赤塚城(あかつかじょう)

赤塚城の基本情報

通称・別名

千葉氏城、城山

所在地

東京都板橋区赤塚5

旧国名

武蔵国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

千葉自胤

築城年

康正2年(1456)

主な改修者

主な城主

武蔵千葉氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

志村城(東京都板橋区)[3.9km]
練馬城(東京都練馬区)[4.6km]
右馬頭屋敷(東京都練馬区)[4.7km]
岡城(埼玉県朝霞市)[4.8km]
板橋城(東京都板橋区)[5.1km]
蕨城(埼玉県蕨市)[5.8km]
石神井城(東京都練馬区)[6.7km]
稲付城(東京都北区)[6.9km]
和田山(東京都中野区)[7.5km]
愛宕山砦(東京都練馬区)[7.5km]

赤塚城の解説文



赤塚城(あかつかじょう)は、現在の東京都板橋区赤塚五丁目にあった日本の城。城跡は東京都立赤塚公園の一部として整備され、広場、梅林、桜並木などがある[1]

歴史・沿革 

康正2年(1456年)に市川城から移った千葉自胤によって築城されたと伝えられる。ただし、伝承によればそれ以前に源頼朝が挙兵後に徳丸を通過した際に立ち寄ったとも言われており、正確なところは不詳である。

赤塚城は、真北にある荒川の早瀬の渡し場を一望し、また武蔵北部から武蔵南部の下赤塚、江古田に至る鎌倉道(埼玉道)を押さえる、陸運、水運を掌握する要衝であった。赤塚千葉氏は後北条氏の有力な家臣として活躍したが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になった[2]

現状

現在は赤塚城跡、または赤塚城跡遺跡と呼ばれ[3]、自治体による史跡等の指定または登録はされていないが、周囲は都立公園として整備されている。本丸跡を示す石碑の他には土塁、空堀、水堀、堀切、切岸など、江戸城を除く23区内の城跡の中では最も多くの遺構が残っている。ふもとの赤塚溜池公園は毎年3月上旬頃「赤塚梅まつり」で賑わう。穏やかな休日には付近を散策する人も多い。

構造 

地理

中世の平山城だが、実際には砦と呼ぶべき規模の物であったらしい。本丸は武蔵野台地北東端の段丘の上に築かれており、城の北側は徳丸ヶ原と呼ばれる湿地帯だった。ため池は赤塚城の内堀だったとされるが、周囲の開墾が進んだ明治以降は農業用水として使用され、今日では釣りの楽しめる池として親しまれている。現在は小高い丘に本丸跡の「赤塚城址」があり、ふもとに板橋区立赤塚溜池公園、板橋区立郷土資料館、板橋区立美術館が隣接する。徒歩数分圏内には東京大仏で知られる赤塚山乗蓮寺(二の丸跡)や板橋区立赤塚植物園がある。

観光 

アクセス

鉄道:

  • 都営地下鉄三田線西高島平駅:徒歩15分
  • 東武東上線成増駅:徒歩18分
  • 東武東上線下赤塚駅:徒歩22分

バス:

  • 東武東上線成増駅北口から 区立美術館経由 高島平操車場行 乗車9分
  • 都営地下鉄三田線高島平駅から 区立美術館経由 成増駅行 乗車9分(西高島平駅経由ではないことに注意)
いずれも「区立美術館」下車 美術館近くの丘の上

赤塚城の口コミ情報

2022年05月06日 Teioh山城守-隔戦
赤塚城

とても見事な梅園があると初めて知りました。是非ともちょうど良い時季に再訪しようと思います。

2022年01月15日 うっきー
赤塚城



成増駅から歩いて20分ほど。現在は公園として整備されています。主郭跡には城址碑と案内板が建ってました。

2021年12月12日 長森原
早瀬の渡し[赤塚城  その他]



赤塚城の北1.8kmの所にある「早瀬の渡し」は、かつて北関東と南武蔵を結んでいた鎌倉街道が入間川(現・荒川)を渡河していた地点であり、早瀬の渡しと赤塚の地は古くからの交通の要衝でした。

現在、赤塚城からは木が生い茂って早瀬の渡しを望むことは出来ませんが、早瀬の渡しからは赤塚城がある河岸段丘がはっきり見て取れ、かつての鎌倉街道渡河点の監視城としての面影を偲ぶ事ができました。

早瀬の渡しを通過していた鎌倉街道は北は石戸経由で北関東へ、南は登戸経由で鎌倉に通じていたとされています。

赤塚城下では、鎌倉街道は早瀬の渡しから赤塚城東の大門(地名)を通り千葉氏菩提寺の松月院の脇を抜け、松月院大堂→現在の下赤塚駅の方向へ向かっていたとされており、古道の道筋には鎌倉街道の説明碑が幾つか建てられています。

