滝の城(たきのじょう)
滝の城の基本情報
通称・別名
- 本郷城
所在地
- 埼玉県所沢市城537他
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 大石定重
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 大石氏、北条氏照家臣?
廃城年
- 天正18年(1590)?
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(滝の城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
柏の城(埼玉県志木市)[5.0km]
北秋津城(埼玉県所沢市)[5.3km]
岡城(埼玉県朝霞市)[6.5km]
難波田城(埼玉県富士見市)[7.2km]
山口城(埼玉県所沢市)[9.1km]
石神井城(東京都練馬区)[9.2km]
愛宕山砦(東京都練馬区)[9.3km]
道場城(埼玉県さいたま市)[9.8km]
玉川上水陣屋(東京都小金井市)[9.8km]
赤塚城(東京都板橋区)[10.2km]
滝の城の解説文
[引用元:Wikipedia「滝の城」の項目]
滝の城(たきのじょう)は、埼玉県所沢市城にあった日本の城。同市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境、柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っている。 今日では本丸跡に「城山神社」が祀られ、その南側を中心に滝の城址公園(たきのじょうしこうえん)として整備され、梅・桜の木や運動施設などが揃う公園となっている。
概要
滝の城(滝之城, 瀧之城)は 別称「本郷城」とも呼ばれ、1925年(大正14年)に埼玉県指定史跡に指定されている。
その原型は、伝承によると1180年(治承4年)頃に 源頼朝の挙兵に応じて土豪が築城したものと言われているが、記録などは残っておらず詳細は不明である。また、後述の横穴墓群の出土により、この場所は城としての成立以前の古代においても何らかの重要な拠点として使用されてきたものと推測される。
戦国時代には、関東管領上杉氏の家臣で武蔵国守護代 大石氏の滝山城(後に八王子城)の支城として対岸の清戸番所との関係もあったとされる。その後大石定久の代に後北条氏の支配下となり北条氏照の支城になった。 氏照は本拠の滝山から北関東に度々出陣しており、その直線上にあたる滝の城は軍勢集結の拠点になった。1564年(永禄7年)の北条氏による下野への遠征の際にはこの城で:wikt:陣揃|陣揃(じんぞろえ)が行われたことが記録されている。
その後1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、浅野長政率いる豊臣方に城北側の大手方面から急襲され八王子城と共に落城、徳川家康の関東入国の領内整備の頃には廃城となったと推測されている。
滝の城にある七曲坂には、木肌に傷をつけると赤色の樹液が出ると伝えられる大きな黒松があり「血の出る松」と呼ばれていた。1972年(昭和47年)に枯れてたため伐採され、跡地には記念に「血の出る松の跡」碑が残っている。
構造
その構造は多郭式平山城で、面積約6万6,000m² 、本丸跡を中心に二の丸・三の丸などの曲輪や物見櫓、複雑に張り巡らされた空堀などの跡がよく残っており、大手は本丸の更に北方に、また北西に搦め手があったとされる。北東方向の台地続きには外郭線を有している。
- 1986年(昭和61年)の発掘調査では三の丸跡などから障子堀跡も発見されている。
- 本丸北端西側の土塁の切れ目で、格式の高い門である四脚門が検出されている。白い玉石も敷いてあった。この位置から空堀を越えて「馬出」と呼ばれる郭まで橋が架かっていたと推定される。
名称の由来
郭の東側、出郭と城外を画す小谷に、かつて「金津の滝」という滝があり、現在では痕跡が残るのみですが、この滝が城の名の由来とされる。
今日では斜面の岩場に僅かな流れが残るのみで[1]、この小流が南に流れ込み公園の池を形成している。
考古資料
横穴墓群
- 1976年(昭和51年)の崖崩落防止の補強工事の際に本丸跡の崖付近から横穴墓群が発見された。出土した須恵器から古墳時代後期の7世紀頃の物と推定されている。
- 経緯[2] : 前年の1974年(昭和49年)の秋に降った集中豪雨により本郭南東部の崖が一部崩壊し、その後も浸食が進み崖崩れの危険性があったため、(埼玉県の昭和50年度の助成事業として)補強工事が行われた。 が、掘削を始めた1976年(昭和51年)2月13日、人骨の一部が発見された。 工事は一旦中止し発掘調査したところ、全9基の横穴墓群が確認され、 金環(古代のイヤリング)、ガラス小玉、と前述の須恵器 などが出土した。 調査はその後2月24日~3月9日まで行われ、調査後この場所は埋め戻されている。 墓群の玄室は極めて規則性のある配置で当工事に該当しなかった東西方向にもまだ相当数が連続していると見られている。
