両児山城(八濱城)

両児山城(八濱城)([常山城  周辺城郭])

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両児山城(八濱城)の口コミ情報

2022年05月30日 RED副将軍


宇喜多VS毛利の八浜合戦の際に築かれた陣城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1581年頃に宇喜多基家により築城。1581年に宇喜多直家が病没すると毛利氏は元就四男の穗田元清を大将とし、麦飯山城を拠点に児島へ侵攻。宇喜多氏は宇喜多春家・基家を主将として八濱城を築いて対抗しました。

1582年、小競り合いから八濱合戦が勃発し、宇喜多基家はこの戦いで討死。総大将の討死で宇喜多勢は毛利軍の追撃を受けましたが、八浜七本槍の活躍で食い止めます。宇喜多氏は籠城により秀吉の救援を待つことで、負け戦ながらも毛利氏を追い返すことができました。

見所
標高約50mの両児山に築かれています。その名が通り北峰と南峰の二つのピークがあり、それぞれに遺構があります。北峰ピークには御崎神社、快神社が祀られており、改変が大きく竪堀が確認できる程度。南峰ピークの曲輪は公園化しながらも横堀が明瞭に残り、一番の見所となっています。

現在は両児山公園となり、北峰と南峰の間にある駐車場まで車で登ることができるお手軽城です。

2022年03月06日 【若】戦国大蔵丞


八浜城(両児山城)は南北に二つの峰を持つ小高い丘陵に築かれた宇喜多氏の山城です。宇喜多と毛利がそれぞれ八浜城と常山城で睨みあい、小競り合い程度の小戦が繰り広げられました。
※二つの峰の間に駐車場があり、北に築かれた曲輪をA郭、南に築かれた曲輪をB郭と仮定してご説明します。

まずA郭を紹介します。現在A郭は神社になっており、駐車場から石段を登ること約2分で頂上へ到着します。改変を受けて、遺構が残っていないと思われがちですが、神社右脇の斜面に畝状竪堀が綺麗に残っています。中央の3,4本は竪土塁も綺麗で一見の価値があります。藪漕ぎ必須ですが“見てください”。急斜面に普請されていますが“見てください”。お城好きなら“絶対に見てください”(笑)

次にB郭を紹介します。B郭も改変を受けて公園と化しています。しかしB郭は石碑とお墓があり、空堀と土塁、堀切が残っています。空堀には木橋と言うなの3つの遊具が架かっています。堀と土塁の全長は70〜100mはあると思われます。空堀が2つ目の木橋でクランクして先に進む姿には目を奪われます。長大な空堀はB郭と簡単に削平された曲輪を断つように堀切となっています。B郭にも畝状竪堀群がありますが、浅くて分かりません。写真はA郭の畝状竪堀です。

駐車場もあり、横移動だけで城の遺構が楽しめる八浜城。戦国の世を生きた城の雰囲気を感じたい方は常山城とセットで訪れてみてください。お子様連れでも遊具があって楽しめると思います。

2021年05月19日 龍馬備中守【】


岡山県の玉野市にある八濱城♪別名を両児山城と呼びます☆岡山の盟友様に教えて貰い行って来ました♪

備前・宇喜多氏は安芸・毛利氏から離反。。織田家重臣・羽柴秀吉の傘下入りします☆織田氏、羽柴氏の家臣となった以上、毛利氏と激しく対立していきます☆

毛利氏の攻撃に備えて、児島湖の南側の独立丘に宇喜多直家は八濱城を築かせました♪宇喜多直家が没すると毛利家の山陽方面を担当する三男坊・小早川隆景は児島郡を制圧する為に常山城に進出しこれを拠点とします☆
対抗する宇喜多家は宇喜多基家を総大将に八濱城を本陣としました☆
毛利軍は八浜城を攻略する為に穂井田氏を大将にして常山城と八濱城の中間点にある麦飯山に陣城を構えようとします☆八濱城は距離としては直線4キロ位かな〜?麦飯山城は谷を挟み対岸です☆直線どうだろう〜?1キロ無いくらいです☆でもでも陣城を築こうとした事が毛利方にバレてしまい…麦飯山を毛利軍が占拠しちゃいます☆

両軍は麦飯山の東側の柳畑で小競り合いを開始します☆宇喜多勢は麦飯山麓に馬草刈りの為に数名の兵を繰出します☆対する毛利勢も数人の兵を出し馬草刈りをしていた宇喜多勢を追い払います☆そこで宇喜多勢は更に数人が加勢してきて毛利勢も数名を繰出し応戦という状況が続きました☆こんなやり取りの中で両軍大群にw本格的な合戦に発展します☆
宇喜多基家は流れ弾に当たり戦死☆
宇喜多勢は劣勢になり八濱城へ退きました☆
毛利軍は追撃しますが宇喜多軍は戸川秀安、岡豊前守などの八濱・七本槍と呼ばれる家臣達の踏ん張りで毛利軍の追撃を撃退しました☆
その後、備中高松城の戦い(水攻め)で羽柴秀吉と毛利氏の和議によって毛利氏と宇喜多氏の領土境界線が確定☆城の重要性も薄れていき廃城となりました☆

城郭は独立丘になっていて南北に伸びる尾根を加工☆2つの峰を持ちます☆連続畝状竪堀群に長大な横堀に堀切を組み合わせます☆城域は狭くて正に砦の顔をしています☆低丘陵地な為に直ぐに遺構を見れるのでオススメです☆

2021年02月09日 しおうまる美作守


毛利VS宇喜多の備前児島を巡る戦い。天正10年の八浜合戦で著名な?備前の陣城、両児山城(宇喜多方)です。西方に麦飯山城(毛利方陣城)、さらに西方には常山城(宇喜多方)が見えます。
毛利方の大将は、元就の四男坊の穗田元清。対して宇喜多方は城めぐ未登録。直家の甥っ子宇喜多基家☆って誰だよwしかしここは割愛w毛利軍は水軍力を背景に、じわりじわりと外から内へ児島海上を封鎖。麦飯山城と連携を取りつつ兵を入れてきます。小競り合いが発展しついにガチンコ🔥⚔🔥麦飯山城に迫るも孤軍突出した基家は討死。享年18歳。その御霊は、麓の与太郎神社に八浜七本槍の武名と共に奉られています。

さて、西に日が傾きかけた当日4城目。その名の通り独立丘陵上に2つの小山。両児山公園にトウチャコ♪北と南の曲輪間に駐車場があります。まずは南城へGo~最初に目に入る八濱城の石碑と数基の墓石。阿闍梨…お坊様のお墓?を過ぎ周囲の景色を見て、西は海だよ~東側は漁村だったんだよ~と脳みそはタイムスリップ!その先の曲輪は、南側に手入れされた横堀と土塁が広がっています。おおーっ☆鍵状に横矢も掛かって素敵ぃ~♡南西の堀切は横堀と合体☆土塁の南側の舗装道へ。ここ…これは!畝状竪堀GU⤴︎N☆浅いのでこりゃ〜フォトは難しいな~と言いつつパシャパシャ。やはり🍁いっぱいの平面図だす…
足を北に向け北城へ♪八浜八幡宮のお社があります。変革を受けて遺構は周囲の切岸と東の畝状竪堀くらいですかね?肉眼では浅い竪堀も、心眼では深々と堀上げらてるのが見えるwwはず!

時代背景を妄想しながら楽しい散策でした!

【登城日】令和3年1月31日
【参考文献】岡山県中世城郭館跡総合報告書他

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