一ノ瀬城(いちのせじょう)
一ノ瀬城の基本情報
通称・別名
- 豊田城、松尾山城、長谷山城、長谷山の城
所在地
- 山口県下関市豊田町一ノ瀬
旧国名
- 長門国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 豊田氏
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 豊田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、切岸
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
松屋城(山口県下関市)[13.2km]
信田ノ丸城(山口県宇部市)[15.0km]
鬼ヶ城(山口県下関市)[17.4km]
荒滝山城(山口県宇部市)[19.0km]
勝山城(山口県下関市)[19.9km]
青景城(山口県美祢市)[20.4km]
丸嶽山城(山口県下関市)[21.6km]
亀山城(山口県長門市)[22.9km]
櫛崎城(山口県下関市)[23.0km]
霜降城(山口県宇部市)[23.7km]































一ノ瀬城の口コミ情報
2022年04月28日 オッチ〜太閤
一ノ瀬城
先達様たちの情報から、豊田氏城館跡より日野川に沿って南西に下った登山口より攻略。獣よけ柵を抜け、まず北西に登った後、鉄塔から尾根伝いに東に進むと城山頂上です。
城山山頂が主郭の南端です。地元の方によると、詰の城というより物見台的な要素が強かったらしい、との事。西の豊田盆地から東の美祢まで眺望できたそうです。
主郭から北へ曲輪が伸び、中央西側に竪堀、張出曲輪群があります。さらに北に切岸や堀切があるそうですが、陽が落ちてきたので退却。
前述の地元の方の話では、近年登山道はほとんど使用されていないようです。
夏場は藪漕ぎで大変でしょう。実は、豊田氏城館跡から北上すると峠があり、そこから城山の北側からアプローチ可能で、こちらの方が堀切にすぐ到達できるとの事でした。
蛇足ですが…私は会社帰りに革靴、スラックスで訪城しましたが、皆様絶対に真似しないでね、低いけど山城だから。泥だらけになり、泣きを見ます😆
蛇足その2
ピンクリボンがいたるところにあるのですが、かつて一之瀬城学術調査の折に測量でつけた物だそうで、あまり参考になりません。私は下手に信用した為、谷筋を直下するハメになり、思いっきり滑って転びました❗️
2021年12月17日 龍馬備中守【】
向山豊田氏館(西殿)[一ノ瀬城 周辺城郭]
山口県の下関市にある【向山豊田氏館】♪
向山豊田氏館の築城年代は分かっていませんが豊田種藤によって築かれたと伝わります☆豊田氏は藤原道隆の後裔を称しますが出自は詳らかではありません☆
この豊田氏を称した初代は豊田輔長となります☆2代目・豊田輔平の時は広畠の地に館を構えていたのですが豊田家の繁栄と共に時は流れ7代目の豊田種弘は豊田郡の大領に任命されていて12代目の豊田種長は南北朝時代の動乱の中で更に勢力を拡大☆
観応の擾乱で足利直冬は一時期この豊田氏を頼って一ノ瀬に滞在しています☆一ノ瀬とは一ノ瀬城を要する豊田氏の本拠地です☆
その後の豊田家・13代目の豊田種藤は一ノ瀬の館から出て、この向山に館を構え向山豊田氏館へと移りました☆
向山豊田氏館は山の北麓に築かれました☆看板が残る水田の辺りが居館の場所とされています☆北側には木屋川、手前には殿敷川と2つの川に守られています☆
殿敷川、県道沿いに種藤が建立した菩提寺の知行寺の跡があります♪小さな五輪塔が残っていました☆
この『殿敷』の地名は『豊田殿屋敷』から『殿屋敷』更には『殿敷』と省略されて付いた様です☆
2018年06月04日 武凌丸
一ノ瀬城
この時期は一ノ瀬城跡周辺の川では蛍が乱舞していてとてもきれいですよ。
2013年02月10日 筑前守ジェットシン
一ノ瀬城
500メートル先の看板の先にある山道をのぼってみましたがこれといったものはありませんでした。
2012年07月23日 大宰少弐ためぞう
一ノ瀬城
写真の石碑が限界で、看板に従って進むと「500㍍先」のあと、なにもありませんでした…
2011年12月09日 魏武帝長門守ふぐ刺し
一ノ瀬城
長門国の北西に勢力を誇った豊田氏の城です。かつては厚東氏と大内氏の三氏で覇権を争う程でした一之瀬城自体は城というより砦に近い感じです。東部侵攻からの備えといった感じと思われます遺構もあまり現存していません
2011年12月09日 魏武帝長門守ふぐ刺し
一ノ瀬城
豊田氏の居城で山口県立西市高校の近所です陶に反抗して滅亡しました
一ノ瀬城の周辺スポット情報
向山豊田氏館(西殿)(周辺城郭)