復元模型
- 2008年(平成20年)7月13日、滝之城の復元模型が完成し 現地にほど近い城公民館で公開された[3]。 模型は縮尺: 1/220 , 地元の「滝の城跡保存会」が約1年をかけて製作したもので、その後 現在は同地区の柳瀬公民館にて常設展示されている。
- 2009年3月の1ヶ月間は所沢市役所の1Fロビーにて、多くの写真などの資料と共に「滝の城跡 -調査の軌跡-」と題し展示されていた。
滝の城址公園
1972年(昭和47年)に滝之城跡の一部、南側の水田跡などを中心に整備され開設された総合公園。敷地の北、東端は関越自動車道に隣接し、南東側に柳瀬川が流れ、JR武蔵野線の高架線路がその南端を横断する。園内には野球場・テニスコートなどの施設があり、遊歩道が整備されている。断崖の上の本丸跡からは対岸の清瀬市付近が展望できる。
- wikt:自生|自生するカタクリやニリンソウ・ヤマユリなどの花が咲き、春には梅や桜の名所としても親しまれている。
- 北側の敷地は場所によっては昼間でも薄暗い鬱蒼と繁る木々覆われており、整備された遊歩道以外の区域は、かつては「まむしにちゅうい」の立札が立てられたほど豊かな生態系が保たれている。
- 園内東側にある池では、釣りを楽しむ人が多く、子供たちは小魚やアメリカザリガニなどを捕まえたりしている。
施設
駐車場は南西・北東端に2ヶ所。
- 野球場 -(兼ソフトボール場)1面
- テニスコート -(クレイコート)5面
- 相撲場 -(土俵-屋根付き)1箇所
- 池, アスレチック, 広場, 花壇, wikt:東屋|東屋(あづまや), ほか
交通アクセス
- 自動車
- 関越自動車道所沢インターチェンジから(さいたま方面出口~坂の下交差点右折~城公民館前信号左折)約5分。
- 電車・バス
- 西武新宿線・池袋線 所沢駅東口、JR武蔵野線 東所沢駅、または東武東上線 志木駅南口から、西武バス・所52系統で停留所「城」下車、徒歩3分。
- 西武池袋線清瀬駅北口から、西武バス清64系統で停留所「台田団地」下車、城前橋を渡る。徒歩10分程度。
参考文献
- 【書籍】「新編武蔵風土記稿」|publisher=内務省地理局|date=1884-6|ref=}}
- 『滝之城横穴墓群 -所沢市文化財調査報告書 第2集』 (1978年3月) 所沢市教育委員会著 35p. 26cm 図版17,折込図2枚
- #考古資料も参照
- 【書籍】「 城の外にひろがるもの 」 - 『「惣構」の再検討(https://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/chujoken/semi2002/)』[第19回全国城郭研究者セミナー(2002年8月4日開催、中世城郭研究会主催)]における同氏の報告「遮断線構造からみた中世城郭の外帯部施設」を論考化したもの。
- 【書籍】「 「障子堀」甦って43年:北条技法と多様な様態事例 附 「堀障子関連略年表 2015」 」 - 『「障子堀」の新展開(https://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/chujoken/semi2015/)』[第32回 全国城郭研究者セミナー(https://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/chujoken/seminar.html)(2015年8月2日開催、中世城郭研究会主催)]における同氏の報告を活字化したうえで、障子堀の確認事例を編年化した表を附したもの。
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滝の城の口コミ情報
2024年09月29日 高麗兵部丞頼尚(初陣)
滝の城
所沢市東端にあり、最寄りの東所沢駅から徒歩でも自転車🚲️でも通いやすい距離にあります。空堀跡もくっきり残っています。また、城の北西には血の出る松があり、ホラー要素もあります。山頂本丸には、城山神社が祀られている。
2024年04月30日 DAI.右馬助
滝の城
所沢市東端の狭山丘陵の一角にある滝の城趾。空堀跡がよく残っています。
関東地方の小田原後北条氏方の城趾の特徴がよく出ていると感じました。
山頂本丸には現在、城山神社が祀られています。
例年、所沢市などの後援で「戦国滝の城まつり」が開催されるそうです。
令和6年は、5月19日(日)10:00〜15:30で第13回のまつりが開催されるそうです。
武者行列などが実施されるとのこと。
興味ある方は出向いてみるのも一興かと。
2024年04月30日 はる兵部卿ちゃん
滝の城
武蔵野線の高架に列車が頻繁に通る狭山丘陵に滝の城🏯発見!本丸は柳瀬川を見下ろす場所にあり、現在は城山神社となっている。
本丸、二の丸、三の丸曲輪と土塁の空堀が良く整備されている。
戦国時代より前には横穴墳墓にイヤリングが出土したとか・・
武蔵野線の騒音と良く整備された土塁、墳墓に歴史の邂逅思い馳せる!
