんに後はお任せしたいと思います。
日輪寺の紫陽花は美しいそうです。紫陽花の時期に行く事ができず、秋に行ってきました。紅葉も素敵な所です。夏にはフジバカマが咲き、旅する蝶「アサギマダラ」が飛来します。季節を楽しめる所です。