武井氏館
武井氏館([武居城 周辺城郭])
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武井氏館の口コミ情報
2024年08月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
武井氏館は武居城の東方約7.9km、田川南岸(左岸)、矢沢川西岸(左岸)、標高約725mの河岸段丘台地上平場に立地したと推測される居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「建國神社」を目標に設定して下さい。この神社の境内とその周辺一帯が概ねの該地である。車は隣接する下西条公民館に捨てられる。但し、武井氏館の正確な位置は不明であり、該地も信濃のお城の神が提起する単なる比定地に過ぎない。神の言葉を借りれば、「このあたりとしか言いようがない。」て感じだ。又、同じ武居城のリア攻めマップにある下西条の館と本来が同一物件である可能性も存在する。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは武井氏です。「東筑摩郡誌」には「武井氏ノ邸址」として、「天文年間(西暦1532年〜1555年)小笠原の麾下、武井式部左衛門居館を外田沢に構へ此の地方高壱万石を支配せり。」とある。本当に一万石を領していたかについては無視するが、確証は無いまでも武井氏なる在地土豪が外田沢に住していた事が判る。
史料等一切無く詳細は不明だが、武井氏は武居氏の事であろうか(付近には武居家の墓所がある。)。武居氏と言えば、諏訪社下社の祝家として有名、該地の塩尻郷西条は鎌倉時代には諏訪社下社領であり、室町時代には信濃守護、小笠原氏から同社に寄進されていた時期もある。郡は違えど、武居氏の一族等が該地に居館したとしても何ら不思議な事ではないように思う。
謂わゆる色物物件だしねぇ…位置が特定されていない以上、リア攻めはどうしようもない。信濃のお城の神は建國神社の北側の一帯を疑っているが、低地である事を理由に疑問も呈している。やる気も最初から無かったので早々に引き揚げる事に…
田川と矢沢川の合流点付近には「落合」て呼ばれる場所がある。河川が合流する場所に付けられる地名て話は本当だった。小笠原氏の麾下に、塩尻十七騎なる地侍衆があったらしいが、その内の落合氏が住していたのがこの落合だとする説がある。周辺地域における在地土豪層の分布は時代によっても左右されると思うが複数氏に及ぶ可能性が高い。
※文中にあるとおり写真を撮ってもしょうもないんでランドマークの建國神社(御柱は無いが長持は続いているらしい。)を…ちなみにおいらは居館地として舗装道路を挟んだ東側の一角を疑っている。
※写真⑦は建國神社の至近に建つ薬師堂を撮影したもの。
※写真⑧は要るのか知らんけど西側から撮影した近景っす。