猿喰城(さるはみじょう)
猿喰城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福岡県北九州市門司区猿喰
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 門司親房
築城年
- 文治2年(1186)
主な改修者
- -
主な城主
- 門司氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
門司城(福岡県北九州市)[6.8km]
小倉城(福岡県北九州市)[8.3km]
下関前田台場(山口県下関市)[8.6km]
豊前松山城(福岡県京都郡)[10.4km]
引地山城(福岡県北九州市)[10.6km]
櫛崎城(山口県下関市)[10.7km]
長野城(福岡県北九州市)[10.9km]
若松城(福岡県北九州市)[13.4km]
勝山城(山口県下関市)[15.0km]
大三ヶ岳城(福岡県北九州市)[16.0km]
猿喰城の口コミ情報
2020年05月11日 小野近江守湖青
矢筈山堡塁[猿喰城 周辺城郭]
品川台場の写真を投稿した時に、少なくともこのアプリや日本城郭協会さんの認識に於いて、「お台場は城」扱いなのだと知りました。「城」の定義は人それぞれだと思っていますしそれについて何か議論したいとかではありませんが、個人的には、「神籠石は古代の山城」よりは「要塞は近代の城」のほうがロマンは少ないかわりにしっくり呑み込めるので、今回の下関要塞群も城めぐりの口コミとしてセーフかな、なんて思っての投稿です(と、削除されない為に意図説明必死)。
矢筈山堡塁跡は、
明治20年頃、伊藤博文首相と大山巌陸相の指示により、国家有事に備え関門の要塞として、笹尾山和布刈とともに構築された陣地跡である(現地の碑より)
なのですが関門海峡が日清戦争や日露戦争などの戦場にならなかったので、実戦への直接参加はしていない戦跡です。現代では、キャンプ場として活用されており、遺構も豊富なスポットですがコロナ禍の影響でキャンプ場利用は当面の間、できません(2020.5.11現在)。
そして遺構だらけなのにすいません、2017年当時の私は、関門海峡の景色ばかりに見惚れていて(堡塁跡から尾根沿いにすぐの、風師山からの関門海峡が好きなんです…車でも徒歩でも門司城から気軽に行ける距離です、よろしければついでに)蔵出し遺構写真の少ないこと。砲台跡とかのお写真お持ちの方がおみえでしたら、ご投稿いただけたら嬉しいです。
…リア攻めマップの距離3キロ制限の関係で猿喰城にお世話になりますが、ホントは門司城の関連城郭なのに、と思ってるのは、内緒にしときます。
2017年09月03日 カーネル
猿喰城
鹿児島本線 門司駅南口から
直線で2.8km
駅を背に東に商店街を抜けて、県道71号線を目指します
県道72号は歩道が完備され、傾斜もゆるやかです
城山霊園の信号を過ぎます。ここまで、西鉄バスも走ってます。次の東部斎場入り口で左折します
4-5分でT字になるので右折すると、右手に窪地があり、城の案内板(ボロボロ)と奥に階段があります。ここまで45分
階段はうっそうとしていますが、山道は整備されて歩きやすく、木漏れ日がさす爽やかな道でした
頂上には、松ヶ江テレビの中継局があり、奥に進むと井戸らしき石組と、城の石碑があります
帰りは大里インター近くの戸上神社に、おまいりしてから駅に戻りました。全部で2時間ちょいでした
2016年03月09日 柴崎中納言幸助
猿喰城
道らしき道をひたすら登ります。ところどころ急になっています。本丸跡は直径60mほどの楕円形です。
猿喰城は、南北朝期に門司若狭守親頼によって築かれました。親頼は、菊池氏と協力して北豊唯一の南朝勢力として大内氏などと激闘を続けましたが、最後は一門の裏切りによって討ち死にし、猿喰城も落城しました。