戸田城
戸田城([蕨城 周辺城郭])
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戸田城の口コミ情報
2025年10月09日 マグロ常陸介祐平
伝説の域を出ないかもしれませんが、南北朝時代に活躍した桃井直常のお城と伝わります。
新編武蔵風土記稿の上戸田村の条によると、古の領主は詳らかではないが、桃井播磨守が開基した寺があることから所領ではないかとし、屋敷跡として、桃井播磨守が居住していた邸宅で、住民は「戸田の御所」と呼んでいると書かれています。また、旧家の金子氏は、桃井氏の子孫と伝わるが、そのまま信用出来ないとしています。
近くに建つ海禅寺は、多福院と同じく桃井播磨守直常の子の直和が開基のお寺で、ふたつのお寺は荒川の岸にあったとされます。多福院(写真7,8枚目)は洪水により移転したとされることから、お城も洪水により百の井屋敷からこの地に移ったと推測できます。
城址付近は、小名を元蕨といい、年代不詳ですが、蕨宿はこの地から移ったとされており、日本城郭大系ではこのお城を「蕨城」としています。ややこしいですが、登録城の蕨市の「蕨城」はこのお城が移ったとする説もあるようですが、こちらの城主の桃井直常と蕨市の蕨城の築城者とされる渋川義行は没年が1年違いの同時代を生きた人でもあり、無理があるように思えます。
城址は、光明寺から元蕨第三公園あたりとされ、近年まで土塁や空堀が残っていたようですが、現在はっきりした遺構は見られません。公園の光明寺との境には、土の盛り上がりが見られるので、土塁の痕跡かもしれません。光明寺には、板碑が見られます(写真1~4枚目)。
直和が開基の海禅寺には、風土記稿の時代に直常の供養塔が存在したようですが、現在の供養塔は昭和62年に再建されたものです(写真5,6枚目)。