御屋敷山(おやしきやま)

御屋敷山の基本情報

通称・別名

所在地

埼玉県さいたま市中央区円阿弥2

旧国名

武蔵国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

伝・伊奈半左衛門

築城年

江戸時代

主な改修者

主な城主

伝・伊奈半左衛門

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

落合陣屋(埼玉県さいたま市)[1.8km]
大成館(埼玉県さいたま市)[2.9km]
真鳥山城(埼玉県さいたま市)[3.0km]
道場城(埼玉県さいたま市)[3.3km]
針ヶ谷陣屋(埼玉県さいたま市)[3.6km]
永田陣屋(埼玉県さいたま市)[3.9km]
寿能城(埼玉県さいたま市)[4.7km]
難波田城(埼玉県富士見市)[4.9km]
土呂陣屋(埼玉県さいたま市)[5.2km]
大和田陣屋(埼玉県さいたま市)[5.4km]

御屋敷山の解説文

御屋敷山は、江戸時代の関東郡代であった伊奈半左衛門の陣屋跡と伝えられる場所である。

最近までは雑木林となっており土塁や堀の跡が残っていたが、現在では住宅地となっており遺構などは全く確認出来ない。

御屋敷山の口コミ情報

2025年09月10日 マグロ常陸介祐平
御屋敷山



伊奈半左衛門の陣屋と伝わるようです。伊奈氏の歴代に半左衛門は何人もいるので、どの半左衛門の築城したのかは、わかりませんが、土塁や空堀のある陣屋ということであれば、戦国期から江戸時代初期の忠次でしょうか。近年まで雑木林の中に土塁や空堀が残っていたようですが、現在は宅地や畑となり遺構は残っていません。

また、御屋敷山は円阿弥地区にありますが、円阿弥の地名の由来は岩槻城主太田氏房の奉行人の円阿弥のようですので、円阿弥の居館の可能性もあるようです。

新編武蔵風土記稿には、陣屋のことも、伊奈氏のことも、円阿弥のことも記載は無く、小名にも城郭的なものは見当たりません。

円阿弥村は、東松山市野本氏館の野本氏が小田原の役後に帰農した場所で、野本氏は名主を勤めたようですが、御屋敷山とは離れており、可能性は低そうです。

2025年09月09日 マグロ常陸介祐平
上峰陣屋[御屋敷山  周辺城郭]



新畑陣屋跡とされる円福寺から南西に約500m、諏訪神社付近が陣屋跡となります。新畑陣屋同様、本多正信の陣屋と伝わります。

台地の先端に位置しており、要害性を感じます。発掘調査では、神社の東側から堀が検出され、西の大久保方面から敵の来襲があり、城兵は防戦したが落城したとの伝承があるようですので、純粋に中世の館跡の可能性があるようです。

陣屋跡に鎮座する諏訪神社は、創建年代など不明のようですが、上峰村の鎮守とされ、江戸時代は円福寺持ちの神社だったようです。本殿の背後に先代の鳥居がある珍しい配置で、鳥居には「新吉原桔梗屋平八建之」と彫られています。遊郭の主が寄進したものでしょうか。

2025年09月08日 マグロ常陸介祐平
新畑陣屋[御屋敷山  周辺城郭]



本多佐渡守正信の陣屋と伝わります。家康の関東入国後、正信は玉縄城主となりますが、上峰村は飛び地の知行地となったようです。陣屋は円福寺付近とされていますが、風土記稿には、本多正信がこの辺に陣屋を構え、堂宇を破却したため、再び寺を営建したと書かれています。円福寺には、さいたま市の文化財に指定されている釈迦如来坐像がありますが(ガラス越しに拝観することが出来ます)、市の解説によると幾度か修復された跡があり、正信が寺を壊すなど荒廃した状態に置かれたことがあったのではないかとしています。

飛び地の知行地支配のものですので正信本人が居住する訳ではありませんが、台地の先端に位置しており要害性を感じられる場所となっています。また、近隣の発掘調査では、南西に100m程にある上峰東児童遊園地から一条の堀が検出されたようです。付近には真土館、今宮館、矢垂館など、中世武士の館が多い地域で、陣屋のものか中世の館なのか分かりません。また、17号バイパスの西側にも本多正信の陣屋と伝わる上峰陣屋が存在しています。

2024年04月30日 DAI.雅楽助
御屋敷山

現地は、淑徳与野高等学校敷地と分譲住宅地となっており、遺構等は一切残っておりませんでした。

2024年04月08日 
御屋敷山

城跡の痕跡は全くありません。マンションが建っているだけてます。

2023年05月27日 
赤山街道・慈眼寺[御屋敷山  寺社・史跡]



赤山街道(現県道57号)を水判土、慈眼寺さんから金山神社までの区間歩いてみました。

関東郡代伊奈氏の指揮した治水事業の物資輸送路(うち大宮道)、とのことでした。あとは川越茶とか狭山茶も通ったのでしょうか、家康公と結び付けられた伝承のある茶堂が近くにあるとお聞きしました。

寺伝に、佐知川の台地からの湧水が現手水舎あたりからあったと古記録に残るそうです。

堂宇高欄から観音通りを眺める。
宅地化されて面影はありませんが荒川と鴨川の氾濫原として肥沃ではあり、古くから記録される荘名だとのこと。

ほか八百比丘尼(八百姫、伝・秦通鴻の娘)の伝承や三笠、八海、御岳山の山岳信仰の面影を残す石碑など。

花木の綺麗なお寺さんでした。

2022年12月20日 やむ
御屋敷山



跡地は、住宅地なっていて、跡形も無い様です。

御屋敷山の周辺スポット情報

 上峰陣屋(周辺城郭)

 新畑陣屋(周辺城郭)

 赤山街道・慈眼寺(寺社・史跡)

 赤山橋(その他)

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