渚城

渚城([松本城  周辺城郭])

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渚城の口コミ情報

2022年03月24日 内記かずりヾ(・ε・。)


渚城は松本城の南西約1.3km、田川と奈良井川に挟まれその合流点を北方に控える標高約582mの平野部平場に城域が存します。現在同地は国道19、143、158号線が集中する場所であり、城域内をかつての飛騨往還(野麦街道)が貫通します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。ピンの位置は説明板が掲げられた場所となっています。

築城年代は不明ですが、築城者は小笠原長秀(この人、個人的に好きではないんですが「犬追物起源」の著者でもあります。今犬追物やったらコンプライアンス的にも大問題ですが…)です。長秀は上洛して時の将軍、足利義満に出仕し、応永六年(西暦1399年)、信濃守護に補任されました。入部に先立って将軍足利義持は同国水内郡太田荘領家職について横領人(島津氏や高梨氏等て事になる。)を退けるよう御教書を発しました。これを長秀が履行しようとした事は後の大塔合戦の端緒の一つとなり、長秀はぼこぼこにされて同族の大井光矩の仲介で京へ蓄電、守護職を解任され、応永十二年(西暦1405年)、次弟政康に家督と所領を譲り隠棲しました。お城はその際のものなんでしょかね。

お城の現況は改変により遺構は消滅、二重の堀で囲われた方形の縄張、城館の範疇に入るもので、西南角は裏鬼門除けのためか隅切られていたようです。天文十一年(西暦1542年)、小笠原長時によって創建された曹洞宗の寺院、常徳寺東側には「城内」の字地名が残ります。

海無し県なのに「渚」の地名、現在の松本平を想像して往時を推測すると失敗します。松本平は梓川や奈良井川に代表される犀川水系の大小河川が集中する場所で、洪水や氾濫が頻発、深志盆地は砂泥層、泥炭層が多く見られる事から水の引き難い湿地帯(フロリダみたいな感ぢ?)でした。その中の微高地を活用して集落や城館が形成されていたと考えると理解し易いでしょう。

「青島」、「松島」、「島内」、「島立」、「蟻ヶ崎」、「深瀬(深志)」…渚周辺だけでもこれだけの海に関わる地名が残ります。縄文時代には現在の上高地付近の古上高地湖が決壊して大量の水が盆地に流れ込んだとも考えられており、近年まで水利が悪い土地だったとはいえ水の話には事欠きませんね。

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