霜降城(しもふりじょう)
霜降城の基本情報
通称・別名
- 城山
所在地
- 山口県宇部市大字吉見、大字末信他
旧国名
- 長門国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- なし
築城主
- 厚東武光
築城年
- 治承3年(1179)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 厚東氏
廃城年
- 延文3年(1358)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(霜降城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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霜降城の解説文
[引用元:Wikipedia「霜降城」の項目]
霜降城(しもふりじょう)は、山口県宇部市の中央に位置する霜降山にあった南北朝時代頃の日本の城(山城)。山口県の県指定文化財・史跡である。
概要
近世の天守閣や石垣を備えた城とは異なり、山頂を空堀や土塁で囲った中世の山城である。
城の範囲は南北約660メートルに及び、霜降山の4つの峰のうち最も高い峰(標高約250メートル)を本城とし、前城(標高247メートル)、後城(240メートル、235メートル)が置かれている[1]。
沿革
長門国厚狭郡の豪族であり最盛期には長門国守護を務めた厚東氏が、築城から廃城まで代々の城主であった。壇ノ浦の戦いで名を上げた厚東氏の7代、厚東武光によって治承3年(1179年)頃に築城されたと伝えられる。
のちに長門守護に任じられた厚東氏は周防守護の大内氏と対立するようになり、抗争を繰り返したが、南朝:正平13年 北朝:延文3年(1358年)に至り、厚東義武(厚東氏17代)は大内弘世の攻撃を支えきれず落城した。九州に逃れた厚東義武は失地回復の戦いを挑むが、最終的に長門国は大内氏の版図に組み込まれた。
霜降城は大内氏には用いられなかったため、南北朝時代の遺構が現在も残る。1968年(昭和43年)7月4日、山口県指定史跡に指定された。
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霜降城の口コミ情報
2021年05月07日 しほり
霜降城
道も整備されて散策しやすい城跡です。遺構も南北朝の特徴を遺していて思ったより楽しめました。
2015年12月21日 カーネル
霜降城
宇部駅から北東へ向かって、ひたすら県道215号線を北上します
雨が降っていたこともあり、歩道を歩きます
最初の目標地点である山陽自動車道をくぐったら右折(東)なのですが、この歩いてきた歩道と県道の間にフタ無しの用水路があって右折できないハプニング
しょうがないので、さらに北上して遠回りして用水路を渡る
城へ向かうには厚東川を越える必要があるのですが、厚東川を越える橋は高速の少し北にしかないのでここで渡りましょう
川を渡ったところに看板があり、左折して北北東に進むと民家に[末信コース]の看板ありがあります
畑の脇を通り、動物避けの柵を越えるとようやく山の中に
末信コースは登ってしばらくするとYの分岐があるので左へ行くと中城に
道は踏み固められてて、雨だったけど上りやすい。本城・前城を経由して鳥超湖方面に田代登山道で下山しました。登山口から下山まで1時間半くらい
とにかく分岐が多いので地図は必須。田代登山道口から登るのは、看板がないので、初見だと難しそう
宇部駅に戻るまで、往復3時間でした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです