砂久保陣場(すなくぼじんば)
砂久保陣場の基本情報
通称・別名
- 砂久保陣所
所在地
- 埼玉県川越市砂久保65
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 上杉憲政
築城年
- 天文14年(1545)
主な改修者
- -
主な城主
- 上杉憲政
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- 市史跡(砂久保陣場跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
川越城(埼玉県川越市)[4.5km]
河越館(埼玉県川越市)[6.0km]
城山砦(埼玉県狭山市)[6.7km]
難波田城(埼玉県富士見市)[7.9km]
永田陣屋(埼玉県さいたま市)[8.3km]
中釘陣屋(埼玉県さいたま市)[8.7km]
大堀山城(埼玉県川越市)[9.3km]
柏の城(埼玉県志木市)[9.5km]
滝の城(埼玉県所沢市)[10.3km]
御屋敷山(埼玉県さいたま市)[11.1km]
砂久保陣場の解説文
砂久保陣場の口コミ情報
2024年04月30日 DAI.右馬助
砂久保陣場
現地は神社になっており、遺構は残っていません。
河越夜戦の際に攻め方の山内・扇谷上杉連合軍の拠点あととのこと。
小田原北条氏の夜襲で潰走した上杉方がこの周囲を右往左往した当時に思いを馳せました。
案内看板で説明あり。当時の出来事がわかります。
2022年09月27日 里のシロクマ監物
砂久保陣場
享徳の乱の一場面として訪問。河越夜戦、正保の頃は野原だったとの事、今は住宅街。説明板を見て終了。
2021年08月26日 乱会
砂久保陣場
河越夜戦(夜戦とは言っていない)の際、山内上杉憲政軍と北条氏康軍が戦闘を行ったと各軍記類に記されている場所です。遺構は特になく、今は稲荷神社が建っています。
地元の子供達がよく遊び場として使っているので若干入るのに躊躇しました。
2021年06月20日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
駐車スペース[砂久保陣場 駐車場]
乗用車なら三台は駐車出来ます。駐車スペース直ぐ横は街の小さな公園となっており、そこを利用目的な方も利用している様です。先ず混雑無しと思います。
2011年08月21日 II軽内大臣為信
砂久保陣場
今は、砂久保稲荷神社があります。
河越城の救援のために出陣した北条氏康が着陣した地がここです。
また、足利晴氏(古河公方)も加勢して川越に出馬し、その総兵力は8万余騎と称された。
しかし、川越城の北条綱成は、わずか3000の兵をもって翌15年4月までよく持ちこたえていた。やがて援軍にかけつけた北条氏康の8000の兵は、4月20日の夜半に憲政の陣を急襲して敗走させ川越城を救援するに至った。
この砂久保は川越城の南西約4キロのところにあり、正保の頃(1644~1648)に開墾された村であるが、この合戦の当時は広漠たる原野に過ぎなかった。ただ、砂久保という地名に導かれて史跡としたわけで、標示は便宜上字地内の稲荷神社境内に建てられた。