鎌倉街道(岩槻〜春日部〜奥州)

鎌倉街道(岩槻〜春日部〜奥州)([春日部氏館  その他])

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鎌倉街道(岩槻〜春日部〜奥州)の口コミ情報

2022年04月10日 長森原


春日部氏は紀氏の一族で平安末頃に関東に土着、源頼朝が旗上げするとこれに従い壇ノ浦合戦に従軍しており、鎌倉幕府創設時からの代々の御家人でした。
「吾妻鏡」にも春日部氏の名前が散見され、たとえば1219年に源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺された時にも後列に春日部実平(紀右衛門尉実平)が控えていた事が記録されています。

春日部氏の居館であった八幡神社の一ノ鳥居前にある説明板には、神社前の道がかつての鎌倉街道であり、下総国(春日部は中世では下総国でした)から武蔵国(岩槻)に向かう道であった事が記されています。
この道は鎌倉街道中ノ道の支道で、岩槻で中ノ道から分岐し春日部を経由し高野の渡し(現・杉戸町)で再び中ノ道に合流、古河・奥州方面に向かう道でした。

春日部氏嫡流は宝治合戦(1247)で三浦氏と共にいったん滅びてしまうのですが、春日部氏館の前を通過するこの鎌倉街道中ノ道支道は、その後も相模〜武蔵〜春日部〜古河〜奥州を結ぶ軍道として重要な意味を持ち続けました。

時代は下り室町時代、古河公方が巻き起こした享徳の乱真っ只中の1400年代後半、この春日部氏館前を通る支道が鎌倉街道中ノ道本道と合流・分岐する地点である岩槻に、新たに城が造られました。それが岩槻城です。

岩槻城は元荒川・古隅田川の水運の監視と共に、鎌倉街道中ノ道本道&春日部経由の中ノ道支道を南下して攻めて来る敵を、元荒川を防衛ラインとして迎撃する為に造られた城と思われます。

地形と古街道の組み合わせから考えると、近年の古河公方方の成田氏岩槻城築城説には疑問を感じざるを得ません。

最後の写真はこの街道が古隅田川を渡河する地点に架けられていた「やじま橋」。元文二巳歳(1737年)の銘があり、埼玉県内では現存する最古の橋です。

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