蕨城(わらびじょう)
蕨城の基本情報
通称・別名
- 蕨ノ御所
所在地
- 埼玉県蕨市中央4-21
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 渋川義行
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- 徳川家康(鷹場御殿)
主な城主
- 渋川氏
廃城年
- 永禄10年(1567)
遺構
- 曲輪、横堀(水堀)
指定文化財
- 県旧跡(蕨城跡)
再建造物
- 土塁、石碑、説明板
周辺の城
-
領ヶ谷城(埼玉県さいたま市)[2.7km]
志村城(東京都板橋区)[5.6km]
赤塚城(東京都板橋区)[5.8km]
平柳蔵人館(埼玉県川口市)[5.8km]
真鳥山城(埼玉県さいたま市)[6.3km]
赤山城(埼玉県川口市)[6.5km]
稲付城(東京都北区)[6.5km]
針ヶ谷陣屋(埼玉県さいたま市)[6.6km]
道場城(埼玉県さいたま市)[6.9km]
岡城(埼玉県朝霞市)[7.3km]
蕨城の解説文
蕨城の口コミ情報
2025年10月09日 マグロ常陸介祐平
戸田城[蕨城 周辺城郭]
伝説の域を出ないかもしれませんが、南北朝時代に活躍した桃井直常のお城と伝わります。
新編武蔵風土記稿の上戸田村の条によると、古の領主は詳らかではないが、桃井播磨守が開基した寺があることから所領ではないかとし、屋敷跡として、桃井播磨守が居住していた邸宅で、住民は「戸田の御所」と呼んでいると書かれています。また、旧家の金子氏は、桃井氏の子孫と伝わるが、そのまま信用出来ないとしています。
近くに建つ海禅寺は、多福院と同じく桃井播磨守直常の子の直和が開基のお寺で、ふたつのお寺は荒川の岸にあったとされます。多福院(写真7,8枚目)は洪水により移転したとされることから、お城も洪水により百の井屋敷からこの地に移ったと推測できます。
城址付近は、小名を元蕨といい、年代不詳ですが、蕨宿はこの地から移ったとされており、日本城郭大系ではこのお城を「蕨城」としています。ややこしいですが、登録城の蕨市の「蕨城」はこのお城が移ったとする説もあるようですが、こちらの城主の桃井直常と蕨市の蕨城の築城者とされる渋川義行は没年が1年違いの同時代を生きた人でもあり、無理があるように思えます。
城址は、光明寺から元蕨第三公園あたりとされ、近年まで土塁や空堀が残っていたようですが、現在はっきりした遺構は見られません。公園の光明寺との境には、土の盛り上がりが見られるので、土塁の痕跡かもしれません。光明寺には、板碑が見られます(写真1~4枚目)。
直和が開基の海禅寺には、風土記稿の時代に直常の供養塔が存在したようですが、現在の供養塔は昭和62年に再建されたものです(写真5,6枚目)。
2025年10月09日 マグロ常陸介祐平
百の井屋敷[蕨城 周辺城郭]
足利氏の一族、桃井氏の居館とされ、戸田の御所・多吹苑とも呼ばれます。南北朝時代に活躍した桃井直常の子の直和が建立したとされ、現在は上戸田地区にある海禅寺や多福院は、元々この地にあったとされ、多福院は洪水に患って現在地に移動したとしていることから、屋敷は洪水により戸田城(蕨城)に移ったように思われます。上州から越中に拠点を移した桃井氏がどのような経緯で戸田市内に居住したとされるのかは不明ですが、風土記稿では桃井氏の所領としています。また、日本城郭大系には、鎌倉時代の豪族の戸田六郎が城主とする説もあるとしています。
お城は、戸田競艇の東端、戸田中学校の東隣とされています。現在は住宅地となり、お城を感じさせるものはありませんが(写真1枚目)、中仙道の戸田の渡しのすぐそばで(写真2枚目)、交通の要衝の地ではあります。
2024年04月02日 埼玉内記だ
蕨城
街なかであり、こじんまりとしていますが、しっかりと市民の憩いの場という感じで整備されていました。
2024年03月03日 武蔵守のむげん
蕨城
細い路地を入って行った所にある公民館の駐車場が利用可能。城域と思われるところは公園と和楽備神社になっており、遺構はほぼありません。城址碑や説明板を元に、思いを巡らせましょう。
2023年11月03日 あんどー勘解由長官
蕨城
城主の守り神だったであろう神社が城址として残っています。城址公園ですが、ほぼ神社です。石碑は建てられてますが、遺構は御殿堀くらいなのでしょうか。立派な神社の隣で少しゆったりできる公園です。
2021年10月16日 マグロ常陸介祐平
蕨城
復元された土塁と神社の神池となっている堀跡、城址公園入口前の痕跡を残さないコンクリートの堀があります。県の史跡に指定されており高い土塁を復元したりもしているので(説明案内などありません)もう少し城址感を出しても良いのではないでしょうか。
余談ですが、群馬県の榛名湖畔の御沼おかみ神社(通称木部神社)には、城主渋川義鏡が永禄10年(1569年)に戦死した後、夫人が先祖の地に近い榛名山寺に入り、蕨の農民が旱魃や雹害のないことを祈り榛名湖に入水したとの伝説があり、昭和46年に蕨市が顕彰碑を建立しています(写真7,8枚目)。(顕彰碑の隣には、長野業政の娘で上州木部城主木部範虎夫人の同様の伝承にまつわる供養塔が並んでいます)
2021年04月10日
ニュートンのリンゴの木[蕨城 その他]
ニュートンのリンゴの木は1964年にイギリスに送られました。
この木はそれを継木したものでニュートンのリンゴの木の子孫です。
2020年01月02日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
蕨城
街道沿いに宿場があり陣屋などの史跡も整備されてますが、和楽備神社がある方が蕨城です。
蕨城の説明看板がある公園と神社が隣接してます。
神社は初詣では出店が少し出てます。
蕨駅からそこそこ歩くと蕨城跡の公園があります。
2015年03月21日 まー刑部卿
蕨城
蕨駅から駅前通りをひたすら歩く。前の人が書いてあるように本多米店で右折すると和楽備神社の脇の池が御殿堀跡。石碑はその隣接するデカイ石碑。土塁跡とおぼしきものが後世の石積に囲まれている。
2010年11月26日 ぐっ
蕨城
江戸時代には家康が御殿を置いたが、現在は堀跡が残っているだけ。
蕨城の周辺スポット情報
説明板(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
中山道 辻の一里塚跡(碑・説明板)
渋川公墓碑(碑・説明板)
百の井屋敷(周辺城郭)
戸田城(周辺城郭)
美女木八幡社(寺社・史跡)
金亀山極楽寺 三学院(寺社・史跡)
和樂備神社(寺社・史跡)
金峰山 宝樹院(寺社・史跡)
駐車場(駐車場)
ニュートンのリンゴの木(その他)
江戸時代の始めには、徳川将軍家の鷹狩用の休憩地の「御殿(ごてん)」として、蕨城の跡地が利用された。
現在は、緑豊かな「蕨城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっている。