豊前松山城(ぶぜんまつやまじょう)

豊前松山城の基本情報

通称・別名

松山城、神田城

所在地

福岡県京都郡苅田町松山

旧国名

豊前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

藤原広嗣

築城年

天平12年(740)

主な改修者

長野助盛、細川氏

主な城主

藤原氏、神田氏、平氏、城井氏、大内氏、大友氏、毛利氏、黒田氏

廃城年

慶長11年(1606)

遺構

曲輪、石垣、土塁、竪堀

指定文化財

町史跡(松山城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

長野城(福岡県北九州市)[7.0km]
猿喰城(福岡県北九州市)[10.4km]
小倉城(福岡県北九州市)[13.5km]
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御所ヶ谷神籠石(福岡県行橋市)[15.5km]
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障子ヶ岳城(福岡県京都郡)[16.3km]
門司城(福岡県北九州市)[17.0km]

豊前松山城の解説文



松山城(まつやまじょう)は、豊前国京都郡松山(現・福岡県京都郡苅田町)にあった日本の城(山城)。苅田町指定史跡[1]

概要 

標高128mの松山山頂付近に主郭があり、二の郭、三の郭が連なっていた。現在では採石場となっており、三の郭や出城は破壊されている。ただ、畝状縦掘りや石段の遺構等も現存している。

本丸跡は東西22メートル、南北32メートルの長方形の平地で、本丸の大手口には石塁が残っていて、本丸城台の東側には高さ3メートルの石塁が現存している。

本丸の北から西、南にかけて3メートルの落差で幅10メートルの腰曲輪があり、さらに東へは幅20メートルほどの曲輪が階段状に続き虎口を経て二の郭に至る。二の郭は東西に35メートル、南北に12メートルで北側、南側は高さ2メートルの土塁で囲まれている。さらに二の郭の東に三の郭、小城が隣接するが、採石のため消滅している[2]

沿革 

平安時代から室町時代<a id="wiki-annotation-modal-3" class="footnote" onclick="javascript:showAnnotationModal('【書籍】「福岡県の城」')">[3]</a>

伝承では、740年(天平12年)、大宰権帥・藤原広嗣が朝廷に反旗を翻した際(藤原広嗣の乱)に築いたとされる。時代は下り、940年(天慶3年)の藤原純友の乱に際し、神田光員の居城となった。その後は神田氏が在城していたが、1157年(保元2年)に平康盛によって滅ぼされた。松山城は康頼の三男・平信盛が居城とした。1185年(文治元年)、信盛の子・平吉盛は壇ノ浦の戦いに従軍して敗北し、入水自殺を遂げた。1196年(建久7年)頃には、豊前国に下向してきた城井氏の始祖である宇都宮信房が支配した。ここでも松山城は激しい攻防の舞台となり、長野氏当主・長野直盛が松山城を支配した。

1336年(南朝:延元元年、北朝:建武3年)、後醍醐天皇の建武政権に反旗を翻した足利尊氏が九州に下向、それに従う少弐頼尚は松山城を攻略し、その子・少弐頼房を城主に据えた。

周防国の大内氏が豊前国を含む北九州地方へ勢力を伸ばすと、豊前国の要衝として松山城を重視し、重臣であった杉氏の杉興信を守護代に任じ、城主とした。1398年(応永5年)には大友氏鑑が大友親世に反乱を起こした際に氏鑑方の攻撃によって落城、城代の杉光治は討死した。大内氏は松山城奪回後、安芸国の国人であった天野顕義が入城して、その後に討死した光治の兄である杉弘信が入った。その後は杉氏が在城して続き、1551年(天文20年)までその支配が続いた。

戦国時代の到来と毛利・大友氏の狭間で

しかし、陶隆房の謀反(大寧寺の変)で、大内氏当主・大内義隆は自害、1556年(弘治2年)には毛利氏に帰順した松山城主で豊前守護代であった杉重吉が大友義鎮配下・田原親宏の攻撃によって敗走、松山城は落城した。

防長経略によって大内領を併呑した中国地方の雄・毛利元就は大内領であった北九州への侵攻を開始、豊前国の要衝であった松山城を攻略して、勇将・天野隆重、杉氏の一族・杉重良を入れた。1562年(永禄5年)に松山城は大友氏の攻撃を受ける。しかし1563年(永禄6年)に、室町将軍・足利義輝の斡旋によって、毛利氏と大友氏の間に和睦が成り、松山城は大友氏に引き渡された。

