本山城(掛上城)

本山城(掛上城)([武居城  周辺城郭])

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本山城(掛上城)の口コミ情報

2022年02月11日 内記かずりヾ(・ε・。)


〜本山城攻城編〜

築城年代は不明、築城者は本山民部と伝わります。本山氏は奈良井氏の庶流、奈良井氏自体は洗馬の三村氏の一族とされていて戦国時代の奈良井義高(贄川城で武田勢を一度は退ける。)は小笠原長時の娘婿でした。民部は木曽氏の被官で、天正年間(西暦1573年〜1593年)、本山城は武田勢により落城しました。天正年間の事なんで木曽氏の叛意が明らかとなり征伐を受けた際の事なのは明らかで、続く鳥居峠の戦いの前哨戦と位置付けて間違い無いでしょう。木曽氏は木曽路の最北端に桜沢砦を築いて此処を一の城戸としていましたが、それより更に北方の本山に城を構えていた事が判ります。

織田氏に従属した木曽氏は甲州征伐の後に安曇、筑摩の二郡を加増されましたが、天正壬午の乱において深志(松本)を回復した小笠原氏と衝突します。天正十年(西暦1582年)七月、小笠原氏家臣、犬甘政信が討死したのは本山城西麓に建つ常光寺(廃寺)の観音堂付近とされていて、お城はこの際も無事では済まなかった事でしょう。

お城は大変素晴らしいです。サブ名称の掛上城は掻揚城(疎かに構たる城、急造の城っす。)に通じるんだろうけどそんな事はない。主郭南側には3段の腰郭(エッジが萌える。)を持ち何れも土塁付き。とんでもなく素敵なのが主郭東側の大堀切+竪堀でして、山城ファンは見てるだけで幸せな気分に浸れるでしょう。城域は比較的コンパクト、主郭を中心にぎゅっと山城が凝縮されている感じでリア攻めも実に気持ちが良いです。又、通称7郭付近から縄張図に無い結構な竪堀様地形が2条程確認出来ます。これらで寄手の攻城路を限定させる事(主郭部を遮断し通称7郭に直接誘導する。)が可能となるけどまぁ気のせいなのかもしれません。

注意点は信じられない事に城域東端外に石灰採掘場跡(登城編でその厳しさを語りましたが、此処に至る別の優しい林道が付いてるかもしれん…)が残っていてお城の遺構と勘違いし易い事(竪堀かと思ったよ。)、それから前述のとおり留山なので時期になれば言い訳が出来ない事(警告は大変厳しい。)です。

しかし所有者でも無けりゃこんな山に○○採りに入る奴がいるのかよと疑問が湧いて来ますが、そんな奴等からしたらこんな山にお城見に来る奴の方がよっぽど不思議でしょう。そんな奴等な山城好きは是非こっそりと訪ねてみて下さいまし。

2022年02月09日 内記かずりヾ(・ε・。)


〜本山城(掛上城)登城編〜

本山城(掛上城)は武居城の南東約6.8km、標高約1225mの山塊ピークから南西へ延びる尾根上、標高約1045mのピークの一つに主郭が存します。西麓の国道19号線からの比高は230m位でしょか。

お城の存する本山の地は中山道六十九次の内の三十二次、本山宿が設けられた宿場でした。城友さんが口コミにアップしていた福島関所は三十七次、福島宿に立地します。両者の距離は直線で約30kmですが、地図を眺めりゃ解るように車でも無けりゃとても木曽路を旅する気にはなれねぃよ…又、木曽路は律令制下の大宝二年(西暦702年)に「岐蘇山路」、「吉蘇路」としては和銅六年(西暦713年)に開通し、東山道から分岐する美濃へ抜ける往還として古来より特に重要視されていました。ちなみに「木曽路」の表記が定着したのは旭将軍の活躍のおかげっす。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南西麓の本山神社を目標に設定して下さい。神社の裏手に留山である事を示す標柱が立っていますので此処から登ります。が、道は踏み跡程度であり最初から何処へ向かって登って行けばよいのか判らなくなると思います。自分は踏み跡を辿って登ったら尾根の西側斜面を登る羽目になりまして、結果的に冗談抜きの斜度約60°を尾根上まで直登しました。結果的には早い内に、標柱から気持ち南側へ巻き気味で尾根筋に出るのが正解で、尾根上に建つ小社に至るまでは比較的判り易い踏み跡が付いていた事に後で気付きました。ただこのお城は尾根筋に出たからといって楽に登れる箇所は一切ありません。城域に至るまでの約90%は普通に歩けないです。

小社に辿り着いてからが更に問題、小社の背後は細尾根の岩場となっていてこれをよじ登る覚悟が必要です。トラバースしようにも尾根の両斜面は急坂急崖で、頼りに出来る草木も生えておらず積雪も相まって逆に危ない…岩場をよじ登る決心をしますが、逆に岩場には松の若木が生えまくりで痛いのなんの…泣きそうになります。岩場を抜けても急坂の連続、留山である事からも解るように、尾根筋には余計な雑木が生えていないので大変苦労します。

竪堀を抜けて通称7郭に入れば後の探索は楽だと思いますが、同じ長野県内にある鳥羽城や水の手城に匹敵するとまでは言わないけど、気楽に訪ねたら意外にも難城だったのには閉口しました。

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