引地山城(ひきちやまじょう)
引地山城の基本情報
通称・別名
- 到津城
所在地
- 福岡県北九州市小倉北区都1
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 到津中務少輔
築城年
- 平安時代
主な改修者
- -
主な城主
- 到津氏、清末氏(宇佐大宮司代官)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
小倉城(福岡県北九州市)[2.3km]
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花尾城(福岡県北九州市)[6.9km]
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引地山城の口コミ情報
2024年01月30日 ちゃぴ豊前守ちょこ
引地山城
到津八幡神社の西、国道3号線戸畑バイパスとの間にある丘陵に築かれています。
現在の引地山城跡は、住宅街であり一部丘林が残っていますが、立ち入り禁止のため、城跡は確認出来ませんでした。
2021年11月14日 のりンゴ豊後守
引地山城
リア攻めの際、近くから堀切は確認できますが、現在立ち入り禁止になっているようで中には入れませんでした。清末氏のお墓と思われる石塔は道路から確認できました^ ^
2021年05月01日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
吉川城[引地山城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、三岳城を攻めるために造られた、豊前と筑前の国境にあった在地性のない城とありました。
毛利方の攻め城という言い伝えもあるそうです。
2021年05月01日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
虹山城[引地山城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、鎌倉時代から戦国時代までの山城で空堀や残塁が各所に残っているそうです。
元弘年間(1331-1334)に規矩時秋と規矩高政が築城し居城としたようです。
天文年間(1532-1555)には長野氏の居城になったとありました。