明禅寺城(みょうぜんじじょう)
明禅寺城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岡山県岡山市中区沢田
旧国名
- 備前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 宇喜多直家
築城年
- 永禄9年(1566)
主な改修者
- -
主な城主
- 宇喜多氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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明禅寺城の口コミ情報
2020年10月16日 ドクターイエロー
明禅寺城
駐車場の操山里山センターより徒歩約20分で本丸跡の到着します。山道も良く整備されています。添付写真の位置まで来ればもうすぐです。リア攻めのご準備を!本丸からは眼下に宇喜多直家が奮闘した明禅寺合戦の舞台が俯瞰できるはずなのですが、雑木だらけで視界不良でちょっと残念💀。明禅寺城のある操山一帯はバイキングコースが多く設定されていて、至るところに古墳が点在しています。R2.10.15訪城
2020年09月14日 山城肥前守碑前守
明禅寺城
巨石郡は迫力が有りました、里山センターから登るのが楽です。
2019年02月04日 図書頭かねつら
明禅寺城
岡山平野から沼城(宇喜田直家当時の居城)へ向かう街道を監視できる立地。操山から北に伸びる尾根筋の先端なのだが、尾根は一旦標高が低くなってまた高くなり明禅寺城周辺は独立峰的な感じもアリ。
城域はさほど大きくなく、井戸等の水場もなさそうで、監視所兼戦時の砦だった感じ
2016年10月10日 石工㊻集団穴太衆
明禅寺城
明禅寺城は、東に約8km離れた地に所在していた亀山城(岡山市東区沼)を居城にして、戦国大名への成長期にあった宇喜多直家が、永禄9(1566)年に岡山平野と西隣りの備中国への備えに築いた前衛基地の出城です。
翌年の永禄10(1567)年、備前国への侵攻を図った備中国の三村勢に占領されましたが、宇喜多直家は奪還を果たすと共に三村軍を迎え撃って完勝し、その大勝振りが明禅寺崩れと呼ばれました。
城構えは、操山山頂から北に延びた尾根の頂部に一段の腰曲輪を伴う中心郭(本丸)を構え、尾根筋に沿って北側に二段の腰曲輪と、西側に三段の腰曲輪を伴う準中心部(二の丸)を配置した小型の連郭式縄張りの山城となっています
城郭の構築は、各郭とも土壇築成で、現状では郭の段どりと背後を遮断する堀切が遺構として確認できる程度で、上部の建築物は柵や掘立柱建物を主体とした臨戦用城砦の構造であったと考えられます、簡単なマップは操山里山センターでもらえます。