落合陣屋(おちあいじんや)

落合陣屋の基本情報

通称・別名

所在地

埼玉県さいたま市中央区下落合6、7

旧国名

武蔵国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

安達盛長?

築城年

鎌倉時代前期

主な改修者

主な城主

安達盛長、渋川氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

御屋敷山(埼玉県さいたま市)[1.8km]
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落合陣屋の解説文

落合陣屋は鎌倉時代の武将で源頼朝の側近であった安達盛長の居館であったとされる。

現在の東光寺付近が陣屋跡と言われるが、周辺は宅地化されており遺構なども残っておらず、詳しいことは分かっていない。

落合陣屋の口コミ情報

2025年09月07日 マグロ常陸介祐平
落合陣屋



鎌倉殿の13人の一人、安達盛長の陣屋と伝わりますが、確証は無いようです。文化財情報として、「陣屋跡。城館。鎌倉・空堀。」とあるのは、安達盛長の伝承をうけてのことと思われます。新編武蔵風土記稿にも、陣屋に関する記載はなく、陣屋跡に建つ東光寺の縁起も不明です。

陣屋は、東光寺及びその東側の住宅地が該当地となりますが、高低差の小さな台地の縁部ではありますが、遺構らしきは見当たりません。

東光寺の本堂前には宝篋印塔が並んでいますが、本堂寄りの1基は、古い形式に見える組み合わせがバラバラのもので、中世の武士の墓のようにも感じられます。与野市史に、後世蕨城主渋川氏の出城になったという伝承が載り、日本城郭大系には渋川義行・同義鏡家臣が居住したと云うとしてします。陣屋跡に住まわれていた辻村氏は、元禄期には居住していたようですので、陣屋と関係していたのかもしれません(勝手な推測です)。

2024年03月16日 埼玉内記
落合陣屋



与野本町から若干の上り坂を上ったところに霊園(墓所)があり、そこには入れませんでした。ここが陣屋か〜と思った次第です。

2022年09月05日 maki156
落合陣屋

墓地で見どころは全く無かった。石碑や説明など見つける事も出来なかった。

2017年02月26日 まー刑部卿
落合陣屋

東光寺、とあったが寺があるという印象よりも墓地と云ったほうが良い。【落合霊園】と言われる。駐車場もしくは路駐可のスペースもなく徒歩10分ほどにあるコインパーキングを利用。説明板も石碑もなく手がかりもなし。

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