仙波氏館

仙波氏館([川越城  周辺城郭])

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仙波氏館の口コミ情報

2025年11月02日 河堤北星


村山党の一派である仙波氏の館跡です。以前付近にある弾正屋敷の見学に行った際に近くへ行ったのですが、その時は時間が無かったので今回リベンジしに来ました。(弾正屋敷の口コミレポートも書いてますので是非…まぁ現状はお察しです…笑)

説明
城主の仙波氏は仙波家信を祖とした村山党の一族です。鎌倉期には源頼朝に従い、一族の活躍は『吾妻鏡』などの文献でも多く登場します。承久の乱では河越氏に従い戦果をあげるも、家行などの戦死者をだしました。その後、武蔵平一揆でも河越氏に属したが敗北し、一族は衰退したそうです。河越夜戦では扇谷上杉氏に属すも結果上杉氏は武蔵国では衰退し、以後は北条氏の家臣となっています。また、江戸時代にも豪商・仙波太郎兵衛という一族の名が残っています。

なお、仙波氏館の明確な築廃年は不明です。武蔵平一揆の際に廃城になったという説がありますが、仙波氏は河越夜戦にも参加してるため、武蔵平一揆以降もこの地に残ったと考えることもできます。

先人様が詳しく書いてくださっているので、仙波氏について詳しくはそちらをご覧ください(勝手に宣伝)。

現在館跡には長徳寺があります。創建された時期は不明ですが、円仁(794〜864)により創建されたと伝わっています。995年、本尊の阿弥陀如来像が浄光を放ち、霊泉が湧き出たとされ、そのことを朝廷に報告したところ、冷水山の山号を賜ることになりました。創設者が正しいなら、仙波氏館より寺の方が先にあったということになります。

城郭基本情報
名称(よみ)  仙波氏館(せんばし)
通称・別名   高家館、仙波家信館
所在地     埼玉県川越市仙波町4丁目
問い合わせ   川越市教育委員会
分類・構造   平山城
天守構造    なし
築城主     仙波家信?
築城年     文治元年(1185)以後?
主な城主    仙波信恒、仙波家行
廃城年     応安元年(1368)前後
遺構      堀切?、土塁(開発で現存せず)
指定文化財   川越市指定史跡
再建建造物   長徳寺
跡地      長徳寺、宅地
アクセス    川越駅より徒歩20分
おすすめ度   ★★★☆☆
見学所要時間  10分
服装目安    軽め

攻略情報
交通量多いので注意。

2025年08月27日 マグロ常陸介祐平


村山党仙波氏の館で、現在は川越観音として知られる仙波氏の持仏堂から派生したとされる長徳寺となっています。仙波氏は、村山小七郎家継の子の仙波七郎家信がこの地に居住したのが始まりとされ、保元物語に仙波七郎高家、吾妻鏡には仙波平太・太郎・次郎・弥三郎・左衛門尉などの名が見られるようです。いつの頃まで仙波氏がこの地にいたのかは分かりませんが、小田原衆所領役帳にのる相模の仙波七郎や伊豆の仙波藤七郎は、子孫と伝わっています。相模の仙波弥七郎吉種は、小田原の役後に家康に仕え、九戸政実の乱や朝鮮出兵の名護屋城に供奉、関ヶ原の際は秀忠に扈従しています。吉種が亡くなると厚木市(旧岡田村)の長徳寺(館跡のお寺と同名)に葬られています。

館は台地の縁に位置しており、以前は土塁と堀があったといわれているようです。現在遺構は残っていませんが、「仙波氏館跡」として川越市の史跡に指定されています(写真1~4枚目)。また、付近には古墳が多く(仙波古墳群)、愛宕神社古墳は仙波七郎高家を葬った場所との伝承があったようです(写真5枚目、風土記稿には否定的に記述)。

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