向畑城
向畑城([越ヶ谷御殿 周辺城郭])
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向畑城の口コミ情報
2024年09月22日 マグロ常陸介祐平
野与党新方氏の城と伝わります。新方氏と関係の深い清浄院に伝わる栄広山由緒著聞書によると、文亀四年(1504年)新方頼希の守る向畑城を八条(八潮市付近)の八条惟茂が攻め新方領を奪取するも、頼希の兄で清浄院の住職高賢が向畑城を守る八条氏の一族別府三郎右衛門を破り新方領を回復したと記されているようです。新方側には渋江氏、八条側には大相模氏など、野与党同士が争っているのが伝わります。
尚、どうゆう経緯なのかよく分かりませんが、栄広山由緒著聞書の著者は、藤田信吉(西方藩主)とされています。
城址は畑となり、遺構は残っていません。
また、新方氏の伝説として、江戸時代後期に越谷宿の本陣の福井氏が書いた「大沢猫の爪」に、「向畑耕地の陣屋構え場所に新方三郎と郎党の家があったが、年末の雪の日に餅ヲ搗いていたところを小田原勢に攻撃され落城、三郎は法師武者となり寺に入り、郎党は百姓になった。このため向畑では年内に餅を搗かず、正月三が日に搗く習わしがある」と書かれているようです。
確実な資料には表れない新方氏ですが、数多くの伝承・伝説が残ります。