犬甘城
犬甘城([松本城 周辺城郭])
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犬甘城の口コミ情報
2024年07月02日 RED副将軍
小笠原氏の忠臣であった犬甘氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
犬甘城(いぬかいじょう)と読みます
築城年代は不詳。正平年間(1346年~1370年)に犬甘氏により築かれたと云われますが詳細はわかっていません。
犬甘氏は、信濃国守護である小笠原氏の家臣とされ、犬甘城は小笠原氏の本拠地である林城の支城として機能しました。
1550年、甲斐の武田信玄が松本平に侵攻すると、小笠原長時の居城であった林大城をはじめ、深志城、岡田城、桐原城、山家城が落城。小笠原長時は村上義清を頼り北信濃へ落ち延びましたが、その後も犬甘城の犬甘大炊助は武田信玄に抵抗。最終的には馬場信房により乗っ取られ、廃城になったと云われます。
江戸時代となり1843年には松本藩主の戸田光庸により犬甘城跡を庶民の公園として開放されたと云われ、現在も城山公園として市民の憩いの場となっています。
見所
梓川の支流である奈良井川東岸の標高670mの丘稜先端に築かれています。
南北に伸びる稜線上に北側の主郭から六郭まで直線に連なる連郭式。郭間は堀切により区切られたシンプルな構造です。
公園化により改変を受けていますが、それなりに山城遺構を楽しむことが出来ます。
松本城から北西に1.5kmと近く、オールシーズン車で容易に訪れることができる為オススメです。
行き方は城山公園を目標に設定。車で山頂近くの駐車場まで行くことができ、駐車場から南西に進めば郭群に辿り着きます。
2024年01月02日 気分爽快豊後守
松本城のリア攻めマップを見ると、松本城が見下ろせそうな山城(小高い丘)があります。
西側は奈良井川沿いに断崖となっていますが、東側はなだらな斜面となっていて簡単に攻め落とされそうです。
郭は尾根沿いに並んでいて立派な堀切があります。
予想通り松本城は良くみえましたが、私のスマホで撮るにはちょっと遠かったです。
①主郭の北
②①から主郭を見上げる
③主郭東の腰郭
④ニ郭と三郭の間の堀切
⑤堀切よりニ郭の虎口を見上げる
⑥④を横から
⑦三郭から堀切越しに二郭を見る
⑧三郭南の堀切から西に落ちる竪堀
2022年04月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
犬甘城(蟻ヶ崎山城)は松本城の西北約1.6km、奈良井川東岸(右岸)、通称鳥居山山頂から南方へ延びる尾根上、標高約677mのピークの一つに主郭が存します。西麓の奈良井川からの比高は100m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。該地は城山公園として整備されているので駐車も余裕です。
築城年代、築城者は不明ですが城主として犬養半左衛門の名が伝わります。犬甘氏は大伴氏の流れとも伝わり、古代より信濃国府を中心とした地域に勢力を保った氏族とされていますが、正直古い時代の事ははっきりしない。建武三年(西暦1336年)、北条氏残党と小笠原勢等が麻績大吉郷の十日市場で戦った際には北条方として深志介知光の名が見られ、これが犬甘氏と推測(「知」の通字が見られる。)されています。後に小笠原氏が府中に進出するとその被官化が進み、同氏の有力な家臣団の一つとして発展していきました。一族からは平瀬氏、村井氏を輩出、和泉、北内田、中内田、埴原を領し、子孫は小笠原氏の重臣として存続しました。
武田氏の業務日誌、高白斎記に「七月十五日 酉刻イヌイノヲ攻敗り勝鬨御執行戌刻 村井ノ城へ被納御馬候 子ノ刻、大城、深志、岡田、桐原、山家五ヶ所ノ城自落…」との記述があり、武田勢による府中侵攻の様相を今に伝えていますが、一般的に此処で書かれる「イヌイの城」は埴原城に比定されています。しかし武田勢が出陣した村井城から戌亥(北西)の方角に埴原城は存在しない事、勝鬨執行から2時間で帰陣している距離から推測するとイヌイの城を埴原城に比定するのは無理があるんじゃないかとの疑問を信濃のお城の神は提起しています。それよりも「イヌ○イの城」としてこの犬甘城をそれに比定した方がすっきりするんじゃないのかなと…おいらもそう思います。信者だからね。
お城は公園化されていますが、堀で区画された連郭式の縄張が健在で充分楽しめると思います。車を捨てたら秒で城域ですので皆様も松本城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。ちなみに藩政時代は留山でした。理由は松本城内が丸見えになるからっす。
※道の駅が少ない松本市周辺ですが、城友さんお勧めの車中泊スポット…自分も1回だけ利用させてもらいやした。リア攻めは今回初めてw
2019年06月29日 野呂利左衛門督休三
戦国時代は小笠原氏の家臣の犬甘氏の城でした。天保十四(1843)年に領民にも開放され、明治八(1875)年に松本市最初の公園となっています。さらに周辺が住宅地にもなっていることから東側から公園に向かうと全然山城へ向かっている気がしませんが、城跡内に入ると堀切に区切られた曲輪跡を見ることができます。また西側は急斜面になっており、遊歩道はありますが、木の生い茂る斜面になっています。そちら側には竪堀もあるそうです。