2024年02月16日 長けた 右兵衛督 進言
東曲輪[滝の城 遺構・復元物]
東側登城口より土階段を上がりきった場所にあります茶飲み曲輪の南に且つ真下に位置しており、小規模ながら削平してある事が確認できます
2024年02月10日 長けた 右兵衛督 進言
帯曲輪[滝の城 遺構・復元物]
立ち入り禁止で藪化しており、見落としがちな遺構です
東側登城口より土階段を登る途中で確認できます
2023年12月06日 じいく右衛門督
滝の城
東京都と埼玉県の境にあり、幹線道路の裏道に面している為、朝夕は交通量が若干多めな場所になります。
早朝、深夜は静まり返っており、車で通過する時でもドキッとしてしまいそうな時があります。
2023年08月14日 佐渡守:ダークスカル
滝の城
駐車場と⛩️もある公園です。少し🅿️は狭い道なのでわかりずらいかも川沿いにも🅿️あります。
2023年04月09日 長けた 右兵衛督 進言
滝の城
たまには地元城郭の投稿をしてみます。カラッと晴れた空の色と心地よい陽気に誘われて、自宅から徒歩にて柳瀬川左岸を目指し川沿いを一路東へ。開発により遺構の破壊が進む武蔵中部~南部ですが、この城郭の遺構はよく残存しており、整備もされていて見学しやすい状態を保っています。規模はそれほど大きなものではありませんが、主郭周りの土木量は中々見応えが有ります。
お花見シーズンは城址公園前に出店が立ち並び、近くにコンビニも有りますので、ちょっと立ち寄ってみるには良い条件が揃っている場所と思います。車で訪れる場合、駐車場は時間が決まっているのと、昼頃は満車がちですので、来訪時間の調整をお勧めします。駐輪場は駐車場のすぐ奥にあり、コチラは少年野球の試合でもない限り停めるのに苦労はないと思います。
2023年02月08日 いれぶん[⭕️雁雁]
血の出る松跡[滝の城 碑・説明板]
滝の城跡西側の七曲坂の途中には、傷をつけると赤色の樹液が出るとされる大きな黒松が立っていました。その赤色から落城した際に討ち死した城兵の血ではないかという言い伝えがあります。昭和47年には松は枯れて伐採されましたが、跡地には「血の出る松の跡」の碑が立っています。(H30発掘調査概報 所沢市教育委員会文化財保護課)
2023年02月08日 いれぶん[⭕️雁雁]
滝跡[滝の城 遺構・復元物]
出郭と城外を画す小谷に、かって「金津の滝」という滝がありました。この滝が「滝の城」の名の由来になったと伝わります(H30発掘調査概報・所沢市教育委員会文化財保護課)
2023年02月08日 いれぶん[⭕️雁雁]
土塁[滝の城 遺構・復元物]
北条氏時代に深掘りされた堀の土砂を使って嵩上げされた土塁。本郭・ニの郭・三の郭より高い
2023年01月15日 あられ武蔵守
城山神社[滝の城 寺社・史跡]
滝の城本丸跡と思き場所にある神社、規模は小さいものの、高台なので見晴らしがとても良いです。滝の城址公園の無料駐車場から上がる鳥居のところと、本殿前の2箇所に狛犬さんがいて、狛犬フェチにはたまらないスポット。
本殿横に稲荷神社があり、そこに『夫婦樫』があって、家庭円満・良縁・子育てなどのご利益があるそうです。
2023年01月09日 いれぶん[⭕️雁雁]
ニノ郭[滝の城 遺構・復元物]
ニの郭南側にある社務所前に滝の城跡縄張り図が看板として掲示されています。来訪者に配布出来るように蓋付きケースにパンフレットとして入れられていたようですが、折り悪しく無くなっていました。
2023年01月09日 いれぶん[⭕️雁雁]
滝の城
案内看板より
滝の城跡
所在地 所沢市城五三七ほか
滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向って落ちる急な崖を利用し、東南方を流れる柳瀬川を防御線とした平山城で、その敷地は約六万六千平方メートルである。
現在でも本丸を中心とした遺構が良く保存されている。本丸は柳瀬川を眼下に見下す城の東南部に位置し、現在の社殿は櫓台跡の上にある。本丸の北西には、空堀をへだてて二の郭的な曲輪があり、城はこの方向にいくつかの曲輪を配したようで、部分的に遺構が残存している。また、大手は、さらに北方に所在していたとみられている。
