香春岳城(かわらだけじょう)
香春岳城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福岡県田川郡香春町香春(採銅所)
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- 不明
築城主
- 藤原純友
築城年
- 天慶3年(940)
主な改修者
- -
主な城主
- 藤原氏、香春氏、少弐氏、千手氏、原田氏、毛利氏、大友氏、豊前高橋氏、尾張毛利氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、竪堀
指定文化財
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再建造物
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周辺の城
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障子ヶ岳城(福岡県京都郡)[3.2km]
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馬ヶ岳城(福岡県行橋市)[9.7km]
鹿毛馬神籠石(福岡県飯塚市)[9.8km]
岩石城(福岡県田川郡)[12.1km]
直方陣屋(福岡県直方市)[12.6km]
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長野城(福岡県北九州市)[15.4km]
大三ヶ岳城(福岡県北九州市)[15.6km]
香春岳城の解説文
[引用元:Wikipedia「香春岳城」の項目]
香春岳城(かわらだけじょう)は、福岡県田川郡香春町大字香春にあった日本の城(山城)。香春岳にあり、天然の要害に守られ、難攻不落の城として知られていた。交通の要衝でもあり、度々争奪戦の的となっていたが、江戸時代に一国一城令により取り壊され廃城となった。
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香春岳城の口コミ情報
2023年10月22日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
鎮西原城[香春岳城 周辺城郭]
福岡県の田川郡の香春町にある【鎮西原城と鶴岡八幡宮】♪為朝伝説で有名な鎮西八郎為朝(源)の居館跡と伝わります♪鎮西八郎為朝は平安時代末期の武将、源為義の八男で源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる人物です♪
仁平2年(1152年)豊後国臼杵より移住して築いた館と云われています♪
この鎮西八郎為朝は身長2m(7尺ほどw)を超える巨体で更に気性が荒くw
また剛弓の使い手であり剛勇無双を謳われました♪生まれつきの乱暴者であったとされ、余りの不良ぶりに父の源為義により勘当され九州に追放された武将ですw(為朝、13歳の時w)後には父に呼び戻され、上洛し戦う訳ですが‥‥♪
追放された初めは豊後国(現大分県)に住み着いています♪九州へ追放されながらも、自身は鎮西総追捕使(今で言う警察的な)を称して暴れ回り、菊池氏、原田氏など九州の豪族達と幾度も合戦や城攻めを繰り返し、気付いたら3年の内に九州を平らげてしまったという逸話が残ります♪
鎮西八郎為朝によるコレらの狼藉を香椎宮の神人が朝廷に訴えていて、久寿元年(1154年)に出頭の宣旨が出されてしまいますw
しかし、鎮西八郎為朝は、勿論これに従いませんw翌久寿2年(1155年)には父が解官され、これを聞いた鎮西八郎為朝は帰参する事にし九州の強者28騎を率いて上洛しています☆
京で鳥羽法皇が崩御(死去)すると、治天の君の座を巡り、対立していた崇徳上皇🆚後白河天皇の衝突は避けられない情勢となっています☆上皇方も、天皇方も名だたる武将をそれぞれの陣営に招く中、鎮西八郎為朝の父・源為義は上皇方の大将として招かれていますが、老齢を理由に再三断っていますが、遂には崇徳上皇の御所白河北殿に参陣しています♪因みに源為義の嫡男で坂東を地盤としていた源義朝は多くの東国武士と共に天皇方へ参じています!コレは俗に言う『保元の乱』です🔥
この上洛の際に、鎮西八郎為朝は、嫡子の鶴王丸に宝刀『若緑』を与えて阿蘇忠国を後見人として、この地に残しています♪
結果的に鎮西八郎為朝は父、源為義と共に戦いましたが敗れ、伊豆国大島へ流罪となっています‥‥。。一方、鎮西原城に残った鶴王丸は元服して鎮西太郎基朝と名乗りましたが、肥後国で死に、その後、数代続きましたが、応永5年(1398年)大内盛見に降って滅亡しています☆
現在、館跡は田川農林高校の敷地となっていて、一段高くなっています♪田川農林高校の門脇には案内板があります♪高校の北側(現田んぼ)は少し低くなっていて、コレは堀の名残りと云われています♪
鶴岡八幡神社は香春町の小高い山に立地します♪祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命で、約850年前に鎮西八郎為朝が勧請したといわれています♪
2022年02月07日 眞田左衛門佐十兵衛
香春岳城
五徳越峠(10台ほど駐車出来ます)から、香春岳(三ノ岳、ニノ岳)への登山口があり登れます。三ノ岳へは途中、岩登りコース(急斜面の岩場が続きます💦ビビりました…)とファミリーコース(遠回りになりますが、なだらかで、三ノ岳山頂近くでロープを使って登ります。途中にズリネ間歩ヶ見られます)に分かれます。三ノ岳からニノ岳へ続く尾根に方形の人枡遺跡があります。ニノ岳へは途中、立入禁止看板があります。看板手前に香春岳ドリーネ(窪地)があり、そこからGPS(YAMAP)でニノ岳登山道に合流してからニノ岳山頂468.2mへ。山頂付近には、石像が点在してます。だいぶ削られてしまった一ノ岳と道の駅香春を見る事が出来ます。
2021年04月30日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
城山城[香春岳城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」では「じょうやまじょう」と読むようで、この城については文献には見当たらないようです。
城山橋の東側の頂部には主郭と帯曲輪が巡り、堀切等も構築されていたそうですが、山道整備により堀切の中央部は埋められてしまったそうです。
2021年04月30日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
観音寺城[香春岳城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、戦国時代の山城で、秋月種実の旗下であった狩野宗印が築城者として紹介されていました。
2021年04月30日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
新田城[香春岳城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、戦国時代の山城で、築城者は高橋元種で出城だったようです。
2021年04月30日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
海老野城[香春岳城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、築城者は大館九郎源盛見で南北朝時代の山城だそうです。
2021年04月30日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
手切城[香春岳城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、築城者の手切氏の抱城で、戦国時代の山城だそうです。