地理的に赤塚城は入間川(現・荒川)を防衛ラインとして、北方からの敵の侵入を監視・対抗する役割を負っており、享徳の乱の時代は古河公方勢力を、後北条氏の時代には越山を繰り返す上杉謙信勢を警戒・防備していたと思われます。

しかし、赤塚城近くの松月院大堂には、かつてこの地を通過した上杉謙信軍により大堂が焼き払われた伝承が残されており、永禄4年の小田原攻めの際には、上杉謙信の一軍により早瀬の渡しと赤塚城が突破された歴史が窺えます。

2021年05月09日 永久楽武蔵守マクシミリアン
赤塚城



城跡は板橋区立美術館や郷土資料館が麓にある丘一帯に広がっていたようです。駐車場は東京大仏通りのコインパーキングが便利です。結構急な階段ですが頂上の本丸跡まで登れます。

2021年02月18日 虎まる
赤塚城

城址の梅林は元々、農家の梅畑。白梅の「白加賀」がほとんどです。花期は2月下旬〜3月上旬。城址の下、美術館横の公園にも小さな梅園があります。こちらでは紅梅や枝垂れ梅、さまざまな品種を楽しめます。

2020年01月25日 せいご
赤塚城



車で行く場合、リパークの板橋区立美術館が近いです。赤塚公園駐車場からは、少し歩きます。本丸までの高さは、100mぐらい。

2016年03月10日 式部大輔本舗游斎
赤塚城

城中心部は赤塚溜池公園になっており、丘上本丸跡の際に一段低いところが見られます。曲輪堀の跡です。二の曲輪梅園との間には堀切跡も。
丘上の梅園の南入口を出て西に歩くと畑の端に下り斜面があります。三の曲輪の城塁で、やはり一段低く堀跡が。帯曲輪のようですが狭すぎるでしょう。
城山の東にも丘があり、北端は緑地です。登ると削平された段が。中世の遺構かはわかりませんが、かつては砦だったかも。ここを取られると本丸が丸見えで危険ですね。
南北400㍍程度あって結構広いので、江戸川越間の継ぎの城だったのではないでしょうか。ちなみに小田原攻めの時は松戸越前守(千葉氏家臣)が守備していたようです。
大した城ではありませんが、何回も行っていると書くことが多いですね(笑)。


2013年01月01日 Ocho
赤塚城

都立赤塚公園の一角にある高台で、城の痕跡はありません。丘の麓には区立美術館や郷土資料館があります。(^-^)

赤塚城の周辺スポット情報

 内堀(現溜池)(遺構・復元物)

 障子掘跡(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 新藤楼玄関(移築)(遺構・復元物)

 旧田中家住宅(移築)(遺構・復元物)

 井戸(移築)(遺構・復元物)

 母屋(移築)(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 城址の梅林(遺構・復元物)

 板橋信濃守忠康墓(遺構・復元物)

 赤塚城本丸跡石碑(碑・説明板)

 徳丸ヶ原遺跡碑(碑・説明板)

 鎌倉古道・標柱(碑・説明板)

 鎌倉古道・標柱(碑・説明板)

 早瀬の渡し(鎌倉古道)説明板(碑・説明板)

 鎌倉街道・石碑(碑・説明板)

 早瀬渡船場跡・説明板(碑・説明板)

 白子城山(周辺城郭)

 新倉館(周辺城郭)

 吹上館(周辺城郭)

 沖山の塁(周辺城郭)

 徳丸石川遺跡(周辺城郭)

 薬師堂(寺社・史跡)

 赤塚不動の滝(寺社・史跡)

 赤塚山乗蓮寺(寺社・史跡)

 東京大仏(赤塚山乗蓮寺)(寺社・史跡)

 松月院(寺社・史跡)

 旧粕谷家住宅(寺社・史跡)

 紅梅山安樂寺(寺社・史跡)

 赤塚諏訪神社(寺社・史跡)

 赤塚氷川神社(寺社・史跡)

 徳丸北野神社(寺社・史跡)

 西台天祖神社(寺社・史跡)

 西台大鷲神社(寺社・史跡)

 福寿山善長寺(寺社・史跡)

 青蓮寺(寺社・史跡)

 信泉寺(寺社・史跡)

 西台不動尊(寺社・史跡)

 赤塚諏訪神社富士塚(寺社・史跡)

 中尾不動尊(寺社・史跡)

 成増菅原神社(寺社・史跡)

 稲荷神社(寺社・史跡)

 松月院大堂(寺社・史跡)

 赤塚溜池公園公衆トイレ(トイレ)

 赤塚公園サービスセンター前トイレ(トイレ)

 赤塚公園駐車場(駐車場)

 コインパーキング(駐車場)

 コインパーキング(駐車場)

 板橋区立郷土史料館(関連施設)

 早瀬の渡し(その他)

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