この滝の城は、北条氏照の持城と考えられ、滝山城(永禄十三年の戦いの後、八王子城に移る)の支城といわれている。
永禄七年(一五六四)の北条氏の清戸番衆交代命令状を見ても、清戸下宿に番所があって固めてあり、城の防備と密接な関係があったと推定される。
天正十八年(一五九〇)、豊臣秀吉の小田原城攻略の際、落城したものと考えられている。
大正十四年三月三十一日付けで埼玉県指定史跡となっている。
昭和六十年三月
埼玉県
所沢市
2023年01月09日 いれぶん[⭕️雁雁]
四脚門跡[滝の城 碑・説明板]
案内看板より
四脚門跡
平成2年4月所沢市による発掘調査が行われ高貴な四脚門跡が検出(左写真)されました。又、遺物(鉄砲玉、飾り金具角釘)等が出土しました。門跡は北側、馬出し郭、三の丸に続く通路として引橋がかけてあったようです。尚、天正18年(1590年)落城に伴う火災のため焼失しています。
滝の城跡保存会
2023年01月09日 いれぶん[⭕️雁雁]
三の丸跡[滝の城 碑・説明板]
案内看板より
三の丸跡(別名)茶器み鄭(ちゃのみくるわ)
滝の城は太田氏により築城されましたが後に北条氏照(八王子城主)の持城となり永録〜天正年間(1557年〜1577年)野州(栃木県)方面出兵の折りには本城より出陣してます。
又、在城の時には三の丸において家臣と共に茶の湯を楽しんだとも言われています。
滝の城跡保存会
2022年09月27日 里のシロクマ侍従
滝の城
土の城巡り、街中に良くこれだけの土の城が残っていたものだと唯々感謝です。
ナビで細い道をクネクネと、着いたのは二の丸-駐車場!まずは本丸 城山神社へご挨拶。
本丸、二の丸、三の丸、馬出。各曲輪に土塁、堀そして曲輪を繋ぐ土橋。崖端を利用した土の城として良く残っています又説明板も要所要所にあり大変助かります。
トイレは崖下のテニスコートにあります。上記の内容を2時間程で回りました、縄張り図を作りたいと思います。
2022年06月02日 RED副将軍
滝の城
武蔵国守護代である大石氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
戦国時代は、関東管領上杉氏の家臣で武蔵国守護代の大石氏の居城で滝山城の支城でありました。その後、後北条氏の支配下となり北条氏照の支城になったとされますが謎は多い。豊臣秀吉の小田原征伐の際に八王子城と共に落城しました。
見所
曲輪を巡る空堀は良く整備され、市街地の中、遺構の残存度は素晴らしい。主郭を巡る空堀は東側で竪堀となり落ちています。下草が刈られ、地域の保存活動に感謝です。
2022年02月06日 三ツ鱗▲钁湯無冷所
滝の城
整備事業に伴う第九次発掘調査(令和3年11月~令和4年2月)にて、二の曲輪北側大型土塁の横、城内中堀をトレンチ設けられて掘り進められました。1.7~2mの深さの堀底が確認され、城主北条氏照時代前の物と判明し、形状は箱薬研との事です。
2022年02月06日 狸親父
滝の城
現在、第9回目の発掘調査が実施されています。
2021年10月03日 マグロ常陸介祐平
滝の城
全体的に保存状態が良い城跡です。コンパクトな空間に本丸、二の丸、三の丸と深い堀、馬出し、土塁が揃っていて20分程度で廻ることが出来ました。
2021年04月05日 武蔵守与作兵衛
滝の城
車で城攻めされる方、滝の城址公園の駐車場が無料で利用できます。
外堀は障子堀だったようですが、既に宅地等になっており、見ることは出来ませんでした。今は城山神社になっている本郭、ニの郭、三の郭、内堀は、往時の雰囲気が良く残っています。開発された周囲とは別世界という趣きでした。ニの郭にある社務所前の案内板に、印刷された縄張り図が置いてあるので、最初に入手してから散策されることをお勧めします。
2020年08月17日 武蔵守じじ
滝の城
駐車場からの歩道、最近夕立が多いためかぬかるみが酷いです。お気をつけ下さい。
2019年06月08日 愛甲太閤【相模の狂人】
ニノ郭[滝の城 遺構・復元物]
