荒井城
荒井城([松本城 周辺城郭])
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荒井城の口コミ情報
2022年03月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
清水城(荒井城)は松本城の西南約1.9km、奈良井川西岸、標高約582mの平野部平場に城域が存します。別称で清水ヶ城とも。
行き方はGoogleマップに荒井城の名称で位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。ピンの位置は説明板の立つ場所となっています。
築城年代、築城者は不明です。延徳元年(西暦1489年)、小笠原氏の一族とされる島立右近大夫貞永が廃城となっていた同城を大幅に修築して十数年に渡って居していたそうです。貞永は後に深志城を築いて移りますが、その孫、貞知は大永三年(西暦1523年)、再び当地に還住したそうです。天文十九年(西暦1550年)七月、清水城は武田勢によって落城、が、自落が正解なんだと思います。
お城の現況は市街地の一部となり遺構は消滅、既に明治期には農地開墾のために跡形も無かったようですね。従って完全スルー出来る物件でもあるんですが、東辺の水路が不自然なカーブを描いていたり、ひょっとしたら北辺の水路は堀跡なのかなとか思ったりします。が、まぁ気のせいなんでしょう。ただ有難い事にお城の説明板が土塁様の高まりに立っていまして、こんな配慮がちょっと嬉しかったりなんかします。
松本城二の丸北西部の若宮八幡宮(松本城の鎮守とされる。)跡地は島立右近大夫貞永の埋葬地であるとの伝承が残ります。筑摩郡における武田氏の本拠となった深志城ですが、まさか当人も引越し先が仇敵に利用されるなんて考えもしなかったでしょう。マニア向け。
※それからちょとごめんね、業務連絡…松本城のリア攻めマップに同一城である荒井城と清水城が別々に登録されており且つ清水城の位置は明らかな間違い…スポット登録された方は対応お願い致します。