勝山城(かつやまじょう)

勝山城の基本情報

通称・別名

且山城、[勝山御殿]

所在地

山口県下関市小野(地図は勝山城を示す)

旧国名

長門国

分類・構造

山城、[陣屋]

天守構造

築城主

永富嗣光[勝山城]、毛利元周[勝山御殿]

築城年

永和4年(1378)[勝山城]、文久3年(1863)[勝山御殿]

主な改修者

主な城主

永富嗣光、内藤氏、大内義長、入江箸親(毛利氏家臣)[勝山城]、毛利氏[勝山御殿]

廃城年

不明[勝山城]、明治6年(1873)[勝山御殿]

遺構

曲輪、石垣[すべて]、堀切、竪堀[勝山城]、御殿跡[勝山御殿]

指定文化財

再建造物

説明板[すべて]

周辺の城

櫛崎城(山口県下関市)[5.2km]
下関前田台場(山口県下関市)[6.4km]
鬼ヶ城(山口県下関市)[8.0km]
門司城(福岡県北九州市)[8.2km]
松屋城(山口県下関市)[8.9km]

勝山城の解説文

勝山城(かつやまじょう)は、現在の山口県下関市の勝山にあった日本の城(山城)。且山城とも表記される。幕末、長府藩が勝山の山麓に築いたものは勝山御殿と呼ばれる。

勝山城
勝山の山頂に築かれた連郭式の山城。築城年代は不明だが、永和4年(1378年)に大内氏家臣の永富嗣光が築城したとも言われる。

大永元年(1521年)に、九州に対する備えとして守護大名大内氏の重臣内藤興盛が入るが、大永7年(1527年)に、近接する青山城の城主高森正倫との間に諍いが起きる。高森氏は津原膳勝や津田興輝らの加勢を得て12,000の軍勢で且山城を取り囲むも、内藤氏には大内氏が加勢して35,000の大軍となった。逆襲に転じた内藤勢は、青山を攻め落とした(勝山青山の戦い、青山くずれ)。

天文24年(1555年)の厳島の戦いで勝利した毛利元就による周防・長門への侵攻(防長経略)により、弘治3年(1557年)3月に大内義長は本拠地である山口を脱出。内藤隆世と共にこの城に籠城して毛利軍と戦った。要害であった勝山城を包囲した元就が矢文によって降伏を促したところ、4月2日に開城して、義長の助命を嘆願する隆世は自害した。その後義長は、勝山城を出て長福寺(功山寺)に入ったが、翌3日には攻め寄せた毛利軍に追い詰められて自害している。

落城後は、入江箸親が城番となった。

現在でも、勝山山頂に頂上周辺に曲輪や櫓の跡地などが残っている。

勝山御殿
幕末の文久3年(1863年)5月から、長州藩は関門海峡を通過する外国船への砲撃を開始したが、その後6月にフランス軍艦の報復攻撃を受けた(下関戦争)。

長州藩支藩・長府藩の藩邸(櫛崎城)は関門海峡に近接した海岸沿いの場所にあったが、情勢が緊迫する中、藩主毛利元周が藩邸を内陸に移すことを決定した。同年6月28日から翌年にかけて行われた突貫工事により、勝山山麓に勝山御殿を築いた。工事には長府藩領内の男女が総動員された。文久3年(1864年)2月1日には、長府藩主(のち知藩事)の居城となったが、明治に入って知藩事が長府に再移住したのち、暫くは豊浦藩庁(廃藩置県後は豊浦県庁)とされた後、明治6年(1873年)に解体された。解体の際、建材の一部は移築され、長府の覚苑寺の庫裏・客殿となった。なお、本丸の石垣は良好な状態で現存していた。

勝山御殿は、勝山と四王司山の南麓に位置する谷間に築かれており、山々を背にする北側に本丸を構え、南側に向かって二の丸と三の丸が造られた連郭式の構造となっている。本丸はさらに南北で二段の区画に分けられており、藩主の家族が住む北部(最奥部)が"奥の院"、南部が藩主が公務などを行う"表"とされており、本丸奥と表の間は石垣と水堀で分けられていたが、渡り廊下が繋がれていた。なお、砲撃の目標となることを防ぐため、櫓は建てられていない。城郭の構造は「勝山御殿指図」(住吉神社所蔵)に記されていたが、近年のさらなる発掘調査により埋没していた二の丸・三の丸の城塁や本丸御殿の基礎が発見される。大手門のあった三の丸に横矢枡形が発見されるなど、縄張りも詳しく判明した。

平成21年(2009年)までに勝山地区公園として整備を終え、曲輪とその石垣を生かした公園となっている。...

勝山城の口コミ情報

鈴様[2015年06月23日]
綾羅木にある下関市の考古博物館に勝山御殿と前田台場のパンフレットがおいてありました。博物館の展示物は弥生時代と古墳時代がメインでお城関連の展示はありませんが、入場無料なので勝山御殿を見た帰り、時間があったら覗いてみたらいかがでしょうか?

常陸入道ねんさい和泉守様[2015年06月22日]
新下関駅からバスで田倉で下車。バス停から御殿まで約1キロ、バス停周辺の標高は30Mで御殿の南側は80Mなので城跡までは登り道である。御殿のすぐそばに駐車場があるので車でも行ける。
北側に一番高い場所に本丸があり南に二の丸、三の丸が並ぶ連郭式の城である。幕末に7ヶ月の突貫工事で築城したが石垣を多用している本格的な城である。
現在では三の丸が道路敷設で一部破壊されているがそれ以外の曲輪、石垣がよく残る。

ちなみに勝山城は勝山御殿の200年以上前の戦国期に使用されたの山城で御殿とは別の城である。御殿の先にあり、標高361Mの山頂に主郭があり勝山御殿から比高が250M以上ある。山頂まで遊歩道はあるが城跡まで行くにはかなり大変である。遊歩道は分かりにくいが木に目印があるので何とか分かった。途中急傾斜があり設置されているロープを伝わって登る。勝山城に行くにはそれ相応の装備が必要である。城跡は山頂の主郭以下の各曲輪がよく残る。石垣、櫓台も残る。
ちなみにトイレは勝山御殿にあるがそれより先にはない。

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