二の郭は、今は遊歩道によって東西2つの領域に仕切られた格好になっている。東側は三方を空堀に囲まれているが、東側の本丸虎口につながる土橋上が絶景ポイントだろう。縦横に走る空堀と急峻な切岸・土塁が一望のもと。
2019年06月05日 愛甲太閤【相模の狂人】
滝の城
超メジャーな土のお城、今更ながら空堀の織りなす空間が見事です。本丸が神社になっていて厳かな雰囲気を醸し出しています。JR武蔵野線の喧騒がガンガン入って来ますが、日常生活と歴史ロマンが邂逅する様子もまた乙なものでしょうか…
2019年05月26日 各務野美濃守ケケン
滝の城
今日は、滝の城まつり❗
人が多いので、城の中は撮影困難😭
普段は静かな城跡が、今日は大賑わいです。土の城の遺構もしっかりあるいい城だと思います。
近くにお立ち寄りの際は、是非❗
2019年05月11日 田部朝臣土持安房守
土塁(外堀の城側)[滝の城 遺構・復元物]
縄張図にて外堀とされている地点の城側で唯一残存している土塁です。公園内ではなく民家の敷地内ですので、通り側からしか見れません。
2018年04月30日 カラオケ左近衛大将
滝の城
2018 4/27
二ノ丸案内板の所にある箱の中には、縄張り図が入っていて、かつてあったであろう障子掘り跡なども書き込まれていて楽しめます。
障子掘り跡には現在は住宅が建っていて遺構はありませんが、そこに建っている家々は少し低くなっているような気がします。
二ノ丸が駐車場になっていて、10台位は止められると思います。
近場にトイレはありませんが、川の方に降りていけばあります。
肝心な縄張り図は、数えた訳ではありませんが、4/27の時点では100枚以上はあったと思います。
2017年01月10日 右兵衛督本舗游斎
滝の城
2017年2月4日に第5次発掘調査の説明会が開催され、遺構の解説もあるそうです。
「滝の城跡」発掘調査の現地説明会を2月4日に開催します!
という所沢市のページに詳しいのでご覧ください。
2016年12月18日 高田山吹守道灌
滝の城
北条氏照滝山城の支城とあって中々の風情。文字通り滝の跡らしきせせらぎもあり。土累なども結構な景観。バスは一時間に一、二本鉄道三線に接続しており、実に交通至便。駐車場もトイレもあり、お勧めです。詳しくは城一覧で。
2014年05月15日 赤いRVR甲斐守@松本
滝の城
18日の日曜日、滝の城まつりが開催されます。東所沢駅前からの武者行列などもあるようです。詳しくは所沢市ホームページへ。
2013年01月07日 はせちゃん弾正忠
滝の城
2/2 第2回発掘調査現地説明会が実施されます
各回定員50名の完全予約制ですから、お早めに所沢市教育委員会に御連絡下さいませ
2012年07月23日 ビバちゃん
滝の城
滝の城は東所沢駅から歩いて25分くらいバスも出ていて¥170で5分くらいで「城」停留所で降りたらすぐです。ただし1時間に2本しか走ってないのでタイミングが悪かったら散策しながら行っても良いと思います。
城の遺構自体はかなり良い状態で残っているので城好きには満足出来ると思います (^-^)/
2012年06月04日 野舘宮内少輔サラマンダー
滝の城
2012年6月3日13時55分頃(170分)
東所沢病院近くにある城山神社が滝の城本丸です
二の丸に公民館と駐車場があります(無舗装)
遺溝が良好な状態で残されており、傾斜も急で深いです
遊歩道を三の丸をまわって滝の城祉公園まで降り、城山神社まで急な階段を登って一周しても20分位でしょうか
断崖東側を背に本丸があり、二の丸、三の丸が取り囲む配置でしょうか?
その為本丸東側の見晴らしがとても良かったです
この城山神社から少し離れた宅地内にも、物見櫓跡碑がありました
コンパクトに見たい方も、じっくり見たい方も満足出来るのではないでしょうか
ですが子供には退屈なようなので余りお勧め出来ません
個人的には二の丸案内板に置いてある、パンフレットが空っぽだったのが残念です…
2010年11月15日 ぐっ
滝の城
曲輪や空堀が、しっかり残っている。
血の出る松の跡前で、友達が霊を見たそうです。