猿喰城(さるはみじょう)
猿喰城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福岡県北九州市門司区猿喰
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 門司親房
築城年
- 文治2年(1186)
主な改修者
- -
主な城主
- 門司氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
門司城(福岡県北九州市)[6.8km]
小倉城(福岡県北九州市)[8.3km]
下関前田台場(山口県下関市)[8.6km]
豊前松山城(福岡県京都郡)[10.4km]
引地山城(福岡県北九州市)[10.6km]
櫛崎城(山口県下関市)[10.7km]
長野城(福岡県北九州市)[10.9km]
若松城(福岡県北九州市)[13.4km]
勝山城(山口県下関市)[15.0km]
大三ヶ岳城(福岡県北九州市)[16.0km]
猿喰城の口コミ情報
2021年05月02日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
寒竹城(吉志城)[猿喰城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、現在は九州自動車道の吉志パーキングエリアの敷地となっていますが、寒竹城址の石碑があるようです。
文治年間(1185-1190)に門司下総前司親房が門司城の端城として築城したものとありました。
2021年05月02日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
陣山城[猿喰城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、門司城の支城で、大内氏の家臣であった柳田氏が居城したとされているようですが詳しくはわからないともありました。
現在でも土塁が残っているそうです。
2021年05月02日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
柳城[猿喰城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、門司氏の出城として築かれた山城で土塁線がわずかに残っているとのことです。また戸ノ上登山道脇に柳城址の石碑があるそうです。
南北朝時代の城主は、当初南朝方だった門司大和守親通のようです。
2021年05月02日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
伊川城[猿喰城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、円楽寺の裏山一帯が城跡だそうですが、残念ながら遺構はあまり残っていないとありました。
この城は門司城主の一族、伊川系門司氏の本拠地で、門司親澄が城主だったようです。
2017年09月03日 カーネル
猿喰城
鹿児島本線 門司駅南口から
直線で2.8km
駅を背に東に商店街を抜けて、県道71号線を目指します
県道72号は歩道が完備され、傾斜もゆるやかです
城山霊園の信号を過ぎます。ここまで、西鉄バスも走ってます。次の東部斎場入り口で左折します
4-5分でT字になるので右折すると、右手に窪地があり、城の案内板(ボロボロ)と奥に階段があります。ここまで45分
階段はうっそうとしていますが、山道は整備されて歩きやすく、木漏れ日がさす爽やかな道でした
頂上には、松ヶ江テレビの中継局があり、奥に進むと井戸らしき石組と、城の石碑があります
帰りは大里インター近くの戸上神社に、おまいりしてから駅に戻りました。全部で2時間ちょいでした
2016年03月09日 柴崎権大納言幸助
猿喰城
道らしき道をひたすら登ります。ところどころ急になっています。本丸跡は直径60mほどの楕円形です。
猿喰城は、南北朝期に門司若狭守親頼によって築かれました。親頼は、菊池氏と協力して北豊唯一の南朝勢力として大内氏などと激闘を続けましたが、最後は一門の裏切りによって討ち死にし、猿喰城も落城しました。