その後は、長野祐盛(秋月種実の弟説あり)が城主となったが、毛利氏や大友氏が京都郡に侵攻するに及び、度々従属先を変え続けた。そのため、永禄末期から天正年間にかけて大友氏、毛利氏から大規模な討伐を受け、長野氏は零落した。また、1579年(天正7年)に杉重良が毛利氏に反旗を翻して、松山城を退去して蓑島城に入った。重良は高橋元種の攻撃を受けて討死した。嫡男の杉元良は毛利氏家臣として続いたが、豊前国支配に関わっていた杉氏は、ここにその豊前支配を終えた。 1581年(天正9年)、毛利方であった長野祐盛が松山城に籠もる、同じ毛利方の高橋元種を攻撃する事態が起きた。

豊臣秀吉の九州征伐と関ヶ原の戦い、元和偃武

1586年(天正14年)、豊臣秀吉は九州征伐を開始。主力であった毛利軍が松山に入ると、近隣の豪族である城井朝房や長野氏等がこぞって帰順。松山城には毛利氏家臣・仁保元豊や湯浅将宗が入った。島津氏降伏後、松山城は黒田孝高の所領となり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後に、豊前国を領した細川忠興の所領となった。

松山城は1606年(慶長11年)に廃城となり、800年に及ぶ城の歴史に終止符を打った。

参考資料 

  • 新人物往来社 「日本城郭大系18」

豊前松山城の口コミ情報

2022年02月13日 織田上総介晃司
豊前松山城

2018年の西日本豪雨による土砂崩れの復旧が進んでなく危険なため未だ駐車場は利用できません。(2022/02/11現在)

戸取神社前のスペースに停めて自己責任ということで登城開始。登城口が侵入禁止だと諦めて帰るのだが無かったので再び登城開始。

西日本豪雨のためロープを張っている杭の何本か抜けているのでむやみにロープを掴み登るのはやめましょう。これも自己責任。

城内にブルーシートが掛けてある箇所は侵入禁止。

何度も言いますが、あくまで自己責任での登城となります。

2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
等覚寺城[豊前松山城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、応永年間(1394-1426)、城主は等覚寺の座主堯賢で、大友氏一族の城だったようです。

2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
高城[豊前松山城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、築城者や築城年代は詳らかではないようですが、天険の要害を持つ山城で曲輪等が残っているそうです。
天正年間(1573-1592)は馬ヶ岳城主の長野三郎左衛門が抱城としたとされるとありました。

2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
太平山城[豊前松山城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、曲輪等が残っているそうですが、文献等に記録がなく、築城者や築城年代は詳らかではないようです。

2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
簑島城[豊前松山城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、築城者は藤原朝臣邦吉で、大内氏の重臣杉氏の居城だったようです。

2021年04月03日 大納言Z大納言369
朽網城[豊前松山城  周辺城郭]



(くさみ)と呼ぶ。松野氏の居城と伝えられている。松野氏は大友一族なのか長野氏一族なのかは定かではない。

現在、城郭は東九州自動車道の開通により消滅している。

2020年03月29日 牧 勘解由長官 隼人
豊前松山城

崖崩れによる立ち入り禁止継続中でした。 雰囲気のありそうなお城やったのに残念…。また来よう!

2017年03月22日 カーネル
豊前松山城

日豊線苅田駅から歩きました

アプリを起動すると直線2.5kmです
駅から北上して、最初は市街地を歩きます
15分くらい歩くと、右前方にこんもりした山が見えてきます。松山城です

国道10号を超えると道は農道に変わり、城の南側に着くと登山口と駐車場があります。ここまで30分

ここから本丸までは、松山城自然歩道として整備されてます
土塁・二ノ郭・石段と案内板があり、助かります
駐車場には登り30分とありましたが、本丸まで10分で到着してしまったので、遺構を見逃したのかと焦りました
道はキレイに整備され、適度に木々も間引きされており、楽しめました。管理する方の苦労がうかがえました

駅へ戻るまで、往復1時間半でした

2015年12月01日 立花左近将監統虎
豊前松山城

松山城の南側山裾に自然遊歩道の看板あり、住宅地内に8台ほどの無料駐車場と仮設トイレがあります。
地元の松山城を守る会の方々によって綺麗に管理されています。
そこから城跡までは500mの道のりで約30分ほどかかるようです。。。

次回は登ります。f(^_^;

豊前松山城の周辺スポット情報

 朽網城(周辺城郭)

 簑島城(周辺城郭)

 太平山城(周辺城郭)

 高城(周辺城郭)

 等覚寺城(周辺城郭)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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