石戸城(いしどじょう)

石戸城の基本情報

通称・別名

天神山城

所在地

埼玉県北本市石戸宿6

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

太田氏

築城年

15世紀後半

主な改修者

主な城主

藤田八右衛門、毛利丹後守、依田大膳亮(北条氏家臣)

廃城年

天正18年(1590)頃

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県選定重要遺跡(石戸城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

三ツ木城(埼玉県桶川市)[2.6km]
源経基館(埼玉県鴻巣市)[5.5km]
加納城(埼玉県桶川市)[6.0km]
源範頼館(埼玉県比企郡)[6.8km]
武蔵松山城(埼玉県比企郡)[8.2km]

石戸城の解説文

石戸城は15世紀後半ころに築かれたと考えられている。

当時は上杉氏や北条氏といった戦国大名が関東地方の覇権を争う、群雄割拠の時代だった。石戸城は岩付城を拠点とし、上杉方に与していた太田氏によって築城されたといわれ、岩付城と松山城(吉見町)、河越城を結ぶ防衛ライン上の要塞のひとつとして機能していたようだ。

戦国期も佳境を迎えた永禄5年(1563)2月には、北条、武田氏の連合軍が松山城を取り囲み、激しい攻防が繰り広げられた。このとき雪の上越国境を越えて援軍に駆けつけてきた武将が上杉謙信であり、松山城を一望する石戸城に逗留している。

その後は関東地方が北条氏の勢力に支配されるなかで石戸城の役割も小さくなり、徳川氏の関東入国以降の17世紀初頭には役割を終えた。

現在でも土塁や堀といった城の遺構の一部を確認することができ、また三方を谷に囲まれた城全体の立地や城域の南側に残された街並が往時の姿を良好にとどめており、市内の戦国時代を代表する遺跡として今に伝わっている。

情報提供:北本市教育委員会教育部文化財保護課

石戸城の口コミ情報

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年05月31日]
城跡含めた周辺は北本市自然遊歩道として整備されており、知る人ぞ知る「石戸の蒲桜」も近くにあります。
城跡見学は桜堤に面した一夜堤口からが便利、駐車場は道路向かい天神下公園のものが利用できます(駐車場にトイレあり)
一夜堤口からは二の郭・主郭の脇を通り一夜堤まで数分、足元には木製すのこがあるので比較的歩きやすいかと。道なりに左折し「石戸城と一夜堤」の案内板がある土橋が一夜堤です。

先の口コミの通り郭部分は私有地のため立ち入ることができず、堀や土塁等は樹木や草に埋もれはっきりと確認できません。
自然公園として整備されていることもあり、城跡としての整備(樹木伐採や草刈り)は将来的にも難しいかもしれませんね。

石戸三河守蕃茄様[2012年07月12日]
石戸城は、松山城と岩槻城との間に位置し、西は荒川の切立た崖、北(現在は「城ヶ谷堤」と称す土手あり)と東は、所謂「ドブっ田」と言われる湿地帯が寄手を阻む要害の地なり。
「主な城主」に紹介の毛利丹後守は、上杉方の武将なるが、北条(及び武田)方との勢力争いの渦中にあり、北条氏邦攻めしとき、要害により城易く落ちぬれば、氏邦一計を案じ、城の東方に「一夜堤」なる堤を作りて落城せしむ言い伝えあり。

ぎっちゃん様[2010年06月10日]
城跡は私有地で立ち入り禁止。なので遊歩道から覗くだけ 結構ヤブってるんで遺構が見ずらいです。

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