灌頂院
灌頂院([川越城 寺社・史跡])
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灌頂院の口コミ情報
2025年11月11日 マグロ常陸介祐平
実聚山灌頂院東漸寺と号す群馬県の世良田長楽寺の末寺で、所在地は古谷本郷です。。天長年間(824~834年)に慈覚大師円仁により開山されています。西に隣接する古尾谷八幡神社は、灌頂院を創建した慈覚大師が貞観4年(863年)再訪した際に石清水八幡を勧請して創建したとされ、灌頂院は別当寺となっています。灌頂院も八幡神社も平将門による承平天慶の乱で破壊され、鎌倉時代に源頼朝により中興されています。弘安元年(1278年)には、古尾谷氏の先祖と思われる藤原時景が寺社共に再営しています。正平7年(1352年)古尾谷形部大輔は、古尾谷八幡神社に小手指の戦いの先勝を祈願し成就したため、子の近江太郎信秀に刀を奉納させており、天文15年の河越夜合戦や永禄4年の上杉謙信による小田原攻めで、灌頂院、古尾谷八幡神社共に焼き討ちされるなど荒廃するも、天正5年(1577年)に古尾谷氏の旧臣で太田氏の麾下の中筑後守資信により再興されています(本殿は現存、県文化財)。
上記のように古尾谷氏と密接な関係にあり、何度も兵火に会ったお寺と神社ですが、両氏のお城(居館)とされる善仲寺館とは同じ古谷村ではありますが、約3km程離れています。お寺は、村の南端にありますが古谷本郷と呼ばれており、村の中心的な位置づけと思われます。寺社共に歴史は古く、灌頂院には塔頭の大蔵寺の本尊とされる鎌倉時代初期に作られた木造阿弥陀如来坐像(市文化財)が伝わる為、寺院としてのものではありますが、周囲には堀が見られます。灌頂院をサイトの「色別標高図」で見ると水堀で囲まれていることが認識出来ます。土塁は確認出来ませんが、防衛施設的な役割を担っていたように感じられました(個人的な感想です)。









