早瀬の渡し
早瀬の渡し([赤塚城 その他])
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早瀬の渡しの口コミ情報
2021年12月12日 長森原
赤塚城の北1.8kmの所にある「早瀬の渡し」は、かつて北関東と南武蔵を結んでいた鎌倉街道が入間川(現・荒川)を渡河していた地点であり、早瀬の渡しと赤塚の地は古くからの交通の要衝でした。
現在、赤塚城からは木が生い茂って早瀬の渡しを望むことは出来ませんが、早瀬の渡しからは赤塚城がある河岸段丘がはっきり見て取れ、かつての鎌倉街道渡河点の監視城としての面影を偲ぶ事ができました。
早瀬の渡しを通過していた鎌倉街道は北は石戸経由で北関東へ、南は登戸経由で鎌倉に通じていたとされています。
赤塚城下では、鎌倉街道は早瀬の渡しから赤塚城東の大門(地名)を通り千葉氏菩提寺の松月院の脇を抜け、松月院大堂→現在の下赤塚駅の方向へ向かっていたとされており、古道の道筋には鎌倉街道の説明碑が幾つか建てられています。
地理的に赤塚城は入間川(現・荒川)を防衛ラインとして、北方からの敵の侵入を監視・対抗する役割を負っており、享徳の乱の時代は古河公方勢力を、後北条氏の時代には越山を繰り返す上杉謙信勢を警戒・防備していたと思われます。
しかし、赤塚城近くの松月院大堂には、かつてこの地を通過した上杉謙信軍により大堂が焼き払われた伝承が残されており、永禄4年の小田原攻めの際には、上杉謙信の一軍により早瀬の渡しと赤塚城が突破された歴史が窺えます。